「今どきの学生生活とお金」の動向をめぐる記事

これとは違う時代に違う生活を送った人への啓蒙として、これらのニュースはもっと広く報じられる必要性があると思います。

関連を意識しつつ、それぞれ別のニュースソースからの記事を並べてみます。

仕送り-家賃=日額790円 私大新入生の生活費、最低
根岸拓朗2017年4月14日07時57分

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仕送りは16年連続で減っているが、家賃は下がっていない

 仕送りから家賃を差し引いた1日の生活費は790円で、アルバイトをしないと暮らせない――。首都圏周辺の私立大に昨春入学した学生を対象にした調査で、こんな状況が浮かび上がった。ひと月の仕送りは平均8万5700円で16年続けて減っており、生活費とともに過去最低になった。

 関東などの私大の教職員組合でつくる東京地区私立大学教職員組合連合が発表した。返す必要のない「給付型奨学金」を設ける法律が3月末に国会で成立したが、教連は「対象になる人数も金額も少ない」として、奨学金のさらなる充実や私大への助成増額を求めている。

 調査では明治大や早稲田大など16大学・短大の新入生の保護者にアンケートを依頼し、昨年5~7月に4890件を回収した。

 自宅外通学者の場合、大学への納付金や仕送りなどで入学の年にかかるお金は293万円。家賃の平均は月6万2千円で、仕送り額の7割を占めた。残る生活費は1日あたり790円となり、ピークだった1990年度(2460円)の3割ほどにとどまる。

 アルバイトの時間が長くなると、授業やゼミの出席が難しくなるなどの弊害もある。教連の中川功・副中央執行委員長拓殖大教授)によると、食費を浮かせるため、バイト先のコンビニに残った弁当で食事をすませがちになる学生もいるという。中川教授は「学生の窮状は、長年続いたクラブ活動の閉鎖など、学生文化の崩壊にもつながっているのではないか」と話している。(根岸拓朗)

http://digital.asahi.com/articles/ASK464100K46UTIL00Y.html

2017/04/06
バイトに追われる?大学生活 奨学金の返済「不安」で

アルバイトをする大学生が増加していることが、各種調査でわかりました。一方、奨学金を受ける者の割合は、逆に減少しています。

日本の奨学金のほとんどは、返済が必要な「貸与型」であるため、大学卒業後に返済できるかどうか、多くの学生が不安を抱いていることがうかがえます。

高校入学から大学卒業まで975万円が必要

政府系金融機関の日本政策金融公庫がまとめた2016(平成28)年度「教育費負担の実態調査」の結果によると、高校入学から大学卒業までにかかる入学・在学費用は、1人当たり平均975万円(前年度899万4,000円)で、前年度より75万6,000円も上昇しています。設置者の種類別に見ると、国公立大学が752万3,000円、私立大学文系が962万5,000円、同理系が1,147万1,000円となっています。

世帯年収に占める教育費の割合は平均16.1%(前年度17.8%)で、近年の景気回復傾向を受けて、やや低下しています。しかし、「年収200万円以上400万円未満」の世帯では36.6%(前年度36.8%)と高止まりしています。

教育費を捻出するためにしていることで最も多いのは「教育費以外の支出を削っている」の28.2%ですが、この3年間の推移を見ると、「子供がアルバイトをしている」(19.6%)、「残業時間やパートで働く時間を増やすようにしている」(9.8%)、「共働きを始めた」(9.6%)の増加が目立っており、家計の節約なども限界にきていることがうかがえます。

このような状況なら、奨学金を受ける子どもが増えることが予想されますが、実際には「奨学金を受けている」は2014(平成26)年度19.9%、15(同27)年度22.0%、16(同28)年度17.7%と、今回は減少に転じています。

5人に1人が深夜帯に就労、学業にも支障

同様の傾向は、全国大学生活協同組合連合会(全国大学生協連)が実施した「学生生活実態調査」(2016<平成28>年)にも表れています。

アルバイトしている大学生は全体の71.9%に上り、データのある2008(平成20)年以降で最高となっています。一方、自宅生の「小遣い」、自宅外生の「仕送り」は減少しており、アルバイトが収入の重要な位置を占めるようになっています。

アルバイトの就労時間は週当たり平均12.5時間で、10時間以上15時間未満が18.4%、20時間以上も13.9%に上っている他、夜10時から朝5時までの深夜時間帯に働く者も20.7%います。アルバイトをしている学生は、していない学生よりも読書時間や勉強時間が短いなどという結果も出ており、学業に支障をきたしつつあるようです。

これに対して奨学金受給者は、下宿生の場合、2014(平成26)年度40.1%、15(同27)年度39.1%、16(同28)年度37.5%と年々減少しています。生活費補てんの方法は「アルバイトを増やす」が全体で50.7%(下宿生49.4%)で、「奨学金を申請する」は5.5%(同5.4%)のみでした。

なぜ大学生は、奨学金よりもアルバイトを選ぶのでしょうか。受給者の73.4%が、返済に不安を「感じている」と回答しています。卒業後に残る<借金>に不安を感じて、学業に支障が出てもアルバイトを増やすというのが、現在の大学生の実態のようです。返済不要の「給付型奨学金」の早急な拡充が望まれます。

※「教育費負担の実態調査結果」(2016年度)
https://www.jfc.go.jp/n/findings/pdf/kyouikuhi_chousa_k_h28.pdf

※第52回学生生活実態調査の概要報告
http://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html

(筆者:斎藤剛史)

http://benesse.jp/kyouiku/201704/20170406-3.html

17年度先行分、4月中締め切り=給付型奨学金で申請手順-学生支援機構

 政府が新設する大学生らを対象とした返済不要の給付型奨学金に関し、実施主体となる日本学生支援機構は31日、申請手順などを示した案内を公表した。2017年度の一部先行実施の申し込みは原則的に4月中に締め切られる見通し。

 対象は住民税非課税世帯などの大学、短大、専門学校、高等専門学校(4、5年)の学生。給付月額は国公立に通う自宅生が2万円、国公立の下宿生と私立の自宅生が3万円、私立の下宿生は4万円。児童養護施設出身者らには入学金相当の24万円を追加給付する。

 17年度は、同年度に入学する私立の下宿生と児童養護施設出身者らを対象に先行実施する。申込書類を在籍大学などで受け取り、出身高校に学力に関する認定書などの作成を依頼。申込書や振込口座届などとともに在籍校に提出する。締め切りは学校によって異なるが、4月中の見通し。早ければ5月中に審査を終え、6月から振り込まれる。 

 18年度からの本格実施では、原則的に高校の推薦が必要になる。同年度分は、高校3年生らが17年5月以降に在籍校で申込書類を受け取り、記入などして提出。専用ホームページでも必要事項を入力する。機構は高校からの推薦書類を受けて審査し、同10月下旬に結果を通知する見通し。(2017/03/31-21:35)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017033101409&g=soc

熊本地震と南阿蘇村と東海大学農学部

私などは、熊本が地元なわけでもなく、東海大の関係者なわけでもなく、ただあの地震前、南阿蘇村のあのあたりに何度か通って、東海大農学部阿蘇キャンパスや学生村の界隈を多少訪れたことがあるというだけの人間です。が、それでも、あの農学部が南阿蘇に根づいて定着していたことはよく知っています。多くの関係者の皆さんが「あの場所に帰りたい」と思っているだろうことも、容易に想像がつきます。

学生アパートが倒壊し、阿蘇大橋が落ちるというのは、誰も想像しなかった事態でした。まったく元に戻るということは、難しいかもしれません。それでもなお、やはり阿蘇に踏みとどまり、再建を目指してほしいと、個人的には思っています。

亡き友、学生村…伝える決意 東海大農学部の国貞さん 熊本地震1年
2017年04月14日 06時00分

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被災体験の「語り部」活動をしている東海大農学部3年の国貞尚伸さん=13日午後3時半、熊本市東区東海大熊本校舎

 「あの日を風化させない」。東海大農学部3年の国貞尚伸さん(20)は、そう心に刻み込んでいる。

 昨年4月16日午前1時25分。農学部がある熊本県阿蘇村は震度6強の激しい揺れに襲われ、学生約800人が暮らす「学生村」は壊滅的被害を受けた。

 次々と倒壊したアパートの下敷きとなり、4年脇志朋弥(しほみ)さん=当時(21)、2年大野睦さん=同(20)、1年清田啓介さん=同(18)=が犠牲になった。

 「この辺りが下宿先でした」。今年2月、今は大半が更地となった学生村跡地。被災地見学に訪れた東京の企業の社員約10人を前に、国貞さんは語り掛けた。

 「あの日」の記憶をたどりながら、話を続ける。

 学生寮の1階から着の身着のまま飛び出すと、周囲には1階部分がつぶれたアパートがいくつもあった。「助けて」。暗闇の中に響く声。他の学生と一緒に、がれきをかき分けた。手にはくぎが刺さり、素足のまま履いていたサンダルは血まみれになった。

 消防隊も駆け付け、次々と救出されたが、バレーボールサークルの先輩の脇さんがいない。部屋は隣のアパートの1階。「脇さん、脇さん」。何度も名前を呼んだ。同じ東京都出身の大野さんもいない。実家が近かったことで仲良くなったサッカー仲間だ。

 「救いきれなくて、悔しかった」

 国貞さんが取り組むのは、地震後に先輩たちと立ち上げた学生団体「阿蘇復興への道」による「語り部」活動。見学者の求めに応じて跡地を案内する。「在りし日の学生村、地震当時のことを知ってほしいから」

 学生村のがれき撤去、街頭募金、学生団体で開いた南阿蘇大復興祭。地震後、学生村の再建を目指して動き回った。「阿蘇に戻りたい」。その一心だった。

 昨年7月から始まった熊本校舎(熊本市)の生活にも少しずつ慣れてきたが、先輩や友人に気安く会えた学生村の生活が、今も恋しい。

 大学は今年1月、阿蘇校舎の現地再建を断念する方針を発表。願いは遠ざかったが、「いつかは」という希望は持ち続ける。

 今春、先輩たちは卒業し、農学部には223人の仲間が入学した。あの日から、間もなく1年。

 「地震のこと、亡くなった3人のこと、学生村のこと」。新入生や多くの人たちに伝えたいこと、伝え続けなければならないことが、たくさんある。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto_earthqueake/article/321599

東海大阿蘇キャンパス存続へ 再建目指す
2017年01月21日

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熊本地震で大きな被害を受けた東海大阿蘇キャンパス=2016年12月24日、南阿蘇村(大倉尚隆)

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 東海大が、熊本地震で大きな被害を受けた南阿蘇村の阿蘇キャンパス(農学部)を現地で存続させる方針を固めたことが20日、分かった。全面的な再建は困難なため、熊本市東区の熊本キャンパスも拠点としながら、可能な範囲で再建を目指す。

 農学部は1980年に開設され、現在の学生数は約千人。地震で校舎などが損壊し、敷地内に地割れが生じたため阿蘇キャンパスでの授業を休止。昨年7月から、2017年度末までの暫定措置として熊本キャンパスで授業を実施している。

 東海大は、阿蘇キャンパスで安全が確認できた施設や設備を復旧・整備し、18年度以降も引き続き熊本キャンパスを使いながら、阿蘇での実習など専門授業や研究を順次再開させる方針。阿蘇キャンパスのどの施設や設備が使えるかは調査を続けているが、阿蘇での授業が部分的にも再開すれば、農学部の学生は両キャンパスを行き来して授業を受ける形になる。

 東海大地震後、阿蘇キャンパス存続の可否を判断するため、学内外の有識者による調査委員会を設け、昨年8月まで地盤の安全性を調査。結果は明らかにしていないが、関係者によると、一部校舎の下に断層が見つかったという。

 ただ、雄大な自然環境に恵まれ、農場や牧場を併設した阿蘇キャンパスの特性などを重視し、安全性を確保した上で農学部を現地に残す意向を固めたもようだ。

 地震では、阿蘇キャンパス周辺の被害も甚大で、アパートや下宿が倒壊して学生3人が死亡。阿蘇大橋が崩落したほか、国道57号やJR豊肥線南阿蘇鉄道が寸断されるなど交通網も打撃を受けた。

 同村黒川地区には学生約750人が生活していたことから、村や県は阿蘇キャンパス存続を強く要望。村区長会や農学部OBらがそれぞれ署名と嘆願書を提出し、村内での存続を求めていた。(熊本地震取材班)

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http://kumanichi.com/news/local/main/20170121003.xhtml

大学倶楽部・東海大
阿蘇復興を」 農学部生、熊本キャンパスで入学式
2017年4月5日
Texts by 東海大

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入学式後に記念撮影をする新入生ら

 東海大の入学式が4月4日、熊本市東区の熊本キャンパスで開かれ、547人が大学生活のスタートを切った。同大は熊本地震阿蘇キャンパス(南阿蘇村)が大きく被災したため、農学部は熊本キャンパスで授業があり、一部の実習を阿蘇キャンパスで実施する。

 山田清志学長は式辞で「昨年は阿蘇キャンパスをはじめ本学園は甚大な被害を受けた。学園が心を一つにして復興へ力を尽くしている」と支援を呼びかけた。農学部の鮎川真琴さん(18)=福岡県出身=は「阿蘇は旅行で一度だけ訪れた。広大なキャンパスでの実習が楽しみ」と期待していた。

 阿蘇でのイベントや南阿蘇村黒川地区を案内しながらの語り部活動をする学生団体「阿蘇復興への道」の代表、石田仁星(じんせ)さん(21)は「まずは阿蘇の自然に興味がある子が来てくれたらと思う。自分たちが体験したことやつながった人との関係をつなげていきたい」と話していた。【出口絢】

https://mainichi.jp/univ/articles/20170405/org/00m/100/020000c

横浜の珍事:猫で虎が勝つ。

虎の勝ち負けにはあんまり興味がないのですが。

www.youtube.com

いえ、さすが球場カメラマン、猫を撮らせてもいい写真が出てきますね。

とりあえず、日刊スポーツとスポニチのネコ写真は甲乙つけがたかったので、どっちもクリップ。

DeNA-阪神戦のグラウンドにネコ乱入 試合中断
[2017年4月13日20時53分]

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9回表阪神無死一塁、打者梅野のときグラウンドにネコが出没しDeNAベンチ前を疾走(撮影・加藤哉)

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9回表阪神無死一塁、梅野隆太郎の打席の時、球場に迷い込んだ猫(撮影・足立雅史)

<DeNA-阪神>◇13日◇横浜スタジアム

 緊迫した試合中のグラウンドにほっこりする“フレンズ”が現れた。

 1-1の同点で迎えた9回表、阪神の攻撃中だった。無死一塁でマウンドにはDeNA守護神の山崎康、打者は阪神梅野という場面。2ボールとなったところでグラウンドにグレーの毛に黒の模様をまとったネコが現れ、駆け回った。

 思わぬ珍客に、試合は一時中断。猫は一塁側ベンチ横のカメラマン席に追い込まれ、そのまま逃げ去った。会場内は騒然としながらも、笑いが起こった。

http://www.nikkansports.com/baseball/news/1807256.html

阪神にネコの激励?3連勝2位浮上!高山V打!藤浪 8回1失点で今季初勝利
セ・リーグ 阪神4-1DeNA ( 2017年4月13日 横浜 )

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<D・神>9回、グラウンドに猫が飛び出し試合が一時中断する Photo By スポニチ

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グラウンドに乱入した猫 Photo By スポニチ

 阪神が3連勝で、巨人を抜いて2位に浮上した。1―1で迎えた9回に高山のタイムリーなどで勝ち越し、投げては藤浪が8回97球を投げ、6安打1失点で今季初勝利。藤浪にとって得意のDeNA戦で15年6月28日から7連勝となった。

 先手も阪神。5回まで無安打だったが6回に上本、福留の安打で築いた1死一、三塁で原口が右前タイムリーを放った。9回にはこの回から登板の山崎康を攻め、糸原が左前打で出塁。さらに梅野の打席の時にグラウンドに猫が乱入。試合が一時ストップしたが、それで流れが阪神に傾き、梅野がバント安打、代打・荒木が送った1死二、三塁で、高山が右前へタイムリーを放ち勝ち越し。さらに捕逸、上本のタイムリ二塁打で加点した。

 藤浪は4月4日のヤクルト戦以来の登板。その時は5回2失点ながら、9四死球と制球に苦しんだ。畠山の死球を巡って両軍入り乱れる大乱闘に発展するなど、後味の悪さだけが残ったが、見事に修正。この日の四球はわずか1個。最後はドリスが締めた。

 DeNAは抑えの山崎康が誤算。打線も1点を追う6回に梶谷がバックスクリーンへ3号ソロを放ち同点としたが、藤浪に抑えられ2連敗を喫した。

[ 2017年4月13日 21:10 ]

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/13/kiji/20170413s00001173446000c.html

ひこにゃん(11歳)

うおっ、マジか!?

まだ「ひこにゃん」という名前もついてない頃、ドライブで通りがかった彦根で看板を見かけて「何やあれはぁーーー!?」となったあの日、帰ってからネットで検索しまくって情報収集したのが、もうそんなに前のこととは…。

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ひこにゃん公式サイト

ひこにゃん」、11歳です
滋賀・彦根城で誕生日祝福
2017/4/13 11:23

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11歳の誕生日を迎え、バースデーケーキを贈られた「ひこにゃん」。左は祝福する「やちにゃん」=13日午前、滋賀県彦根市

 滋賀県彦根市ゆるキャラひこにゃん」が11歳の誕生日を迎えた13日、国宝・彦根城でお祝いセレモニーが開かれた。ひこにゃんの友達で地元商店街のマスコット「やちにゃん」やファンらがケーキとプレゼントを贈り祝福。

 ひこにゃん彦根藩2代目藩主の井伊直孝を寺の門前で雷雨から救ったとの伝説が残る招き猫と、井伊軍団を象徴する赤いかぶとを組み合わせてデザインされた。

 2007年に開催された彦根城の築城400年祭でイメージキャラクターとなり、ゆるキャラブームのはしりとして10年の「ゆるキャラグランプリ」では1位に輝いた。

https://this.kiji.is/225069674628628488?c=39546741839462401

NHKのニュース:桑子おねえさんは、それでいいんです。

ブラタモリ」をきっかけに全国区でブレークした桑子真帆アナウンサーですけど。

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もともと最初に桑子アナをお見かけしたのは、まさしくこの「ケータイ大喜利」でした。

それはもう、史上稀に見る衝撃的な1年目のデビューでした…。何と表現したらいいのか、これでもかこれでもかというくらいに、噛んで噛んで噛んで噛み倒してましたよ。MCの3人さんがいじるどころか、見るに見かねて「ガンバレー!」と声援を送るほどでした。

私も、観ててあんなにハラハラしたケータイ大喜利は、他に記憶ないです。

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その桑子おねえさんを起用するのですから、それは噛み癖とか何とかといったところをあげつらう減点法では計り知れない部分に目を付けていかないと、NHKの意図するところは理解できないでしょう。とりあえず、少なくとも私は支持しています。はい。

桑子アナの相づちにも意図 「ニュースウオッチ9」の変化
2017年4月11日

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2人の距離感にも注目(C)日刊ゲンダイ

 今や老若男女を問わず大人気の桑子真帆アナ(29)を起用したNHKの看板ニュース番組「ニュースウオッチ9」。経済部出身のキャスター、有馬嘉男(51)とともに「ニュースチェック11」から2時間前倒しのスライド人事となったが、今月3日の放送初日から3日間の視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は、3日(10.3%)、4日(7.8%)、5日(10.1%)。前任の鈴木奈穂子&河野憲治コンビでも13%台をマークしていたことを考えれば、やや物足りない船出となった。

 もっとも、話題はつきない。新キャスター発表会見で「『ザ・NHK』というシャキッとしたイメージにはならないと思います」(桑子)と宣言した通り、お堅いNHKらしからぬ演出が随所に施されている。スタジオのセットは、ペンギンのマトリョーシカや土瓶の置物、カメラ、アロマキャンドル、観葉植物などが点在し、SNS上では「誰かの家?」「可愛らしい」「ゴチャゴチャしている」と賛否を呼んでいる。

 ちなみに、コンセプトは両キャスターの共通の仕事場で、「2人が思い思いに好きなものを持ち込み、後ろの棚に飾っているイメージ。番組と2人に親しみを感じてもらいながら、ニュースをしっかりと深掘りして伝えていきたい」(NHK広報)。番組の基本コンセプトに〈わかったふりをしない〉〈そもそもを知りたい〉を掲げ、これまで以上に2人のやりとりを強化。座り方も心なしか密接している気がするが、やはり意図的で「以前より近い距離にしている」(同)という。

■報道解説番組へ舵

 専門家はどう見たか。上智大教授の碓井広義氏(メディア文化論)は、「ニュース番組からニュース解説番組への変化を感じさせた」とこう続ける。

「これまでは一日の出来事を次から次へと“総ざらい”で伝えるスタンダードな報道番組でしたが、新生『ニュースウオッチ9』は打って変わって、桑子・有馬コンビが11時台で完成、成功させたスタイルを踏襲し、スタジオ内の会話も解説の要素を強めた印象を持ちました。丁寧に深く掘り下げるぶん、取り上げるトピックは限られますが、ある日のラインアップは海外のニュースが多く、国内の話がよく分からなかった。初週を振り返ると、全体的に政治の話題も乏しい気がしましたね。加えて、桑子さんの『へぇ~』『そっかぁ』と言った相づちは、NHKの看板ニュース番組のキャスターとしては気さく過ぎるし、噛み癖もやや気になりました。今後どう改善していくのか、注目したい点のひとつです」

 桑子アナの親しみやすさが受け入れられるかどうかに番組の未来がかかっているようだ。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/203232/

ちなみに、ブラタモリで桑子おねえさんの後を継いだ近江友里恵アナウンサーも、新人時代にケータイ大喜利に出演しています。アニマル浜口さんが大暴れする回に投入され、「アニマル浜口の控室を実況する」という高難度のミッションをさらっとクリアした度胸の良さと優等生ぶりが印象に残っています。桑子おねえさんとは実に対照的なデビューでした。

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これ見てると、いろいろなアナウンサーが通っていったケータイ大喜利12年の歩みを思いだすなあ…。

アナウンサーのごあいさつ|NHK 着信御礼!ケータイ大喜利

織田信成、関西大学アイススケート部監督に就任

ほう、当面は自分の仕事との両立ということのようですが、本格的に指導者の道を歩み始めるんですね。元々そちらの方面志望だということは聞いていましたし、後輩の有力選手と本格的なアイスアリーナを擁する関大にとっても本人にとっても、よい展開だと思います。

さして根拠があるわけではありませんが、本田武史の後を継ぐいいコーチになるような気がします。

織田信成さん、母校関大のスケート部監督に フィギュア
2017年4月11日11時56分

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監督としての抱負を語る織田信成さん

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浅田真央との思い出を涙ながらに語る織田信成さん

 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子代表の織田信成さん(30)が11日、大阪市内で記者会見を開き、母校・関西大のアイススケート部監督就任を発表した。織田さんは「現役時代、国際試合で海外の選手と戦った経験を選手たちに伝えていきたい」と抱負を語った。

 就任は1日付。織田さんは2005年に関大に入学。15年に関大大学院を卒業するまで同部に所属していた。06年四大陸選手権優勝し、バンクーバー五輪では7位に入賞した。13年に現役引退後はプロスケーターやタレントとして活躍している。

 同部にはフィギュア部門とスピード部門がある。

浅田真央引退「寂しい」

 プロスケーターで関西大アイススケート部監督に就任した織田信成さん(30)は11日、浅田真央の引退について「フィギュアスケートに愛された選手。彼女のプログラムが本当に大好きで、そのスケートに憧れている部分が多かった。彼女が試合で頑張ってる姿を見れないというのが寂しい」。時折、言葉につまりながら、思い出を語った。

http://www.asahi.com/articles/ASK4B6R8MK4BPTQP012.html

織田信成氏が関大監督に 仕事を続けながら指導
[2017年4月11日11時10分]

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関大のアイススケート部監督に就任した織田信成氏(撮影・松本航)

 関大は11日、プロフィギュアスケーターやタレントとして活躍する織田信成氏(30)が同大学のアイススケート部監督に就任すると発表した。

 現在の仕事を続けながら、学生の指導にあたる。大阪市内で行われた会見で「初めてこの話を頂いたときは、自分でもビックリして、重責をきちんと全うできるのかと考えた。僕自身、現役時代にいろいろな国際試合に出て、海外の選手たちと戦ってきた経験を、これから選手に伝えていけたらいいなと思っています」と抱負を述べた。

 織田氏は11年3月に同大学文学部を卒業し、15年3月に同大学院文学研究科博士課程前期課程を修了。10年バンクーバー五輪7位、09、10年のグランプリ(GP)ファイナル2位など一時代を築いた。13年12月の現役引退時には織田信長の子孫として、自分の競技人生を「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」と詠み、その後はテレビなどで多くのファンに親しまれてきた。

 アイススケート部には全日本選手権女子シングル3連覇中の宮原知子(2年)らが所属。宮原は「織田さんの新監督任命により、より明るく、笑顔の絶えない部になることを期待しております。私自身、アイススケート部のさらなる発展に貢献できるよう、自己の目標に向かって精進していきます。今後ともよろしくお願いいたします」とコメントを寄せた。

 06年7月に完成した「関大たかつきアイスアリーナ」(現名称)は、宮原の他にも18年平昌五輪代表の有力候補に挙げられる本田真凜(15=関大高)らが使用する。豊富な経験を持つ織田氏による、有望な現役選手のサポートが期待される。

http://www.nikkansports.com/sports/news/1805903.html

「大長征」の仕上げに「神話」が日本へ?

えっ?アレがコレして日本へ?

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ああ、中国の神舟ではなくて、韓国の神話でしたか。何だか紛らわしい見出しだこと…。

www.youtube.com
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H.O.Tに続く世代だった神話ほど、息長く、そして第一線で活躍できているグループは、韓国内ではちょっと他には見当たらないでしょう。

神話、5月30日に日本公演…「大長征」のしあげ
記事入力 2017-04-07 09:16 | 記事修正 2017-04-10 16:42:06

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神話は日本公演を最後にコンサートツアーを終了する。

神話は来る5月30日と31日の両日、日本の幕張イベントホールにて「2017 SHINHWA LIVE “UNCHANGING” IN JAPAN」を開催し、コンサートツアーの旅程を終了する予定だ。

神話は今年2月から「2017 SHINHWA LIVE “UNCHANGING” TOUR」を通じて、台湾をはじめとしてソウル・釜山・大邱にて毎回華やかなパフォーマンスと多彩なステージで、国内外の数多くのファンと出会って息を合わせた。これまで進行されたコンサートのチケット発売もまたファンの熱い反応を受け、神話の強力なチケットパワーを立証している。

去る6日に「2017 SHINHWA LIVE “UNCHANGING” TOUR」の最後の地域として日本が決定され、再びレジェンド級のステージを予告してチケット発売前からファンの関心を集めている。

中でも今回のコンサートは、2013年開催の「2013 SHINHWA GRAND TOUR ‘THE CLASSIC’ in TOKYO」以降で約4年ぶりの日本コンサート開催となり、現地ファンにはより特別な時間となるものと期待を集めて、神話コンサートツアーの最後であるだけに、神話らしい圧倒的なパフォーマンスで日本のファンを魅了する予定だ。

神話カンパニー側は「神話の最後のコンサートツアー地域として日本に決まった。2013年以降約4年ぶりに開催される日本コンサートであるだけに、神話だけの華やかなパフォーマンスで構成された多様なステージを披露する予定なので、ファンの皆さんは期待して欲しい」と伝えた。

一方、神話は来る6月17日と18日の両日、蚕室補助競技場にて神話デビュー19周年記念コンサートを開催する予定だ。

[毎日経済スタートゥデイ/話題チーム]

http://japan.mk.co.kr/view.php?type=M1&category=30600006&year=2017&idx=6055

【釜山の風景】本題前の復習

浦項から帰ってきてようやく最終日。もう4か月以上前のことになってしまいました。

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blue-black-osaka.hatenablog.com

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blue-black-osaka.hatenablog.com

西面から地下鉄一本で行けるところを、東海線に乗るためにこんな風に遠回りして乗り換えてたどり着いたのは、こちらです。

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ここはやりだすとめんどくさいので、また次の機会に。

ケータイ大喜利 300回の歴史に幕

ごくごく最初期は観ていませんが、月1回時代から欠かさず観てきた番組でした。

あまりに唐突すぎる終了告知と、全国ツアーと同日の、特にスペシャルでもない放送枠という最終回の迎え方にはいささか普通ではない「事情」を感じますが、外からは実際のことはわかりません。いずれにせよ、「惜しい番組をなくした」ということだけは確かです。

NHK「ケータイ大喜利」最終回 12年の歴史に幕
[2017年4月9日0時51分]

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左から千原ジュニア今田耕司板尾創路

 NHKの「着信御礼!ケータイ大喜利」が8日、最終回を迎えた。「最終回スペシャル」生放送とし、司会の今田耕司(51)、板尾創路(53)、千原ジュニア(43)らが出演した。今田は直前まで生出演していたTBS系「オールスター感謝祭」の司会を終えてから駆けつけた。

 「ケータイ大喜利」は05年に不定期放送で番組スタート。06年からは定期放送されている。視聴者参加型のバラエティで、大喜利のお題に対し、視聴者が投稿した回答を番組ないで紹介する。段位制を取っており、優秀な投稿者には「レジェンド」などの称号が与えられている。

 番組ラストでは板尾が「終わる感じが今でもしないので、どこかでまた会えるのを楽しみにしています」と話し、千原は「12年といえば、小学3年生やった子が大学3年生ですよ」と独特の表現で12年の歴史の長さを表し、番組に幕を閉じた。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1804715.html

ケータイ大喜利」12年の歴史に幕 板尾“審査委員長”が爆笑ラスト

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板尾創路 Photo By スポニチ

 視聴者参加型のNHKのバラエティー番組「着信御礼!ケータイ大喜利」(毎月第1〜3土曜深夜0・05)が8日深夜の生放送をもって最終回を迎えた。2005年のスタート以来、約12年の歴史に幕を下ろした。

 08年4月からレギュラー放送。番組から出題される大喜利のお題に対し、視聴者は携帯電話で回答。今田耕司(50)が司会、板尾創路(53)が審査委員長、千原ジュニア(42)が投稿紹介(読み上げ)を担当した。

 投稿者を「オオギリーガー」と呼び、判定により「ルーキー」「メジャー」(初段〜九段)「レジェンド」(初段〜四段)「シルバーレジェンド」「ゴールドレジェンド」と昇格。

 番組最後のお題は、「『きょうの料理』にて。『ははぁ〜ん、若い彼女ができたな…』土井善晴さん何と言った?」。ゲスト出演者の料理研究家・土井善晴氏(60)をテーマにしたものだった。

 エンディングでは、ジュニアが「12年ということは小学3年生の子が大学3年生ですからね」と独特の言い回しで12年間を総括。その後、今田が「最後は板尾審査委員長、視聴者に一言お願いします!」と恒例の“最後の一言”を振ったが、板尾が「はい」とだけ話したところで放送が終了した。

 板尾らしさ全開のラストに、「最後の板尾さんは本当に最高でした」「板尾さんまさかの尺足らず」「さすがの板尾審査委員長」など放送直後のネット上は爆笑に包まれた。

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NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」の司会を務める今田耕司 Photo By スポニチ

[ 2017年4月9日 01:15 ]

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/08/kiji/20170408s00041000497000c.html

この記事、個人的にツボだったネタが多数出てきます。リンクを貼った「完全版」は、この記事以上のネタの宝庫でした。

今夜最終回 「着信御礼!ケータイ大喜利」レジェンド22人と10年を振り返ってみた
2017年4月8日 (土) 10:00 配信 エキサイトレビュー

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2015年、ケータイ大喜利10周年記念SP公開収録にて(NHKホール)

今夜、遂に『着信御礼!ケータイ大喜利』NHK総合)が最終回を迎える。毎週10万本単位の視聴者投稿が集まる大喜利番組、その始まりは12年前にさかのぼる。

開始当初、千原ジュニアは回答者だった

『着信御礼!ケータイ大喜利』のレギュラー放送が始まったのは2006年3月29日のこと。当時は月1回の放送だった。レギュラー放送までに3回の特番が放送されており、初回(2005年1月5日放送)ではいとうせいこうが、2回目以降は今田耕司が司会を務めている。

2回目の特番(2005年9月18日放送)を放送ライブラリーで確認すると、この時から司会:今田耕司、審査委員長:板尾創路(まだ白タキシードじゃない!)という布陣であり、投稿受付センターやCGセット、回答テロップなど、基本システムは現在と驚くほど変わっていない。スタジオで笑い声が起きても「2本」と判定する、板尾審査員長のブレなさも10年前からそのままだ。

現在と異なるのは千原ジュニアの扱い。レギュラー放送では最終選考と読み上げと担当しているが、当時はスタッフが回答を選定し、元NHKアナの加賀美幸子がマイペースにしっとりと読み上げていた(途中で噴き出すことも)

ジュニアが登場するのは番組が始まって5分後。「大喜利のプロ」としてスタジオに演台ごと運び込まれ、視聴者投稿に混じって大喜利に答える役回りである。今田耕司から「ジュニアのペンが止まりません!」「まさに『俺のあとに出せるのかお前ら!』と!」「ジャリズムの山下ではあんなところに座れません!」と散々ハードルを上げられ、髪をかきむしっていた。

ちなみに、いとうせいこう司会の初回は、審査員がなぎら健一や安めぐみ、中継が板尾創路と全く違う構成になっている。投稿が集中しサーバがパンクするトラブルも起きた。2回目ではシステムを改善し、40分の番組中に172,146本の回答を受け付けている。歴史はここから始まった。

レジェンドが選ぶ名回答

ケータイ大喜利では採用されていない人を「ルーキー」と呼び、採用後は「メジャー」に昇格。以降はアンテナ3本の判定を獲得すると昇段し、最高位に達すると「レジェンド」の称号を得る。段位制度は2007年4月から始まり、約10年後(2017年3月5日放送)に第100号のレジェンドが誕生した(※参考:レジェンドとはこんな人たち!|NHK 着信御礼!ケータイ大喜利

今回、レジェンドを対象に「名回答」と「名場面」を聞くアンケートを実施。Twitterで呼びかけたところ、22名のレジェンドから回答を得た(ありがとうございます!)

「名回答」では、ケータイ大喜利の名物である「声のお題」がやはり人気。お題になった本人が答えを読み上げる構造はテレビならではの発明だった。複数のレジェンドから挙がった名回答を並べてみよう。
(完全版はこちら)

お題:きょうの料理にて。「イヤなことあったのかな…」土井善晴先生何と言った?
答え:僕が僕じゃなくなったら絶対止めてくださいよ(大阪府 Kid君さん)

お題:ななみちゃんが商店街を散歩する番組「ななみ散歩」がスタート。ニセモノだろ!何と言った?
答え:野良猫がガリガリじゃねえか(千葉県 ナンさん)
「なぜこの発想に至ったのか不思議。最優秀賞発表前に今田さんが『アレしかないでしょ』と発言。一番笑いました」(第85号 グシャグシャバキバキ)

お題:阿藤さんがしゃべるカーナビが登場!「余計なこというなあ…」何と言った?
答え:バカ!オレから見て右だよ!(福井県 おわらいさん)

お題:サッカー中継。解説者席の前園さん「ちゃんとやってください」何と言った?
答え:逆転してるじゃないですか!(神奈川県 でろぼ〜さん)
「短い文なのに前後が一瞬で色々と想像できて面白い、すごい答えだと思いました」(第50号 misago)

お題:そんなに興奮して言うことか?ラオウ 何と言った?
答え:私は貴様などとは「おとももち」ではない!(兵庫県 イコリハイミランさん)

また、ケータイ大喜利を始めるきっかけになった答えを挙げるレジェンドの方も。

お題:高校の部活。「なんじゃそれ!」カレーライス部ってどんなの?
答え:3年間白メシしか食べられなかった補欠部員もいる(神奈川県 新丸子在住さん)
「たまたまテレビをつけ初めてケータイ大喜利を観て、この答えを見て大笑いしました。『自分もやってみたい!』と思い大喜利を始めるきっかけになった思い出深い答えです」(第64号 まるっぱ)

お題:「来るんじゃなかった…」どんなマジックショー?
答え:力ずく(奈良県 レーゲンさん)
「僕はこの回答に憧れてケータイ大喜利を始めました」(第20号 ごくごく係長)

面白い答えが面白い投稿者を呼び寄せ、再び面白い答えが生まれる。幸福なサイクルができていたからこそ、番組が10年以上続いたのかもしれない。

「生きる名場面」板尾審査員長

「名場面」で票を集めたのは板尾審査委員長の2大事件、「無言」と「だーはいたー」だった。

「板尾さん、沈黙のまま番組放送終了」(第34号 イコリハイミラン
「板尾さんが無言で終わるやつ」(第22号 すり身)
「板尾さん無言のままエンディング」(第98号 すかいどん)
「板尾審査員長沈黙の5秒間」(第82号 帰ってきたメタボリゴン)

2008年6月8日、番組終了まで残り5秒のところで「最後に一言メッセージをお願いします!」とふられた板尾審査委員長。潤んだ瞳でじっとカメラを見つめたまま、一言も発することなく番組が終了してしまった。この衝撃エピソードは後日『人志松本のすべらない話』で千原ジュニアが披露するほど。局を越えてすべらない板尾さんだ。

「だーはいたー」(第2号 シェンシェン携帯)
「2009年NHKホールにおける公開収録での板尾さんの「だーはいたー」発言、からのスタンディングオベーション。現地で拝見しましたが、圧巻でした」(第36号 ばっくざらん)」

2009年7月12日、NHKホールで行われたケータイ大喜利初の公開収録。オープニングで「(公開収録は)基本的に大反対」とコメントし「なんでですか!w」とツッコまれていた板尾審査委員長。エンディングで今日の感想を聞かれ、再び「基本的には大反対です」と答えようとしたところ、「基本的にはだーはいたーです」と思いっきり噛んでしまう。しかし板尾審査委員長、照れるどころか胸を張り、宙を見つめて堂々と仁王立ち。その潔さに客席からの拍手が止まらず、遂にはスタンディングオベーションまで巻き起こったのだった。

板尾審査委員長以外で多かった名場面は、レジェンド第1号誕生の瞬間のこと。

「レジェンド第1号ぺえさん誕生」(第17号 おまんじゅう)
「レジェンド1号の誕生からの『レジェンドは照れるよ』」(第78号 グレート・キタ)
「やはりレジェンド1号(ぺえさん)が誕生した瞬間ではないでしょうか。その時の『レジェンドは照れるよ』は衝撃的だったし、自分に火が点いた記憶も鮮明です」(第13号 でろぼ〜)

レジェンド第1号が誕生したのは2008年1月1日。初めての元旦SPでのこと。お題4でアンテナ3本を獲得し、レジェンド第1号になったぺえさん。直後のお題5「10文字作文。テーマは『ウザいっ』」に生投稿し、読まれた答えが「レジェンドは照れるよ」だった。直前の出来事を答えにし、10文字ぴったりに収める瞬発力に舌を巻く。

他の名場面をフレーズだけ抜き出すと「カニ歩きの体操」「粉雪〜」「ライチンゲールさん」「忍び寄るAV業界」など。「投稿者の名前がツボにはまる今田さん」「オールスター感謝祭から移動してくる今田さん」などの「今田さんあるある」も名場面として挙げられていました。

採用は日常のなかの非日常

レジェンドのなかには、ピン芸人として活躍するおほしんたろうさん(第4号 おほ)や赤嶺総理さん(第40号 赤嶺総理)、伝説のハガキ職人となり構成作家も経たツチヤタカユキさん(第16号 MURASON侯爵)など、お笑いのプロの道に進んだ投稿者もいる。「ケータイ大喜利レジェンド」のブランドは強力なようだ。

「最近は『またいつか送ろう』と思いながら、あまり投稿していませんでした。番組が終わると知ってから急に『もっと投稿しておけば良かった!』という後悔の念がこみ上げ、幼馴染が結婚することになってようやく自分の中の恋心に気づく、的な状況になりました。僕は馬鹿な男です。でも好きだった!ありがとうケータイ大喜利!」(第4号 おほ)

「芸人活動は本名で、と思っていたのですが、沖縄での公開収録で今田さんが『赤嶺総理そのまま使いや、せっかくやねんから』と言ってくださったおかげで、この名前でいくことになり、周りに覚えてもらいやすくなったり、大喜利の仕事が入りやすくなったりました。初めて読まれたときに背中と足の裏に汗をかいたあの感覚をずっと覚えています。ありがとうございました!」(第40号 赤嶺総理)

「会社員のかたわら芸人活動もしているのですが、この番組のブランド力は意外と強くて、『ケータイ大喜利のレジェンドなんです』と言うと芸人の2人に1人ぐらいはおおーって言ってくれます。すごく自己紹介がしやすいです。番組が終わってしまうと聞いて、寂しい悲しいより「不便になるなあ〜」が正直な感想です」(第41号 みきさん)

しかし、大半のレジェンドはプロではなく「一般」の人だ。投稿が採用された瞬間、テレビのこちら側とあちら側が繋がる。日常に現れる一瞬の非日常が癖になってしまった人ばかりだ。

「自分自身が読まれた時の心震えるような感動と、読まれない時のひざから崩れ落ちるような挫折を味わえる唯一無二の番組でした」(第90号 セッドあとむ)

「四年足らずの参加でしたが、日常では味わえない刺激ある体験をさせて頂き感謝しております。というかお題が無いと生きられない身体にされたので是非とも何らかの形で復活を期待しております」(第71号 ひざガクガク)

「2008年から公開収録を観覧し続け、気付いたら13回も足を運んでました。その間に観覧仲間は増え続け、最終的には30人を超すまでに膨れ上がりました(笑)。ケータイ大喜利がなかったら全国津々浦々、同好の志と巡り逢えなかったと思います。たくさんの思い出と仲間たちをくれてありがとう」(第36号 ばっくざらん)

「レジェンドとして、そしてレジェンド・オブ・レジェンドとして評価を頂き、こんなに自分に自信が持てたことは他にありません。自分を変えてくれた「着信御礼!ケータイ大喜利」に本当に感謝しています!ありがとうございました!!」(第20号 ごくごく係長)

泣いても笑っても生放送はあと1回。『着信御礼!ケータイ大喜利』最後の生放送は4月8日(土)24:05から。夕方17:15には公開収録「全国ツアー IN 広島」の放送もあります。レジェンドだけでなく、ルーキーもメジャーも最後の採用のチャンス。もう、読まれたい人みんな読まれたらいいのに……!


◆アンケートにご協力いただいたレジェンドの皆さん:
イコリハイミラン(第34号)、みきさん(第41号)、あってぃ(第35号)、ひざガクガク(第71号)、あやひーのでし(第74号)、すり身(第22号)、おまんじゅう(第17号)、kid君(第73号)、すかいどん(第98号)、ささら(第60号)、まるっぱ(第64号)、ごくごく係長(第20号)、セッドあとむ(第90号)、ばっくざらん(第36号)、帰ってきたメタボリゴン(第82号)、グレート・キタ(第78号)、赤嶺総理(第40号)、グシャグシャバキバキ(第85号)、でろぼ〜(第13号)、シェンシェン携帯(第2号)、misago(第50号)、おほ(第4号)(回答順、敬称略)

(井上マサキ)

http://top.tsite.jp/news/anime/o/35134442/