忘憂里公園墓地の日本人

「こんなことばっかり」と我ながら思いつつ、今日もこういうところへ。

ただし今日は、九里市側から忘憂里へとアプローチ。九里市庁脇の入口を見つけさえすれば、そこから例の公園墓地の循環路まで登ることができる。いくつか道は分かれているが、どれを通っても最終的には登りつけるはず。

ただし今日は、凍った雪でつるつるに滑り、融けた雪でどろどろにぬかるんでいて、散歩程度のつもりでこのルートを選んだことをものすごく後悔した。


ともかく、今回の目的は、前回見つけられなかった浅川巧の墓を探し当てることにあった。その後、『그와 나 사이를 걷다: 망우리 비명으로 읽는 근현대 인물사』を買い、そこに載せられている地図を頼りに、無事その墓を見つけることができたので、そのポイントについてメモしておくことにする。

浅川の墓は、その場に何の表示もないので見つけにくいが、ヒントは漢江を東に見下ろすこの光景と、循環路脇のこの薬水泉である。


この水源の周りには有名人の墓地を示す碑石が3基ほどあるので、それもヒントになる。
とにかく、このポイントを見つけ、周囲の山側を注意深く眺めてみると、壷のようなものが見えるはず。それが浅川巧の墓の目印になる。




そして、ここからさらに漢江を見ながら南へ歩いていくと、別の薬水泉の案内表示の近くに、別の日本人の墓がある。



斎藤音作。朝鮮総督府で山林課長などを務めた官僚であったとのことだが、今日訪れたときには、墳墓の前にシートを敷いたあとなどがくっきり残っていた。どうやら、このソルラル連休の間に祭祀もしくは墓参が行なわれていたと思われる。

ちなみに、墓石の裏には「昭和十一年六月」とある。

そして最後に、斎藤の墓の近くの道路脇に、明らかにそれと見える日本式の墓石が立っている。

欠落、というより明らかに削られた部分があるのだが、正面以外の3面には何の刻字もなく、残念ながら詳しいことはよくわからない。


以上、ここを訪れる人の参考になれば幸いである。