葬儀の習慣に正解はない。

「私の理想の葬儀」を語る自由は誰にでもありますが、そんなものを他人様にも通じる一般論として押し付けるのは迷惑行為でしかありません。

切り取られている個々のエピソードは面白いのですけど…。全体としては、残念ながら残念な記事ですね。「やかましいわい!」と返すのが、正解なのかもしれません。いえ、個人の感想を押し付ける気はありません。

외국인이 본 한국 장례식 - 프리미엄조선

記事入力 : 2014/09/09 07:36
【萬物相】外国人が違和感を抱く韓国の葬儀

 2年ほど前、京畿道安養市内の総合病院にある葬儀場に行った。深夜0時過ぎにやっと到着したため、式場は閑散としていた。遺影のある部屋では遺族らしき女性が3人座り、お金を数えていた。床にもお札が散らばっている。その日受け取った香典をまとめていた様子だった。時折、笑い声も聞こえてくる。亡くなった方がご高齢だったので天寿を全うしたといえるだろうが、それでも端から見ていて気持ちのいいものではなかった。女性たちが慌ててその場を取り繕おうとしていた間にお別れだけ済ませてすぐに外に出た。

 あるテレビ番組が葬儀関連の仕事をしている500人を対象に「葬儀などで目撃した見苦しい光景」についてアンケート調査を実施した。「通夜だからといって居座り、酒を飲んで騒ぐ人」が真っ先に挙げられ、そのほかに「葬儀場で遺産・香典などの金銭問題をめぐり争う遺族」「露出度の高い服を着てくる弔問客」「久しぶりに親族に会ったからといって、祝い事のように大笑いし、騒ぐ人」などの回答があった。数年前、有名デザイナーのアンドレ・キム氏が亡くなったといは、あるアーティストがスカル(がい骨)柄のスカーフをして現れて非難を浴びた。

 ソウル市内で暮らす日本人主婦は、韓国では病院と葬儀場が同じ敷地内にあることを「異様な光景」に挙げた。人の命を救おうとする場所に、死んだ人の祭壇を設ける場所があるのは信じられないということだ。病院で死を迎える人が圧倒的に多いため、葬儀場がすぐ隣にあれば便利ではあるだろう。しかし、これは故人より生きている人の便宜を優先した考えだ。

 烏山大学(京畿道烏山市)で教えているアイルランド人教授が先日、追悼の気持ちが後回しとなっている韓国の葬儀場を見た衝撃を本紙で語っていた。亡くなったのが誰かには関心がなく、遺族に会って印象を残そうという人たちで混雑する様子、現金を数えて5万−10万ウォン(約5000−1万円)ずつ白い封筒に入れる光景、地元の名のある人の氏名が書かれた弔花の列…。教授は火葬場で、大勢の遺族が入り乱れて番号札を受け取り、順番待ちをするのを見て「まるでファストフード・レストランのようだった」と述べた。

 仏文学者チョン・ミョンファン教授はエッセー集『印象と偏見』で、理想の葬儀について次のように書いた。「豪華な供物はいらない。弔辞も読経もイヤだ。どうしても別れの儀式をしなければならないなら、ブラームスの『クラリネット5重奏』第2楽章、シベリウスの『トゥオネラの白鳥』、エルガーの『チェロ協奏曲』第3楽章のうち、どれか一つを弔問客に聞いてもらうのはどうだろうか。私の人生を手助けしてくれた人たちに、私が最後にささげる感謝の印として」。敬虔(けいけん)の念をもって簡素ながらも心を尽くし、故人を悼む葬儀習慣が必要だ。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/09/2014090900131.html