こどもと、おとなと、成熟するということ。

内田樹センセのブログでは何度も目にしていることではありますが、改めて思うところに触れることがあったのでクリップ。

子どもは何としても成熟させなければならない。

それは成熟が子どもに生き延びるチャンスを与えるからだけではない。

「成熟しない子どもたち」ばかりが成員になったとき、共同体が生き延びるチャンスもまた減じるからである。

「子どものままであること」は、子ども自身にとって危険であるだけでなく、そのような子どもを大量に抱え込む社会そのものにとっても危険なのである。

子どもとは「自己利益の追求だけを優先する」存在のことである。

子どもはそれでよろしい。ちびちゃんなんだから。

でも、共同体が存続するためには、「自己利益の追求と同様の熱意をもって公共の福利を配慮する」存在が一定数存在しなければならない。

それが「おとな」である。

http://blog.tatsuru.com/2009/11/01_1106.php

まあ確かに「子どもの全員が「おとな」になる必要はない」のだけど、そんな調子で「子ども」のままでいられたら、周りが迷惑です。

私のことはどうでもいいですから、広く他人様に恩返しすることを考えられる人間に、なってほしいと思っています。