韓国と歴史 二題

例えば、このような議論が提起され、社会的に耳を傾ける雰囲気が醸成されているという事実は、この指摘によって自身のアイデンティティに脅威を感じる程度が減じているということを示唆している。

そのことがどうであれ、自分の拠って立つ場が不安定になったりはしないという自信もしくは安心感。

記事入力 : 2010/08/15 11:16:43
「今の韓国史教育は鎖国化教育」(上)

崔文衡・漢陽大名誉教授
「義兵抗争で韓国併合を遅らせた? 米ロが日本をけん制したからだ」
「韓国史は世界史の中で見なければ」

 「1905年の乙巳勒約(第2次日韓協約)後、日帝が韓国を併合するまで5年かかった原因が、韓国の義兵運動だったと教科書に書いているが、これは説得力がありません。このような歴史教育の“鎖国化”が、正しい歴史認識を妨げています」

 崔文衡(チェ・ムンヒョン)漢陽大名誉教授(75)は、2000年に定年退職した後、以前にも増して精力的な活動を繰り広げている。西洋史を専攻した崔教授は、『韓国をめぐる帝国主義列強の角逐』(01年)、『国際関係から見る日露戦争と日本の韓国併合』(04年)、『ロシアの南下と日本の韓国侵略』(07年)など一連の著作を通じ、世界史の中で韓国史を観察することを主張した。

 今週出版された『韓国近代の世界史的理解』(知識産業社)において、崔教授は、現行の高校教科書を用いた歴史教育は、「鎖国化教育」だと声を上げた。崔教授は05年、左派寄り教科書として議論になった金星出版社の『高等学校韓国近現代史教科書』と、これを批判し08年に出版された教科書フォーラムの『代案教科書』の双方を批判した。2つの教科書は、どちらも外部勢力に絶対的に左右されていた韓国近代の特性を無視し、韓国史に限定して記述しているという。

 「金星の教科書は、6ページに渡って詳細に義兵活動を説明し、日帝が韓国を完全に併合するまで5年もかかったのは義兵抗争のためだ、と書いています。清とロシアを退けた日本が、補給もきちんと受けられなかった義兵のせいでそれほど時間がかかったというのは、事実と異なる話です」。崔教授は、日露戦争直後に「既定化」した韓国併合が5年も遅れた理由は、ロシアが米国と協力し満州から日本の勢力を追い出そうとするなど、ロシアと米国による対日けん制を克服するのに時間がかかったからだ、と説明した。


崔文衡・漢陽大名誉教授は、「韓国の近代史は、韓国の地で繰り広げられたことだけで評価できるものではなく、世界史の広い地平から見なければならない」と語った。/写真=鄭敬烈(チョン・ギョンヨル)記者

http://www.chosunonline.com/news/20100815000023

記事入力 : 2010/08/15 11:16:57
「今の韓国史教育は鎖国化教育」(下)

 また崔教授は、『代案教科書』が安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文初代韓国統監の狙撃を記述するに当たり、「(狙撃)以後、併合論はさらに強化された」と書いているが、これは歴史的事実ではない、と語った。韓国併合は、伊藤博文と桂首相の同意を経て、1909年7月6日の閣議で既に確定したことだった。安重根の狙撃で併合論が左右されたのではないという。

 「露館播遷」でロシア公使館に移っていた高宗がその後王宮に戻った理由について、金星の教科書と代案教科書は、どちらも「国民と独立協会が国王の帰還を積極的に要求したから」と記述しているが、これは韓国の近現代史を専攻する者が克服できない「外因論否定」に基づく記述だ、と崔教授は語った。崔教授は、「韓国の代表的な国史学者らも、このように記述するが、独立協会の要求で国王が王宮に戻ったとか、韓国国民の抵抗だけでロシアを退けたとかいうのは、“ナイーブ”な解釈」と語った。実際は、ロシアが自国の利益のため、高宗の支援要請に対し微温的に対応し、これに失望した高宗が王宮に戻ることを決定した、というわけだ。

 「韓半島朝鮮半島)をめぐる列強の動向をきちんと理解しなければらない、という一例です。当時、力がなかった韓国はどうすることもできなかった、ということをきちんと理解してこそ、自分たちも力を備え、外部勢力に対応しなければならない、という歴史認識が生まれます。自分たちの意向通りに決定したと虚勢を張るのでは、未来はありません」。崔教授は、「自分たちの歴史の主体的力量を強調する余り、国際情勢を無視し、歴史的事実のつじつまを合わせようとしている。同僚の学者を批判することは難しく、かなり悩ましいことだが、誤った歴史教育だと知りながら放置はできず、本を書いた」と語った。

李漢洙(イ・ハンス)記者

http://www.chosunonline.com/news/20100815000024

もちろん、妙にヒステリックにキーキー言っているある種の人たちのことが、比較対象として念頭にあってのことです。ああいう風にオタオタしてるってのは、その根底には何らかの「不安」があると思うんですよやっぱり。

靖国参拝帰りの通行人(中年男性)が、「ちょっと、うるさいんじゃないの」と、鉄柵越しに在特会側参加者へクレーム。とたんに数人の若者が男性のもとへ殺到。「おまえ、朝鮮人だろ!」「こら、朝鮮人」「おまえ、名前はキムか? パクか?」などなど。見苦しかった。

http://twitter.com/yasudakoichi

民族という虚構

民族という虚構


それとは別に、興味を惹いたのがこの記事。確かに、韓国旅行のリピーターが増えれば、ソウル・釜山・済州島の「三大観光地」は制覇した、という人も増えるでしょうし、それ以外の地にも目が向くのは当然と言えば当然の話。

そして、韓国の史劇ドラマのファンが増えれば、そうした歴史に関連した旅行先を探すのもまた当然。かと言って、韓国内では「高句麗観光」というわけにもいかず、新羅については「釜山観光のついでに慶州はもう行った」という人も相当いるはず。

となれば、「百済の旧跡を一つ巡ってみるか」となるのも納得できる話です。この記事で注目されているのは忠清道ですが、この次には全羅道が注目される段階もやって来るような気がします。

記事入力 : 2010/08/15 11:26:14
「明洞から百済へ」日本人の韓国観光コースに変化(上)


ソウルの明洞を訪れる日本人観光客が減っている。一時は両手にショッピングバッグを持った日本人観光客でごった返した明洞も、今ではその面影が見られない。(写真上)最近の日本人観光客は、忠清南道扶余郡にある百済時代の「宮南池」(写真下)をはじめとする遺跡や隠れた名所などを訪れる。

 今月1日午後1時、忠南扶余郡にある百済歴史文化館を訪れた60代の日本人夫婦は、石塔を見つめながら「不思議だ」と何度もつぶやいた。夫の吉田羊さん(65)は「日本の飛鳥文化の源である百済仏教文化に触れたくてやって来た。日本にも百済時代の石塔と似ている塔がたくさんある」と話した。

 前日出会った40代の日本人観光客(女性)は、「百済文化に関心があって一人で来た。今日は扶余を回り、明日は公州に行くつもり」と話した。百済歴史文化館には今年の1−7月の間に、計316人の日本人観光客が来館した。昨年同期(61人)に比べると、実に5倍以上の伸びだ。文化館の前では、百済時代の宮廷や遺跡を再現したリゾートの建設工事が最終段階を迎え、オープンを間近に控えている。

 扶余の宮南池のほとりで観光客の肖像画を描いているイ・ハンギュさん(52)は「昨年は日本人観光客がほとんど見られなかったが、今年は1日20人くらいは見る」と話した。宮南池は、日本の歴史書日本書紀』に百済最初の人工庭園であると共に日本の造景の源流として記録されている。

 韓国にとって最大の「お客様」である日本人観光客の「旅行先」に、変化が生じている。以前は団体で訪れては、円高を利用して「ショッピング」にいそしむのが常だったが、最近では家族や友達と共に来韓し、遺跡地や名所を見て回るケースが増えた。ソウル・シティーツアーのカン・チュンヒ主任は「最近の日本人観光客は、飛行機のチケットと宿泊先を抑えたら、あとは全国を回りながら隠れた名所を探すというのがパターン」と話した。

http://www.chosunonline.com/news/20100815000028

記事入力 : 2010/08/15 11:26:21
「明洞から百済へ」日本人の韓国観光コースに変化(下)

 日本人観光客が最もよく訪れる観光地は「百済文化圏」である忠南公州・扶余地域だ。今年の4−6月期に公州市を訪れた外国人観光客は、日本人観光客数が増えた影響で昨年同期(5500人)に比べ約2倍の1万499人となった。公州で人気の観光地は、武寧王陵と国立公州博物館だ。扶余郡の関係者は「日本人観光客は、百済最後の王宮跡である“扶蘇山城”や、百済仏教文化の中心で日本の古代寺院の源となった“定林寺址”などを好んで訪れる」と話した。また、韓国観光公社のクォン・ビョンジョン日本チーム長は「最近、『朱蒙チュモン〕』や『イサン』といった大河ドラマが日本の中年層の間で人気を呼び、韓国の歴史的観光地に対する関心が高まりを見せつつある。特に百済は日本文化の源流という点で、注目されているようだ」と説明した。

 利用客が少なく、一時は閉鎖もやむを得ないとされていた清州空港も、日本人観光客のお陰でにぎわいを取り戻している。今年6月21日から7月17日までの間に計654人の日本人観光客が大阪発のチャーター便で清州空港を訪れた。これを受け大韓航空は、不定期便で運航していた大阪−清州路線を9月1日からは週4回の定期便に変更することを発表した。また大韓航空アシアナ航空は、今年9−10月に忠南公州・扶余・論山で開かれる「2010 世界大百済展」の期間に清州空港を訪れる日本人観光客がさらに増えることを見込んで、「大阪−清州」「福岡−清州」路線の運航便を増やす予定だ。

 一方、日本人観光客が大勢訪れることで「日本人の町」とまで呼ばれてきたソウル市中区の明洞は、日本人の足取りが遠のいている。某化粧品の有名ショップで店員を勤めるチャン・ギョンスンさん(28)は「昨年は日本人観光客が1日700人以上もやって来たが、最近では半数以下にまで減ってしまった」と、ため息をついた。両手いっぱいにお土産を買っていくのは、ほとんどが中国人観光客だという。明洞にあるロッテ免税店の店員は「日本人観光客数が昨年の半分に減ったことで、日本人による売り上げが昨年上半期の2000億ウォン(約148億円)から今年の上半期には1300億ウォン(約96億円)にまで減ってしまった」と首をうなだれた。

扶余=李恵云(イ・ヘウン)記者

http://www.chosunonline.com/news/20100815000029

ヘラン号のときも同じ事を思いましたが、今後は、「韓国人も行ったことのないような場所を観光に訪れる日本人」が、増えてくるんでしょうね*1。格安航空便がもっと増えて、国内便同様かむしろそれ以上に日韓間を気軽に往来できるようになれば、そういう需要はもっと拡大するかも知れません。

しかし、てことは、「新羅ホテルに泊まり、明洞を回って、運動は新羅ホテルの庭でウォーキング」というピンポイントなルーティン旅行が有名だったIKKOさんの時代はもう終わった…んですかね?

*1:ソウルっ子の中には、国内の他地方にほとんど行ったことのない人がいっぱいいます。