韓国の教科書戦争の行方は

部外者である私にしてみれば、韓国の「教科書戦争」の個々の局面の戦況にさほどの興味はありません。ただ、大きな流れとして、どちらの陣営にも今や相手方を「殲滅」するだけの力はないし、それができる環境や条件もない、ということは言えそうです。

お互いにお互いを見ていると何だかんだで不愉快な気分になるにしても、「そういう立場の人たち」と共存して折り合いをつけて、やってくしかないでしょう。そうした「折り合いのつけ方=戦争の終わらせ方」に、今後は注目していきたいと思います。

まあ、すぐに折り合いがつくとは思っていませんが。

記憶すべき歴史だけ記述した…左・右の教科書戦争60年=韓国(1)
2013年10月21日11時07分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

「想像してほしい。米国史の授業にジョージ・ワシントンがわずかに出てきて、初代大統領として紹介もされない状況を。女性団体の全米女性機構の創立は扱い、米国議会の開始は言及しなければ…」。

1994年10月20日、ウォールストリートジャーナルに掲載された「歴史の終末」というコメントの冒頭だ。米国議会選挙まで3週間を残した時期だった。チェイニー元副大統領夫人リーン・チェイニー氏(米国文学人基金議長)の寄稿だ。チェイニー氏は小・中・高校の歴史教育指針書「歴史標準書」を正面から批判した。米国の政界と学界・教育界を分裂させた歴史教科書戦争の信号弾だった。議会選挙は共和党の圧勝だった。95年1月、上院は歴史標準書批判決議を99対1で通過させた。1年6カ月間の論争後、執筆陣はジョージ・ワシントンなど「建国の父」に関する記述を補強した改訂版を出した。

2004年、韓国でも教科書をめぐる歴史戦争があった。金星出版社が出した「韓国近現代史教科書」を保守陣営が左偏向と攻撃した。南北が対立する状況の中、論争は激しかった。2013年にまた教科書戦争があった。今回は保守性向の教学社の教科書が新しく出版され、攻守が入れ替わった。

歴史教科書をめぐる対立が繰り返されている。解放後に深刻だった左右理念対立のコピー版だ。大韓民国政府が誕生して以来60余年間続いてきた論争だ。

解放後から72年まで検認定だった国史は、朴正煕(パク・ジョンヒ)政権の維新体制(72年10月)登場とともに国策の科目となった。国家が公認した歴史の記憶だけが教科書に記録された。共産党は“角が生えた怪物”として描写された。社会主義関連書籍はすべて禁書だった。

60年代に米ハーバード大でロシア史を専攻した李仁浩(イ・インホ)ソウル大名誉教授は「ソ連では56年、スターリン批判運動があった。しかしソ連で廃棄された本が80年代に韓国運動圏の教材として使われた。蒙昧なレベルの反共教育が招いた副作用だった」と話した。この渦中に現代史は歴史学界の死角地帯となった。解放直後、左右対立、南北分断、軍事政権の登場などは敏感な部分だった。70年代の教壇の史学者は現代史を研究も教育もしなかった。「少なくとも100年が過ぎてこそ評価が可能だ」として避けた。

学界が放置した現代史研究は左派運動圏陣営の専有物となった。李成茂(イ・ソンム)元国史編纂委員長は「韓国近現代史はほとんど左派に占領された。後に講義、論文などが左偏向でなければ通用しなくなった」と話した。

歴史学界の左偏向の流れは2004年、金星出版社「韓国近現代史教科書」の左偏向をめぐる論争につながった。この時から右派の反撃が本格化した。右派の反撃は、冷戦解体後に旧共産圏の秘密文書が公開されながら始まった。現代史を改めて解釈した右派は、左偏向の視点で批判された大韓民国建国、韓国戦争(1950−53)と李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領などを再評価した。金星出版社の「韓国近現代史教科書」が登場すると、2004年に右派は左偏向と批判した。2006年に出版された『解放前後史の再認識』は右派の反撃を象徴している。2013年には保守性向の教科書が登場した。

http://japanese.joins.com/article/330/177330.html

記憶すべき歴史だけ記述した…左・右の教科書戦争60年=韓国(2)
2013年10月21日11時08分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

今年の教科書戦争はさらに混濁している。保守性向の教学社教科書の内容が公開される前、「安重根をテロリストと描いた」などという根拠のない歪曲が乱舞した。また「この教科書で勉強すれば修学能力で半分は間違う」と現役国会議員が政治攻勢を繰り広げたりもした。保守の反撃に続く進歩の再反撃だ。

歴史学界で左派の掌握力は相当なものだ。閉鎖的な反共教育の後遺症でもあった。すでに世界の知性界では時代が過ぎたと判明した左派理論が、1980年代の韓国で遅れて力を得た。北朝鮮に追従するNL(民族解放)、主思派(主体思想派)が大学運動圏の覇権を握るほどだった。主要大学・学会など歴史学界全般に左派の影響力が及んだ。

右派の反撃と左派の再反撃が繰り返されているが、これは成熟した学術論争につながらなかった。理念性向が強い一部の報道機関と政界が学者に先立ち、消耗的な政争をあおった。

こうした泥仕合には学界からも警戒の声が出ている。進歩的な視点で韓国現代史を解釈してきた徐仲錫(ソ・ジュンソク)元成均館大教授は「解放後は左右争いがあり、80年代までは強い国家権力による反共イデオロギーがあった。私たちが近現代史を正しく理解できる環境がなかった。左派も右派ももっと勉強をしなければいけない。今のように歴史的に混乱がある時期は事実にこだわるしかない。進歩勢力も保守勢力も事実に基づかなければいけない」と述べた。また「李承晩の独裁、朴正煕の独裁を批判するように、北が犯したことも当然批判しなければいけない」と話した。

国民統合市民運動共同代表の安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大名誉教授は「国史学科のこの20年間の修・博士学位論文を見てほしい。社会経済史や政治史は少なく、ほとんどが運動史だ。抵抗的民族主義に立った左偏向」としながらも「大韓民国史はいくらでも左右の視点で書くことができる。大韓民国史体系か、運動史体系か。これは選択の問題だ。今はグローバリズム自由主義に基づき、大韓民国史を正しく記述できると考える。これに対する学術論争が必要だ。今まではこうした席がなかった」と述べた。

歴史教科書論争が過度に政治と関連している現象も問題に指摘される。

ユン・ピョンジュン韓神大教授(哲学)は「歴史教科書論争が過度に政治化されている。現実政治勢力とつながっているからだ。その大半は非専門家だ。それでも権力獲得と執権のために“歴史教科書論争”を動員している。まず歴史学界内部の1次的な討論と談論の場が持続的に用意されなければいけない。そこで論争する必要がある。そこでろ過し、折衷点を探していかなければいけない」と強調した。

ドイツで西洋史を勉強したキム・ゴボン京畿大教授(史学)は「歴史論争を恐れる必要はない。それは国民的な合意に進む通過点だ。問題は歴史論争が歴史戦争に飛び火する時に発生する」とし「歴史を現実権力闘争のための武器として利用する“歴史の政治化”は問題だ。そこには大きな後遺症が生じるだろう」と警告した。

http://japanese.joins.com/article/331/177331.html

<韓国史教科書問題>左派「大韓民国の誕生は悲劇のドラマ」、右派「世界で類を見ない経済発展」
2013年10月21日09時00分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

左派と右派は現代史を眺める視点が全く違う。左派は「民族」の観点で韓国史を眺める。左派にとって大韓民国の誕生は“痛みの歴史”または“不遇の歴史”だ。民族が一つになれず南北に分断されたからだ。「生まれるべきでなかった国」という言葉もこうした背景から生じる。一部の高校の韓国史教科書が、1948年の大韓民国政府樹立を「38度線南地域で正統性を持つ唯一の合法政府」(天才教育)、「選挙が可能だった韓半島内で唯一の合法政府」(未来N)と説明したのも同じ脈絡だ。民族を歴史の主体と見れば、韓国も北朝鮮も同じ民族だ。左派が北朝鮮に対して相対的に友好的な見方をする理由だ。

一方、右派は民族ではなく「国家」の観点で歴史を解釈する。右派にとってに韓国史の目標は「大韓民国の先進化」だ。しかし教学社を除いた7種類の高校韓国史教科書はすべて「運動史的な観点」で記述されているというのが右派の不満だ。開港期には外勢に対する抵抗運動、日帝時代は抗日独立運動、解放後は左右合作と統一運動、軍事政権時代は反独裁民主化運動を中心に記述されているということだ。右派の目で見れば、世界で類例のない経済発展に関する内容が十分に記述されていないということだ。

安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大名誉教授は「大韓民国民主化は李承晩(イ・スンマン)政権の普通教育拡大、朴正煕(パク・ジョンヒ)時代の経済開発による中産層成長なしには説明できない」と主張する。国家を歴史の中心にして見る場合、北朝鮮大韓民国を転覆させようとする“悪の枢軸”だ。左派が高く評価する解放後の左右合作運動に対しても右派は懐疑的だ。米国とソ連の対立で、民主主義か社会主義かを選択するしかなかった国際情勢の中で、合作運動の余地はなかったと見るからだ。

金基鳳(キム・ギボン)京畿大史学科教授はこうした差を「大韓民国の歴史は左派には『悲劇のドラマ』、右派には『喜劇のドラマ』」と表現される。左・右派間の見解の違いが最もよく表れる部分が李承晩初代大統領に対する評価だ。カン・ギュヒョン明知大記録大学院教授は「大韓民国の歴史も他国と同じように不完全で傷だらけだ。美化の対象としてのみ眺めることはできない。こうした傷をどう解釈するかにって左派と右派が分かれる」と述べた。

右派にとって李承晩大統領は「共産主義から大韓民国を守った英雄」だ。しかし左派には「南北分断の最初のボタンを掛け違えた独裁者」だ。こうした見解は教科書にもそのまま表れている。「右偏向」批判を受けている教学社の教科書は李承晩大統領を評価する内容が多い。例えば「李承晩は当時、韓国人が最も尊敬し、信頼する指導者だった」「李承晩は国際情勢で驚くほどの卓越した判断を見せた」などだ。

これに対し、残り7種類の教科書は、李大統領の独裁や不正選挙を詳しく記述している。李承晩大統領が強調した反共主義は「政府の実情に対する正当な批判と民主的権利に対する要求を弾圧する手段として利用された」(金星出版社)としている。

「民族(左派)対国家(右派)」という見解の違いは、今回の国会教育文化体育観光委員会の教育部監査でもそのまま表れた。野党は2011年に改正された歴史教科書執筆基準に対し、右派性向の学会「韓国現代史学会」の影響だと攻撃している。「大韓民国韓半島の唯一の合法政府と承認を受けた事実に留意する」「大韓民国自由民主主義を基礎に発展してきたことを記述する」などの基準が反映されたことに対してだ。教学社の教科書の執筆陣が同学会所属であることを強調している(柳基洪議員)。

セヌリ党は野党の教学社教科書批判について「進歩が掌握した現代史教育に色彩が違う教科書が入ってくるのを防いでいる」と対抗している。「従来の教科書が大韓民国の成立発展過程を批判し、北政権について友好的に記述する誤った史観に相変わらず固執している」(徐相箕議員)ということだ。徐相箕(ソ・サンギ)議員は7つの教科書が北朝鮮軍の金剛山観光客射殺事件が金剛山観光中断の原因であることに言及していないと指摘した。また主体思想についても「北の実情に合わせて主体的に樹立された社会主義思想」(飛上教育)と記述していると批判した。

http://japanese.joins.com/article/319/177319.html

【時論】教科書闘争の自由主義的解決法=韓国
2013年09月25日11時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

最近教学社の国史教科書が検定を通過し韓国社会は理念論争に巻き込まれた。「資格も備えていない親日・親独裁の不良な右翼教科書」という攻撃に対抗し教科書の著者は現行教科書こそ「親北朝鮮・親ソ・反米・反韓国」の左偏向を見せているとしている。出版社に対するテロの脅迫まで続き、競争メディアの代理戦にまで広がっていく雰囲気だ。その激しさは一面で解放空間の左右論争を彷彿とさせるが、決して無益な争いではないようだ。多様な集団が集まって暮らす多元化された社会で多種類の教科書が競争するのはとても自然なためだ。

中国の憲法前文阿片戦争後の中国の近現代史が半植民地・反封建闘争の過程だと明記している。国家が公式化された歴史観を提示した格好だ。だが自由民主主義社会では歴史解釈に関する国家的有権解釈はありえない。自由民主主義国家は国民に「歴史の正解」を話す代わりに、1人1人が真理を追求できる思想・良心・言論・表現の自由を保障して退く。国が退いた自律の空間で歴史解釈は完全に学界と市民社会の役割だ。そのような思想的自由が保障された社会ではだれでもどんな集団でも望むならいくらでも「教科書」を企画し執筆することができる。また、そのような教科書は最小限の検定基準を備えれば自由に出版できる。

2010年、米テキサス州では米合衆国創設者のキリスト教的価値観を強調し奴隷制の肯定的な面を浮き出させた歴史教科書が検定を通過し市販された。これに先立ちカンザス州では進化論に言及していない科学の教科書がまとめられたりもした。多くの批判と反対があったが、憲法に保障された思想的自由はそうした教科書の編集と普及を可能にした。自由主義社会では数十種類の多様な歴史教科書が作られ、「思想の市場」で自由に競争する。消費者の選択を受けた教科書は競争で生き残り、遠ざけられた教科書は消滅するだろう。

日帝強占期、解放空間、朝鮮戦争だけでなく1990年代以降の大型政治的事件まで扱った教科書なら執筆自体が論争の種に浮上するほかはない。史観により独裁政権の人権じゅうりんと民衆の抵抗を韓国現代史の中心軸と見ることもできるが、急速な産業化と経済発展を最も重要な業績として注目することもできる。開発独裁民主化を遅滞させたというテーゼも可能だが経済発展が民主化の基盤を提供したとみる学者も多い。そうした論争的イシューが並んでいるのにどのようにたった1種類の教科書だけ存在できるだろうか。

歴史学にはもともと正解はないものだ。良い教科書とは学界で進行される尖鋭な学術的論点を細かく指しながら多様な見方と解釈を、比較的バランスの取れた叙述をした本だろう。攻撃的に違う見方の教科書を見下し拒否することではない。むしろ諸手を挙げて歓迎することだ。自由主義創始者のジョン・スチュアート・ミルは語った。いくら誤った見解だからといってもその見解が表現される瞬間、共同体の構成員はその見解に対する批判的見解を形成することによりさらに賢くなりえると。すべてのものは公論の場で健全な討論を通じてだけ健全な世論の形成に寄与することができる。教科書の採択も例外ではない。

いまの教科書論争は韓国の衝突する価値観を克明に見せる韓国現代思想史の1ページだ。異なる立場の教科書をただ病原菌を掃討するように集団的キャンペーンで撲滅しようとするのではなく、自由に教科書市場で競争をすればよい。独善の危うさこそが歴史が覚醒させる峻厳な教訓であるためだ。

ソン・ジェユン(カナダ・マックマスター大学教授・中国政治思想史)

http://japanese.joins.com/article/463/176463.html