南山公園から孝昌公園まで歩く

頭痛に吐き気までしてきたので昨晩は早々に寝た。そのおかげか、朝起きてみたら体調も回復していた。やはり、明洞から孝昌公園までぶっ通しで歩き続けた疲れが出たのか。


昨日、まずは明洞からアニメーション博物館・崇義女子大学*1をかすめて、安重根記念館の工事現場へ。

こちら側から記念館へ向かうときには、この階段を上がることになる。


旧記念館の後方に新記念館を建築中。規模はおそらく、後述の孝昌公園にある金九の記念館とほぼ同等になるのではないかと思われる。
これ以外にも南山公園は、「南山ルネッサンス」と称して、自然回復と城郭復元の工事が各所で行なわれているところだ。

さて、安重根記念館工事現場から金九の銅像を見つつソウル駅側に降りて、線路沿いに南へ向かう。確認がてらに南営駅近くの旧公安分室の建物を一瞥したあとは、少し北に戻って淑明女子大学校前の坂道を上がって孝昌公園へ向かう。
以前にも書いたとおり、ここには臨時政府要人・三義士そして金九の墓所があり、彼らのためのこのような祀堂もある。

三義士の墓があるところには、安重根の仮墓も置かれている。したがって、安重根の新記念館が落成した暁には、安重根と金九を軸に南山公園と孝昌公園が何らかの意味で連携した位置づけがなされることになると思われる*2

そこで、金九の記念館である白凡記念館である。2002年に完成した建物は、今でもたいへん綺麗に維持されている。

無料ながら、二層にわたる展示は、韓英中日の4言語による説明がほぼ完備している。丁寧な作りこみが感じられるその展示を通して見学すれば、金九という人物の生涯を朝鮮半島近代史と絡めながら知ることができる。
展示の中には安重根一家との関わりあいが述べられている展示もあった。安重根の新記念館でもおそらく、これに呼応する説明展示があるのではないか。

京橋荘で写された写真も、現地を知った上で眺めると、また違った見方ができる。
いずれにせよ、安重根と金九、南山公園と孝昌公園は今後、さらに絡み合って変容していくものと思われるので、引き続き観察していきたい。


ちなみに、孝昌公園内の孝昌運動場ではソウル市のサッカー大会の試合が行なわれていた*3

人工芝だからこそ、こんな風に雪かきするだけで試合ができるんだろうけど。

それに加えてフィールドの硬さも影響しているのか、思いっきりスライディングするわけにはいかないような感じのプレイだった。氷点下の気温だったし、この寒さでは無理もないか。

とは言え、設備の老朽化は感じられるものの、木洞と同様、やはりここも歴史ある大事なフィールドなのだ。代表やKリーグレベルでは使われないだろうにせよ、簡単に撤去して終わりというわけにはいかないと思う。

*1:ここは、かつての京城神社境内であったらしい。こちらを参照。

*2:その他にも、目立たないが反共関連の記念碑が両公園ともに存在している点にも注目される。中期的視点で見れば、これらの記念碑はある程度、これらの地の意味づけにおいて意味を持ってくるかも知れない。

*3:おそらく中学生の試合。