【利川の風景】利川民主公園の墓域の現在

さて、利川民主公園のメインと言えば、民主化運動に身を投じた人々の墓域なわけです。それは、公園の中では比較的高いところに、設けられています*1



上の写真ではかなり埋まっているように見えますが、実際には3分の2くらいは空き地のままです。ただ、逆に言えば、全国民族民主遺家族協会が利川民主公園に反対の立場を崩していない中、これだけの人の遺族が移葬に応じたとも言えます。決して多くはありませんが、必ずしも少ないとは言えない。そんな感じです。

利川民主公園に対する全国民族民主遺家族協会の立場



墓地そのものに注目してみると、間隔をかなり広く取っており*2、国立5.18民主墓地やその他の共同墓地でしばしば見る、石囲いの土饅頭を築く形式です。本来は土葬をするのでしょうけど、今のところここにいるのは全員、他のどこかの墓地に埋葬されていたのを移葬したもののはずで、そうした際には遺体を掘り起こして改めて火葬にするのが一般的です。折しもこの10月24日から11月21日までが旧暦の閏9月ですから、その期間中に移葬される人もいるかもしれません。

また、すぐに気が付くことですが、訪れた9月時点では、全てのお墓が仮の木標のみで、石物の墓碑は皆無でした。これは、正式に開場してから改めて、という予定だったのでしょうか。関係者らしき人は誰もいなかったので、その点を確認する術はありませんでした。


しかし、考えてみれば、これらの墓地はすべて移葬されてきたものだとすれば、もともとの墓地には墓碑も建てられていたはずです。

実はこの墓域のいちばん端の隅っこに、こんなものがあります。まるで墓の墓場のようですが、敢えてここに集められているというのは、いずれは先の仮墓標に替えて、こちらを据えるということになるのでしょうか。韓国の国立墓地の例を思い起こすと、同じ墓域には同じ様式の墓碑を用いるなど、統一された様式美を追求しているような印象があるのですが、各地の様々な墓地から集まったらしいこれらの不揃いの墓碑が使われることがあるのかどうか、これだけでは何とも言えません。



そのへんは、墓域の埋葬者の名前とこれらの墓碑の名前とを照合すればわかったのかも知れませんが、タクシーを待たせていて時間がなかったので、そこまではできませんでした。

まあ、まずは開場しないことには、どうにもなりません。賛否両論は現実問題としてありますけど、ここまで作って、移葬者も受け入れて、それで放置、というわけにはいかないのではないでしょうかね…。



*1:そんな言い方をするのは、隣接する農業テーマ公園やゴルフ場からは見下ろす位置にあるからです。

*2:将来、混み合ってきたら、その間に新しいお墓を作る気かも知れません。それが可能なほどの間隔です。