国立5.18民主墓地

さて、518系統のバスで国立5.18民主墓地のバス停を降りれば、目指す民主墓地はそこからすぐである。



入ってすぐの「民主広場」はあいにく緑地化工事中ということで殺風景な姿を見せているが、その後方の墓域には広場を迂回していくことができるし、竣工して間もない5.18追慕館へは裏から入ることができる。



さて、肝心の墓域だが、他の民主墓地と同じく、事件当時の死亡者および当事者で後年亡くなった人物が眠っている。ただここは、4.19や3.15の民主墓地とは違い、かつての墓地*1と隣接しながらも新しく造成されている点が特徴的ではある。





中の3基のお墓は、それぞれ光州事件では特に有名な人物(崔美愛・孫玉礼・尹詳源)のものである。最後の尹詳源はその死後、霊魂結婚式が施されているため、合葬の形式となっている。
上の写真でも充分にうかがえるように、極めて丁寧に清浄に保持されているこの国立5.18民主墓地なのであるが、他の民主墓地との違いをあげるとすれば、やはり第一に挙げられるのはその立地であろう。


「歴史空間」と題されたこのスペースは、7枚の歴史壁画を配しつつ、人々が集う公園のような休憩スペースとして設計されている。そんなことは見れば誰にもわかる。と同時に、ソウルや馬山の市街地からも近い国立4.19民主墓地や国立3.15民主墓地ならともかく、こんな市街地から遠く離れた場所で休憩する人間なんかいるはずがないこともまた、見れば誰にもわかるはずである。この辺はお役所仕事というか、どうせ予算が注ぎ込まれるんだからといった安易な作られ方が透けて見える。
ではこの民主墓地、もっと光州市街地に近いところに作ればよかったのかと言えば、それはまたそういうものでもない。ここは、「この望月洞にある」ということに決定的な意味がある。そのことについては、旧墓地と併せて改めて論じなければならない。
最後に、これが前に南山公園に行ったときに言及した「金泳三へのカリカリ」。金鍾泌の名前部分もついでみたいにカリカリされてます。

*1:5.18旧墓地については改めて論じなければならない。