南山の安重根像

わかったようなわからないような主張ですが、この手の話、『朝鮮日報』は好きですねえ。前にも柳寛順の銅像で同じようなこと書いてましたよ。

柳寛順の銅像をめぐるソウル市の言い訳

うーん。で、けっきょく、何が問題なんですか?私には、読んでもよくわかりません。

記事入力 : 2010/06/22 17:02:05
【コラム】南山の安重根像を取り壊すな(上)

 ソウル市は、南山の安重根(アン・ジュングン)像を撤去し、6億ウォン(約4600万円)を投じて新しい銅像を建てることを決めた。安重根伊藤博文・韓国統監府初代統監を狙撃した事件から昨年で100周年を迎え、安重根記念館が今年10月に新築オープンするのに合わせ、従来の銅像も取り換えようというものだ。ソウル市は、この理由について、「現在の銅像が建てられてから40年が過ぎ、腐食やひび割れも多く、偉人の品格が落ちたため」と話している。

 新しい安重根記念館は、3年間で約7800人から22億ウォン(約1億7000万円)を超える寄付が集まるほど、国民的な共感の下に新築される。しかしこれは、国民のほとんどが、狭い記念館を建て直し、より多くの人々が訪問できるようにしようという考えに共感したからに過ぎない。安重根像を新たに建て直そうという話は耳にしたこともなければ、同意した覚えもない。そのため、突然降ってわいた銅像の建て直し計画に、首をかしげるばかりだ。

 海外の広場や公園にも、数百年前に建てられた銅像が今も整然と存在するが、ひび割れや腐食を理由に取り壊し、建て直したという話は聞いたことがない。屋外にある青銅製の銅像は、雨にぬれてさび付き、ハトなど鳥が止まった跡も残るものだ。まだ40年しかたっていない銅像が、ひび割れてさび付き、偉人の品格を落とすほどの状態になったというなら、それはほかでもなく行政当局の問題だ。管理の不行き届きを反省し、今後きちんと管理する体制を整えるべきなのに、それを取り壊して、建て直すというその発想自体が驚きだ。

 安重根像の撤去計画は、ソウル市が光化門にある李舜臣(イ・スンシン)像については内視鏡や3Dスキャナーなどを駆使し、物々しく修復工事を行っている状況とも相いれない。まったく同じようにひびが入り、腐食しているのに、一方は大々的に修理され、もう一方は簡単に取り壊されてしまうという違いはどこから生じるのだろうか。

http://www.chosunonline.com/news/20100622000061

記事入力 : 2010/06/22 17:02:40
【コラム】南山の安重根像を取り壊すな(下)

 安重根像はもともと1959年に崇義女子高校の校庭に建てられ、67年に現在の場所に移動された。安重根記念館はそれから3年後の70年に建設された。当初安重根像を建立し、これを南山に移す際には、数多くの学生・軍人・市民たちからの寄付が使われた。後に記念館を建て直すとして、南山を安重根の聖地にした立役者である安重根像までも取り壊してしまうことは、本末転倒というものだ。

 もしこの計画が、ソウル市が安重根像を作った彫刻家・金景承(キム・ギョンスン)の「親日派問題」をめぐる一部社会の問題を一掃するためというならば、これはさらに大きな問題だ。金景承は数年前、左派が取り壊しを訴えた仁川市内のマッカーサー将軍像の制作も手掛け、親日派人名辞典編さん委員会は昨年、同氏を親日派芸術家リストに入れた。だが、忘れてはならないのは、金九(キム・グ)、安昌浩(アン・チャンホ)、李商在(イ・サンジェ)、チョン・ボンジュン、世宗大王など、韓国を愛し、その礎を築いた数多くの偉人の銅像が、金氏の手によるものだという事実だ。国立4・19民主墓地(ソウル市江北区)にある学生革命記念塔も金氏の作品だ。1950年代から60年代にかけて生きた人々は、金景承の日本占領末期の活動を知らずに寄付金を集め、国の予算を投入して偉人たちの銅像制作を託したのだろうか。安重根像が金景承の作品だからという理由で撤去されるのならば、ほかの偉人たちの像はどうすればいいというのか。

 南山に建つ安重根像は、それ自体が一つの歴史だ。幼いころ、南山に行くと安重根像の前で襟を正し、「滅私奉公」「為国献身」という安重根精神を思い起こしつつ、愛国心を胸に刻んだ国民がどれだけ多いことか。一度作られた歴史を、まるで服を着替えるかのようにいとも簡単に取り壊し、建て直そうとするソウル市の姿勢を憂える。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

http://www.chosunonline.com/news/20100622000062

問題の「安重根銅像」というのは、こちらになります。新記念館の工事が始まる前、2009年1月の写真です。