今年の「4.19」の主役は

今年は51周年ということになりますね。


4・19革命記念式

1960年に発生した学生による反政府・反不正闘争、4・19革命(四月革命)から51年を迎え、ソウルの国立4・19民主墓地では記念式が開催された=19日、ソウル(聯合ニュース

http://app.yonhapnews.co.kr/YNA/Basic/ArticleJapan/ArticlePhoto/YIBW_showArticlePhotoPopup.aspx?st=20110419135754&contents_id=PYH20110419056600882

今年の主役は、この人ではありませんでした。参拝も報道もあっさりしたもんです。

掲げている花輪も、ここで見たのと同じお決まりのものですね。さすがにピンクの花輪ではなかったようです。


李大統領、4・19民主墓地を参拝

1960年に発生した学生による反政府・反不正闘争「4・19革命(四月革命)」から51年を迎え、李明博(イ・ミョンバク)大統領がソウルの国立4・19民主墓地を参拝した。献花する李大統領=19日、ソウル(聯合ニュース

http://app.yonhapnews.co.kr/YNA/Basic/ArticleJapan/new_ArticlePhoto/YIBW_new_showArticlePhotoView.aspx?contents_id=PYH20110419009200882

記事入力 : 2011/04/19 13:59:44
李大統領、4・19民主墓地を参拝

 李明博(イ・ミョンバク)大統領は19日午前、四月革命(1960年4月19日、不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件)51周年を迎え、ソウル市江北区内の「国立4・19民主墓地」を参拝した。昨年は50周年記念式典に出席しあいさつをしたが、この日は10分ほど参拝して墓地を後にした。

権大烈(クォン・デヨル)記者

http://www.chosunonline.com/news/20110419000057

今年の主役はなんと言っても、こちら。

韓国初代大統領の遺族、革命犠牲者に謝罪できず
2011/04/19 14:42 KST

【ソウル19日聯合ニュース】韓国の初代大統領、李承晩(イ・スンマン)氏の遺族らが李政権下で起きた反政府闘争の4・19革命(四月革命)から51周年を迎え、革命の犠牲者が安置されているソウル市内の国立墓地を参拝しようとしたが、犠牲者団体に阻止され果たせなかった。

 4・19革命は1960年、不正選挙に反発し学生らが立ち上がったもので、警察の発砲により183人が死亡、数千人がげかをした。革命により、李元大統領は辞任した。

 李元大統領の遺族らは当初、国立墓地を参拝し、4・19革命の際になくなった学生らの遺族に謝罪する声明文を朗読する予定だったが、犠牲者団体の会員数十人から激しく抗議され、制止された。

 李元大統領の遺族は取材陣に対し、「本当の謝罪をするために来た。われわはこのような葛藤(かっとう)を乗り越えなければならない」と述べた。

 これに対し、犠牲者団体の会員は「謝罪ではなく、政治的なショーだ。謝罪したいなら、遺族に静かにすればいい」と批判した。


李元大統領の遺族が乗ったバスを阻止する犠牲者団体の会員=19日、ソウル(聯合ニュース

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/04/19/0200000000AJP20110419002300882.HTML

4・19団体、李承晩元大統領遺族の参拝を阻止
APRIL 20, 2011 09:19

「ここがどこだと思って来たのか」

19日午前、4・19革命51周年を迎え、行事の準備が行われていたソウル江北区水踰洞(カンブクク・スユドン)の国立4・19民主墓地に怒鳴り声が響いた。1台の黄色の小型バスが墓地の入口に入ってくると、70代の老人約30人がバスを阻止した。彼らは、「殺人者が殺した人の命日に何をしに来た」とバスを足で蹴り、強く抗議した。バスで来た人々は、「建国大統領李承晩(イ・スンマン)博士記念事業会(記念事業会)」の会員たち。一緒に来た李承晩元大統領の養子の李仁秀(イ・インス)博士(80)は、何とかバスから降りたが、彼らに押され、墓地の外に追い出された。

●失敗に終わった謝罪

同日、4・19革命犠牲者や遺族に謝罪するために墓地を訪れた李博士と記念事業会会員らは、到着して10分も経たずに追い返された。

4・19民主革命会(革命会)と4・19革命犠牲者遺族会遺族会)、4・19革命功労者会(功労者会)の3団体の関係者は、未明から墓地を守り、「(記念事業会の人々に)中に入らせない」と述べた。これら団体は18日、記念事業会が明らかにした謝罪意思表明に対して、「真正性のない謝罪を拒否する」という声明を発表している。

革命会会員の李ヨング氏(72)は、「他人の命日に許可もなく51年経ってやってきて、申し訳ないと声明を発表するなんてことが許されるのか」と憤った。功労者会の朴ヒブ氏(73)も、「本当に申し訳ないと思うなら、墓地の外で黙祷だけして帰るべきだ」と怒りを表した。

警護員に囲まれ、墓地を出て行った李博士は、「今こそ和解できる時だと考えた。手遅れになる前に謝罪したかっただけだ」と述べた。李博士は、李元大統領が暮らしていたソウル鍾路梨花洞(チョンノク・イファドン)の梨花荘で謝罪声明を朗読し、「51年が経って下した決定を4・19関連団体が受け入れないことは実に残念だ」と述べた。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011042015998

「4.19」関係団体がこんな風に非常に「熱い」のは周知の事実だと思うんですが、こんな事態を招くことを李承晩元大統領の遺族側が予測していたのかいないのか、よくわかりません。

結論として、今回については残念なすれ違いに終わったということになるのでしょうか。これが長い道のりの第一歩になるのか、これっきりになるのか、それは今後次第でしょう。個人的にはどちらの可能性もあると思います。

4・19団体「李承晩元大統領家族の謝罪、真正性がない」
APRIL 19, 2011 10:40

李承晩(イ・スンマン)元大統領の家族が、51年が経って4・19革命の犠牲者と遺族に謝罪するという考えを明らかにしたことを受け、18日、4・19関連団体は「一方的な謝罪を受け入れることはできない」と強く反発した。

社団法人建国大統領李承晩博士記念事業会と李元大統領の養子の李仁秀(イ・インス)博士は17日、革命犠牲者と遺族に謝罪し、19日にソウル江北区水踰洞(カンブクク・スユドン)の国立4・19民主墓地を参拝すると明らかにした。

4・19民主革命会と4・19革命犠牲者遺族会、4・19革命功労者会の3団体は18日、「李承晩追従者の謝罪は真正性がない」というタイトルの報道資料を通じて、「謝罪を受け入れることはできない」と明らかにした。3団体側は、「51年間、何の言葉もなかった李元大統領側が突然4・19遺族に対して謝罪声明を発表すると言ってきた。李元大統領側が本当に謝罪の気持ちがあるなら、公聴会を開いて(謝罪に対する)国民世論を聴くべきだ」と主張した。

4・19民主革命会のオ・ギョンソプ会長は同日、東亜(トンア)日報の電話取材に対して、「被害者と事前に一言の相談もなく声明を発表することがあるだろうか。あまりにも一方的なので、非常に不愉快だ」と述べた。さらに、「今回のことは、革命遺族や被害者に、再び銃を向けることだ」と述べた。4・19革命功労者会の李ギテク会長は、「謝罪の前に国民公聴会を開き、李元大統領に対する歴史的過ちから整理するのが正しい順序だ」と述べた。

これに対して、李承晩博士記念事業会の金イルジュ事務総長は、「勇気を出して謝罪の意思を表わしたが、真正性がないと非難され、残念だ。4・19国立墓地は、誰でも自由に行くことができる場所なので、19日の参拝は予定通り行う」と述べた。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2011041996948

「51年ぶり」李承晩元大統領の遺族が4・19犠牲者に謝罪へ
APRIL 18, 2011 10:03

李承晩(イ・スンマン)元大統領の遺族が、51年ぶりに初めて1960年に起きた4・19学生革命で不正選挙に抗議して警察の銃弾に当たって死んだ学生たちの墓地を参拝して謝罪することにした。

社団法人建国大統領李承晩博士記念事業会と李元大統領の養子、李仁秀(イ・インス)博士は17日、19日の午前9時にソウル市江北区水踰洞(カンブック・スユドン)の国立4・19民主墓域を参拝して献花し、4・19犠牲者と遺族に謝罪する声明を発表すると発表した。

声明は、外国出張中の李基秀(イ・ギス)記念事業会長(元高麗大総長)に代わって李仁秀博士(記念事業会副会長)が読み上げる予定だ。

記念事業会は、すでに配布した声明を通じて、「当時、政府の間違いで犠牲になった学生や遺族たちに頭を下げて弔意を表す。今後、4・19遺族会など関連団体と力を合わせて当時の間違いを反面教師にして国の発展に貢献したい」と明らかにした。

4・19革命犠牲者遺族会は、これまで同記念事業会に正式に謝罪を要求してきた。しかし記念事業会は、数十年間、時期が適切でないとして拒んできた。

事業会による謝罪は、今年2月、会長に就任した李基秀氏が強く主張して実現したという。昨年12に始まった李承晩記念館や銅像建立のための国民署名運動が100日ぶりに41万人あまりが署名に参加するなど、国民の支持が集まっると、李会長は「李元大統領の功績を振り返ることだけに、責任を突き止め、歴史を確かめることも必要だ」と話した。

事業会は同日配布した報道資料の中で、「大韓民国は当時学生たちが流した血の対価として世界どの先進国にも劣らない民主化を遂げた。経済的にも主要20ヵ国(G20)首脳会議を開催するほどの大国に成長した」とし、4・19革命に意味を与えた。

事業会の金一柱(キム・イルジュ)事務総長は、「李元大統領は、生前に『私が受けるべき銃弾を君たちが受けた』『青年が不義に抗議しなければ希望がない』と述べるなど、4・19革命の意味を高く買い、学生たちの犠牲を残念に思っていた」と話した。これに対して4・19革命犠牲者遺族会は、「まだ声明内容などに関する検討が終わっていないので、今すぐのコメントは難しい」との明らかにした。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011041877638