「芸能兵士」の苦労と苦悩

クリップしそびれていたこのニュース。

兵役逃れを言われては叩かれ、入隊して芸能兵士になったらなったで叩かれで、実に難儀なことです。

芸能人でない人にとっては、自分が傷つかずに他人事としてどうとでもこねくり回せる対象なんでしょうね。

記事入力 : 2011/02/04 12:01:59
徴兵:芸能兵士たちの過酷な現実(上)

 「軍の慰問イベントをめぐり、“声帯結節”ができた」(歌手キムC)
 「芸能兵士を現役として認めない雰囲気にがっかり」(歌手PSY)
 「簡易テントでサイン会。カッコいいイメージが崩れた」(俳優A)

 ドラマ『シークレット・ガーデン』の主人公として爆発的な人気を集めたヒョンビン(28)が、海兵隊への入隊を志願したことが分かり、賛辞が相次いでいる。本紙1月13日付既報。

 前線の捜索大隊で服務し、2009年2月に除隊した歌手キム・テウ(30)は、いわゆる「芸能兵士(国防広報院広報支援隊員)」の面接試験を受けたが、抜てきされる直前、「野戦生活をする捜索隊員として任務を果たす」と考えを変えた。キム・テウは師団長や軍隊長からの表彰状や華川軍守感謝の盾を手にし、見事に除隊した。「信念のある軍生活」で注目されたキム・テウは、負担を感じているかのように、こう話した。「実際に一般兵士ではなく、芸能兵士だからといって、楽に軍隊生活を送っているわけではない。どの軍隊でも同じように大変だ」

 国防部のある関係者は「大変なのは同じだが、一般人は“芸能兵士”というと、“楽に軍隊を終えた”という厳しい目で見る」と話した。「射撃、遊撃訓練も同じように行うが、正しく認識されていない。そのためか最近はむしろ、“イメージ管理”のため、野戦生活を選ぶ芸能人も増えている」

 歌手ノ・ユミン(30)=09年11月除隊=は「一時期、芸能人の間で“芸能兵士には絶対になるな”という話が出回った」と語った。「以前、ある歌手が軍のイベントにしばしば出席し、声帯結節ができたらしい。大変なのは同じなのだから、どうせなら“楽している”と非難されるより、一般兵士になった方がいいという話が出たのでしょう」


「オレンジ色の生活服」を着用した芸能兵士の姿。イケメンスターも髪を切り、軍服を着たら、たちまち「軍人」だ。ノ・ユミン(小さい写真の一番左)、キム・ジェドク、ヤン・セヒョン、PSY(2列目左から)、ソ・ジェギョン(2列目一番右)、ペク・ポンギ、トニー・アン、ヨ・ヒョンス(上段右から)が目立つ。真ん中の女性はイ・ジユン中隊長。/写真=ホ・ヨンハン記者

http://www.chosunonline.com/news/20110204000025

記事入力 : 2011/02/04 12:02:10
徴兵:芸能兵士たちの過酷な現実(中)

 歌手PSY(33、本名パク・ジェサン)=09年7月除隊=は服務中、「芸能兵士を現役として認めない雰囲気があったため、がっかりしたことがある。芸能人が現役の一般兵士として除隊すれば拍手されるが、僕は毎週、将兵らの前で公演を行い拍手される、と自分を慰めた」と打ち明けた。

 芸能兵士と呼ばれる「国防広報支援隊員」は、将兵70万人の士気を高める役割を果たす、一種の「特殊部隊」だ。1995年に創立したが、前政権から軍の映画やミュージカル制作など、芸能人のイメージを積極的に活用し始めた。

 現在イ・ドンゴンイ・ジュンギなど17人の隊員が、ソウル市竜山区竜山洞の国防部兵営内で生活し、慰問公演や国軍放送、軍のミュージカル、国軍映画などに出演している。社会で歌手、俳優、コメディアンとして活動していた人が多く、コンピューターグラフィッカーや作曲家、マジシャンもいる。

 国防広報院が一般部隊から選ぶが、競争率は最高10分の1を超えるという。広報支援隊側は「昨年は特にイベントが多く、隊員たちが約250件の公演を行った」と話した。

 俳優コン・ユ(31、本名コン・ジチョル)=09年12月除隊=は「一般の部隊にいたときからイベント出演の依頼がとても多かったため、7カ月後に広報支援隊に移った」と話した。

 俳優ペク・ポンギ(30)=09年5月除隊=は捜索大隊で6カ月服務した後、芸能兵士に志願したケースだ。


2009年初め、国防部が公開した広報支援隊員の内部班での姿。/写真=ホ・ヨンハン記者

http://www.chosunonline.com/news/20110204000026

記事入力 : 2011/02/04 12:02:24
徴兵:芸能兵士たちの過酷な現実(下)

 ペク・ポンギは「芸能人は大体20代後半から30代前半で軍隊に行くため、大変なことが多い」と話した。「芸能人として生活しながら人々からもてはやされ、ちょっとしたこともマネージャーがしてくれることに慣れていたが、実際に入隊すると、ただの二等兵にすぎないではないか。一般の部隊に適応できず、まさに“芸能人のように”ふるまい、20代前半の先任兵から厳しくされたり、むしろ先任兵や後任兵が芸能人に遠慮して、無理に入れない場合もある」

 知名度が低かったペク・ポンギは芸能兵士としての生活を通じて、芸能界の人脈を築き、社会生活も学び、“芸能活動の感覚”を失わなかったという。「ラジオのDJ、イベントの司会、現場リポートなど、それまでできなかった仕事もやってみたら、スキルがアップし、一時国軍放送の“ユ・ジェソク”と呼ばれた」と話した。

 しかし、同じ状況に不満を持つ芸能兵士の方が多い。あらゆるイベントに呼ばれることで、これまで積み重ねてきた「イメージ」が崩れはしないかと、ストレスを受ける。これまで作品を通じて神秘的で真摯(しんし)なイメージを築いてきた俳優Aは「ある部隊でマラソン大会が行われたとき、簡易テントで村の住民たちを対象に、みすぼらしい姿でサイン会を行わなければならず、不満が多かった」と話した。

 ノ・ユミンは「一部の芸能兵士は、普段見向きもしない仕事を頼まれると、“軍隊で芸能兵士の労働力を乱用しているのではないか”と不満を持ったり、“外でこのような仕事をしたら、年間1億ウォン(約730万円)を稼げる”と訴えたため、周りの仲間がなだめて説得した」と話した。

 「状況がよくないときもあるが、まさにできないことがないのが軍隊ではないか。僕も、マイクも伴奏もなく、“アカペラ”で公演をしたことがある。スタイリストがいないため、服も自分で用意し、BBクリームを持ち歩いて自分でメークしていた。いつも誰かがやってくれていたことなので、勉強になった。PSYさんは、頼まれてもいないのに、公演のとき自発的に14曲も歌っていた」

 ある俳優は「芸能人が集まっているからといって、規律が弱いと考えるのは間違い。入隊前は親しくしていたが、先任兵長として会ったある俳優とは、現在連絡も取らない間柄になった」と話した。「兵長がテレビを見ていたとき、その前を無意識のうちに通り過ぎたところ、ひどい目に遭った。机の上にあった物をすべて投げ捨てながら怒り出して。当時は軍紀が厳しかったため、静かに生活していたが、除隊後、心にモヤモヤが残った」

ハン・ギョンジン記者

http://www.chosunonline.com/news/20110204000027