産経・黒田さんの朴槿恵「嬢」の話

この記事、「夕刊フジ」のサイトに載っていたんですけど、同紙の紙面にも掲載されていたんですかね?

今回の大統領選挙に関する黒田さんの記事の書きぶりには正直「うーん」というところがあったんですけど、それはたぶん、朴槿恵を熱烈に支持する人々の心情をご本人も自らのものとしていたことに起因すると思われます。397世代にとっては「妄言」でしたでしょうし、保守高齢者層にとってはそうではなかったはずです。

ただ、それはそれとして、また、それで「日韓関係が何とかなる」かどうかはともかくとして、この記事は時代の証言として興味深いですね。

【から(韓)くに便り】朴槿恵嬢と安倍氏の「縁」 ソウル駐在特別記者・黒田勝弘
2012.12.24


父親の朴正煕元大統領(右)と写真に納まる朴槿恵氏 =撮影日時、場所は不明(ロイター)

朴槿恵嬢と安倍氏の「縁」

 産経新聞社ソウル支局は京郷新聞社ビルの10階にある。その11階に「正修奨学財団」の事務所がある。「正修」とは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の「正」と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の「修」からきた名称である。

 つまり今回、大統領選で当選した朴槿恵(クネ)さんの両親を記念する財団で、彼女はその理事長を長くやっていて、政治家になる前は週に1回ほど事務所に顔を出していたように思う。当時のいわば唯一の“勤務先”だった。

 同じビルだから時にエレベーターで乗り合わせたり、事務所で何回かインタビューしたこともある。

 当時、文章を書くのが好きとかで、エッセイスト(随筆家)になりたいと、何冊かの随筆集があり、サイン入りでもらった。3年前、筆者が韓国で出版した食のエッセー『おいしいおしゃべり』をお返しの意味で送ったところ、ていねいなお礼の電話がきた。

 彼女はおしゃべりの方ではない。黙ってにこやかに話を聞く方だ。

 軍人出身の父は寡黙な人で知られた。人にじっくり話をさせるタイプで、それを聞いて後は黙って決断という指導者だった。彼女もそれに似ているかもしれない。政治家になった後、周辺やマスコミから「もっと疎通を」と注文されていたのはそのせいだろうか。

 品のある笑顔は実に魅力的で、独身を保ってきたということもあって、筆者は彼女については「パク・クネ・ヤン(朴槿恵嬢)」と言ってきた。もちろん本人にはいわないが…。今や政治家いや大統領として貫禄十分だが、筆者を含め同じ世代の韓国人にとっては今でも「ヤン(嬢)」のイメージである。

 ところで父・朴正煕大統領は1965年、日本との国交正常化を決断したことで知られる。日本の協力で韓国の発展の基礎を築いたが、韓国では反対派から「親日派」と悪口(!)をいわれ続けた。

 彼は当然、日本の政財界要人とは付き合いがあった。しかし60年代から70年代にかけ18年間もトップの座にありながら、日本のメディアとのインタビューはほとんど受けなかった。

 極めて異例な会見の相手の一人は、フジサンケイグループ鹿内信隆議長だった。なぜ産経新聞だったかというと、日本のメディアのほとんどが当時の韓国を「独裁政権下の暗黒社会」と否定的に伝えていたなかで、産経がほぼ唯一、韓国の経済発展と近代化の国造りを高く評価していたからだ。

 その韓国の経済発展を支援した日本の要人の一人である岸信介・元首相から生前、聞いた話がある。朴大統領は政権初期、岸さんに会ったとき「自分は幕末の吉田松陰高杉晋作の心で国造りをしている」と語ったというのだ。

 これは岸さんが山口県、つまり長州出身であることを知った上での発言だった。このあたり朴大統領は実に心憎い。

 岸信介・元首相は、近く首相就任が予定されている安倍晋三自民党総裁の母方のおじいさん(外祖父)である。「安倍晋三朴槿恵」にはそんな歴史的な因縁がある。日韓は戦後、恩讐(おんしゅう)を超えて国交正常化し、それが間違いなく韓国の発展につながった。これを確認し合えば安倍・朴槿恵時代の日韓関係は何とかなるだろう。(ソウル駐在特別記者)

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20121224/frn1212241801003-n1.htm

韓国を食べる (文春文庫)

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