亀尾を訪れる。

ソウルを離れて少し旅に出ることにした。
かなり早起きしておなじみの東ソウルバスターミナルから向かったのは、慶尚北道の구미(亀尾)。料金は13700ウォン、所要時間は2時間40分といったところ。

ここには「朴正熙大統領生家」というのがある。

朴正熙の記念事業というのは、たいへんに複雑な紆余曲折と挫折の歴史を歩んでいて、ソウル市から出身地であるこの亀尾市に場所を移したものの、当初の事業計画は中止のやむなきに至っていると聞く。その現場を見たかったのである。
ここここの旅行記では亀尾駅からバスに乗って生家に向かっているのだが、今回はあまり時間がないので、バスターミナル前からタクシーを使う。3400ウォンとそれほどの距離ではなかったが、徒歩でどうにかするには道も複雑でちょっと遠いかも知れない。

立派な案内図が掲げられているように見えるが、実はこれ、右半分は「計画図」に過ぎない(後述)。

駐車場からすぐのところには、朴正熙大統領の生い立ちと事績がこのような写真パネルで綴られている。以下は案内板や石碑類・そして再現された生家である。






生家に隣接した追慕館の内外はこのようになっている。


全体としてこの場に流れているのは、「世間がどのように朴正熙を扱おうとも、我々はその記念事業を手放すことはしない」という、確固たる情熱である。国費や大々的な寄付に頼ることができない現状を踏まえているだけに、その意思の確かさはかえってここにしっかりと刻まれているように思う。
例え事業予定地の半分が、このように荒地のままであろうとも。


さて、この生家から亀尾初等学校に移動する。1919年に開校したというこの学校は、朴正熙の母校として知られている。銅像をはじめ、ゆかりを示すものは少なくない。




こうして亀尾に残る朴正熙の足跡は、果たして今後、どのように時間の流れをたゆたっていくのだろうか。