李承福事件

…といっても知らない人が多いと思うので、その場合はwikipediaの説明を参照されたい。
この事件そのものについては、戦争紀念館でも「蔚珍・三陟地区事件」のコーナーで、パネルと映像の展示がある。近年新設された北朝鮮の対南浸透工作にまつわる展示であるので、戦争紀念館としては最新の展示設備を備えたエリアである。


記事入力 : 2009/06/03 15:15:50
李承福事件:でっち上げ説浮上から大法院の判決まで
李承福記念館、本紙の記事などを展示

 1968年、江原道の李承福(イ・スンボク)君(当時9歳)の家族4人が北朝鮮の武装ゲリラに惨殺された事件についての本紙の報道が事実だったことが、大法院(日本の最高裁判所に相当)で認定されたのを受け、同道平昌郡にある李承福記念館に「でっち上げ説の浮上から大法院の判決まで」と題する展示コーナーが設けられた。

 李承福記念館は2日、李承福事件の「でっち上げ説」が浮上してから、大法院の判決に至るまでの訴訟の過程が一目で分かる本紙の記事を、北朝鮮の生活用品などを展示していた場所に15日ほど前から展示している、と発表した。李承福事件は68年12月9日、江原道三陟市や慶尚北道蔚珍郡の一帯に侵入していた北朝鮮の武装ゲリラに、江原道平昌郡に住んでいた李承福君の一家4人が惨殺された事件だ。

 今回設けられた展示コーナーは、98年秋に「68年の李承福事件に関する朝鮮日報の報道は誤報だ」とする虚偽の内容の展示会がソウルと釜山で開かれて以降の関連記事が年度別に整理されている。本紙の報道が事実であることを検証した98年の記事、平昌郡の住民たちの怒りの声、民事・刑事両面での法的手続きなどに関する記事が順を追って並べられている。また、1・2審や刑事裁判(2006年11月)と民事裁判(今年2月)の上告審の内容も展示された。展示コーナーの入り口には、李承福事件や92年に登場した「でっち上げ説」、98年の「誤報展示会」、その後の訴訟の過程について簡単に整理した案内板も設けられた。

 李承福記念館は今回の展示コーナーを設けることで、李承福君やその遺族、地域住民たちの名誉回復を目指す意向だ。そのため、当時の武装ゲリラ侵入事件について紹介する映像も新たに公開した。また、李承福君が通っていた束沙小学校桂芳分校(98年廃校)の校舎にも、当時の写真や教科書などを展示している。このほか、草花の写真66点を展示するなど、動植物に関する学習コーナーも見て楽しめる形態に改めた。

 李承福記念館のパク・ヨンフン館長は「この展示コーナーを設けたのは、でっち上げ説が虚偽だったという事実を広く知らしめ、今回の事件によって傷付けられた多くの人々の名誉を回復させるのが目的だ。“でっち上げ説は間違いだった”ということを知らしめる展示コーナーを、修学旅行や調べ学習のために記念館を訪れる児童・生徒たちがつぶさに見てくれている」と話した。

 大法院は刑事裁判(06年11月)と民事裁判(今年2月)の上告審で、「68年12月9日、李承福君の一家4人が北朝鮮の武装ゲリラに殺害された事件は、李承福君の“共産党は嫌いだ”という発言が発端になったという、当時の朝鮮日報の報道は事実だ」と認定した。


李承福(イ・スンボク)記念館に新たに設けられた展示コーナーで、パク・ヨンフン館長が本紙による真実の報道について説明している。/写真=ホン・ソピョ記者

ホン・ソピョ記者

http://www.chosunonline.com/news/20090603000062

ちなみに、下記の記事にある「李承福記念館」については、このようなブログ記事も見つかった。

http://araki.way-nifty.com/araki/2005/05/post_a5ee.html