独立紀念館の〈完成形〉を、どう見てどう楽しむか

1988年、忠清南道天安市に開館した独立紀念館。今年で25周年となりますが、個人的に初めて訪れたのは2001年のことです。

開館当時は訪問者の熱気もあふれる「名所」でしたが、その熱気も急激に冷めていき、2001年の初訪問時には、開館当初からほとんどリノベーションもなかったであろう施設の〈寂れ感〉はかなりのものがありました。そうした事情は、どうも2008年頃まで、ほとんど変わらずにきていたようです。

「光復節」に独立記念館のことを考える。

で、そこにてこを入れたのが、李明博政権。国立墓地をはじめとする報勲施設全体の改革にも力を入れてきたこの政権下で、独立記念館の改革にもようやく手が付けられました。

第1展示館から第7展示館に立体映像館まで、順次進められていた展示観覧施設の改装工事が完了したのが2011年。それまでに訪れたときの覚え書きは、このあたりにあります。

独立紀念館よ、どこへ行く…

独立紀念館のラビリンス

ちなみに現在は、紀念館の入口周辺に便宜施設を新設する工事が進行中です。



で、今回、改めて訪問したのは、その改革の「完成形」を確認するためでした。とは言え、2010年時点でも第2〜第6展示館と立体映像館はすでに完成していましたし、第7展示館はほぼ企画展示館となっていますから、実際には「新装なった第1展示館を含めて改めて全展示を通覧してみて、何を感じることができるか」を再確認する、という作業です。




写真について展示館順に並べるのは以下略すとして、結論から言えば、2010年に感じたものと変わるところはほとんどありません。まあ予想できたことではあります。

古代から朝鮮時代までを扱う第1展示館を含めて、個別の文物やトピックスについての展示は、以前よりも集積されて充実していると思うのです。ですが、その結果として、それらが相互にどのようにつながりあい、また「韓民族の歴史」なり「大韓民国の独立」なりとどのように結びついてくるのか、についての理路は、やはりさっぱり見えてきません。

大韓民国はどのようにして独立を果たしたのか」とか、「そもそも『独立』とは何か」とか、そういった根本的な疑問からして、ここの展示から何か「答え」を導き出せるかどうか。「偉大な先人たちの事績」の「がらくた箱」と化しているこの現状からすると、いささか怪しいところがあります。

とすると、この施設は、例えばクイズ番組のネタとなるような細かい知識をランダムに吸収する「歴史雑学王」養成のための場であるとか、マニア的・カルト的な発見を楽しむための場であるとか、そういった目で見たほうがいいのかも知れません。当事者の方々にとっては、たぶん不本意であると思いますけど、私自身はこうした展示の現状を「間違っている」とか「正すべきだ」とか「あるべき形から外れている」などと糾弾したいわけではありませんので、わりと真面目に前向きに書いています。

ただ、その際にも、現状では、虐殺現場の再現模型をガラス越しに踏まずにはスロープを通れないとか、独立軍になって日本軍を撃つという射撃体験ゲームが展示の仰々しさを大いに損なう軽薄さで設置されていたりとかいう、やや悪趣味で不快な現実にもぶつかることになります。論理的で科学的で整合的な展示などは求めても筋違いというもののようですけど、せめてこれくらいは改善してもらえませんでしょうかねえ。