【世宗の風景】世宗市公園墓地・第2墓域

世宗市の国家有功者墓域に隣接して広がっている世宗市公園墓地の一般墓域。場所は前回の記事の通りです。


ちなみに、まったく余談になりますが、紛らわしいことに、世宗特別自治市の域内には大田広域市の公園墓地もあります。

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世宗市の公園墓地に行くには鳥致院駅か五松駅からタクシーにでも乗るほかないのですが、世宗市的にはそれとは真反対の場所にある大田公園墓苑には、大田市の地下鉄1号線顕忠院駅から300番のバスに乗れば行けるようです。大田顕忠院の前の大きな道をさらに公州方面に進むことになります。

こちらはまだ訪れたことがないので、いつか機会があれば行ってみようと思います。



さて、閑話休題。世宗市(旧燕岐郡)の公園墓地のほうですが、国家有功者墓域に隣接した第2墓域から見ていくとしましょうか。

このあたりが第2墓域としてはいちばん下のエリアです。墓碑の日付を見てみると、2000年代中盤のものが目に付きます。



ここから少しずつ上の墓域に移動してみます(ちなみのその先、いちばん上にあるのが、国家有功者墓域ということになります)。このあたりにはおおむね1990年代から2000年代のお墓が並んでいます。つまり、この墓域はこのあたりから斜面を上へ下へと広がっていったことになります。







この時期、全国的には火葬率が急速な上昇を見せていたのですが、燕岐郡のある忠清南道は火葬率の低い地域として知られていますから、こうした公設の土葬墓地があっても不思議ではありません。

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ただ、世宗市には全国でも屈指の設備を備えた火葬施設・銀河水公園(2010年開設)がありますから、そのことが地域に対してどれほどのインパクトを与えたのか、そうした点にも興味が湧きます。

そうした観点からこの辺の墓域をよく見てみると、1990年代のものに挟まれながらところどころに新しいお墓もあって、2014年になって作られたものも目に付きます。この地域ではまだまだ土葬志向が強く、またそれを受け入れる余地もあるということがわかります。都市部では到底無理な話ですが、燕岐郡(現・世宗特別自治市)のような田舎では、まだ可能なようです。いつまでそれが続くかはわかりませんが…。



また、そこには他とは異なる材質の墓石を建てた国家有功者のお墓もありました。陸軍軍人で花郎武功を受勲したというこの人物、1992年に亡くなっていますから、すでに開設されていた大田顕忠院への安葬資格もあったはずですが、何か事情でもあったのでしょうか。


さて、これよりさらに上にも一般墓域が広がっています。2000年代終盤から2010年代の墓碑が目に付くことから、ここが追加で造成された墓域であることがわかります。


しかし、そんな日付を見なくても、そこがもともと墓地にする予定のなかったはずの土地に墓地を造った場所らしいことは、遠目からも一目でわかります。



こんなに深い排水溝を切って、しかもこんな大きな集水桝のある場所に、それを囲んでギリギリ接するところまで造られた墓地を、私は他で見たことがないのですが…。

でもここ、国家有功者墓地のすぐ下に迫っている上のほうの墓域では、2014年現在もなお新規安葬者を受け入れ中です。



ここに立って様子を見る限り、かつての永川護国院のように、墓地建立の余地がなくなったからといって「火葬・納骨堂」形態に素直に移行するとは、とても思えません。この地の土葬から火葬への移行は、もう少し時間をかけてのものになりそうです。

一般墓地と国家有功者墓域の間にはまだこんな空地もありますけど、これもいずれは埋まっていくでしょう。そこから先は…またどうにかするんでしょうね。