哲学の道のための弁明

哲学の道はただの道

 京都に「哲学の道」という観光コースがある。案内のパンフレットには、哲学家が瞑想(めいそう)しながら散策した場所、と書かれていた。数年前に京都に出張した際、素敵な名前に引かれて出かけたところ、少々がっかりした記憶がある。趣のある小道だったが、バスを乗り継いでまで行くほどの場所ではない感じがした。

 日本の「文化装飾術」は卓越している。平凡な小道に若干のストーリーを加え、「哲学の道」といったたいそうな名前で売り出すのを見るにつけ、われわれは恥ずかしくなる。立派な素材がありながら、包装が下手でまともに認めてもらえないわれわれは、純真なのか、それとも愚かなのだろうか。

http://www.chosunonline.com/news/20091101000023


こんな感じのベタな季節ではなくともいいんですけど、哲学の道を愛する私から言わせてもらうと、期待の仕方に問題があったんではないですかねー?

というか、この方は何を期待してたんでしょうか。

まあでも、考えてみれば、観光客なんか来ない季節のほうが、私は好きですね。桜の時期は諦めるとしても、がっかりさんが増えてくれたほうが私には好都合なのかも知れません。

ということで、弁明は中止します。