【ソウルの風景】ハンギョレ新聞社屋

こちらの続き。これでソウル街歩きは最後です。

【ソウルの風景】楊花津外国人宣教師墓苑

合井でほぼ日も暮れかかっていたのですが、最後にふと思いついて立ち寄ったのが、孔徳駅から徒歩圏にあるハンギョレ(新聞)の社屋。

かつて、ベトナム戦争での韓国軍の行状を暴く連載をめぐって退役軍人会の襲撃を受けたのがこの社屋で、要塞のような構えをしているという噂は聞いていました。

おお、なるほど。確かに。これはなかなか個性的な構えの建物です。




こういう記事も、現場をイメージしながら読むとまた感慨が違ってくるかもしれません。

韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
2014.04.04 07:00

 民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。

 日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。

 きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。

 ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。

 この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。

 同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。

 彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にあるハンギョレ新聞社の前に集結した。

ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。

 だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。

 韓国人ジャーナリストがいう。

「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。新聞や雑誌の印刷を停止させた。さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。

 彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だというハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」

 その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。

 6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。その後、暴力行為で4人が逮捕された。

 この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。

 この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している有力な政治団体だ。2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。

週刊ポスト2014年4月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html

韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された
2014.07.17 11:00

 ベトナム戦争で韓国は米国に頼み、32万人を当地に派兵した。そして、韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、約100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。

 ベトナム現地での明確な証言・証拠があるにもかかわらず、韓国ではこれまで、ベトナムでの残虐行為について言及することはタブーとされてきた。そして、このタブーを破る者には、暴力の制裁が待っていた。

 主に海兵隊OBから成る通称「枯葉剤戦友会」は今から15年前、ベトナムでの「真実」を暴いた韓国の報道機関を襲撃し、言論封殺を試みた。驚くべきは、この暴力組織と朴槿恵大統領が蜜月関係にあることだ。

「韓国軍はベトナムで何をしたのか」。韓国最大のタブーに挑んだのは、リベラル紙『ハンギョレ』が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。

 1999年5月、ベトナム在住の具秀ジョン・通信員が報じた韓国軍の「ベトナム人僧侶虐殺事件」は韓国社会に大きな衝撃を与え、その後も他の記者やベトナム参戦者を巻き込み、たびたび同誌誌上で検証記事が掲載されるようになった。その一部を要約・抜粋する。

<1969年10月、ベトナム南部のリンソン寺に現われた韓国兵が尼僧にいたずらをしようとした。居合わせた僧侶がそれを咎めると、韓国兵は逆上し銃を乱射、僧侶を含む4人が殺害された。遺体は燃やされた>

<1966年11月9日、ベトナム中部クァンガイ近郊の村にやってきた韓国軍は村の男たちを一か所に集めた。韓国兵は13歳の男の子に何かまくしたてていたが、言葉が分からない男の子は黙りこくったままだった。すると、韓国兵は男の子をその場で撃ち殺した。女や子どもたちは韓国軍からキャンディや菓子を与えられ安心しているところを銃殺された>

 次々と明かされる驚愕の真実に韓国の人々は言葉を失った。こうした一連の報道に激怒したのが、ベトナム参戦者により構成される「枯葉剤戦友会」を主体とした極右暴力組織だった。

 2000年6月27日午後2時、枯葉剤戦友会会員を中心とした迷彩服姿の男2400名が鉄パイプや角材を片手にソウル市内のハンギョレ本社を包囲。機動隊との睨み合いが続く中、抗議活動は徐々にヒートアップし、暴徒化した一部が一瞬の隙をついて社屋へなだれ込んだ。

 建物に侵入した彼らは窓ガラスを次々と叩き割り、パソコンや印刷機などあらゆる事務機器を破壊、16万枚に及ぶ書類を燃やし、送電を遮断して同社の業務を半日に亘り中断させた。

 それでも怒りが収まらない彼らは、同社の駐車場にある2台の車を横転させ、別の1台に火を放った。同社の幹部は建物内に監禁され、社員十数名に負傷者が出た。これはもはや抗議活動ではなく常軌を逸した暴動だ。

 だが、これだけ大規模な破壊行為があったにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名。身柄を拘束された者は4名しかいなかった。

 翌日、事件を大きく報じたのは当事者の『ハンギョレ』と『中央日報』のみ。他の大手紙報道はさめざめとしたもので、保守系の『朝鮮日報』に至っては、事件翌々日の社説で「参戦勇士への政府支援が必要」と戦友会への“配慮”を見せる有り様だった。

 たとえどのようなスタンスであれ、報道機関ともあろうものが暴力による言論弾圧を糾弾しないのはあまりに不自然だ。

■藤原修平(韓国在住ジャーナリスト)と本誌取材班
※SAPIO2014年8月号

http://www.news-postseven.com/archives/20140717_265371.html

まあ要するに、かつては韓国社会で「タブー」とされ、国民に伏せられていたというベトナム戦争での韓国軍の行為は、1999年には『ハンギョレ21』の報道によって広く知られることとなった、ということです。それに反発した退役軍人による襲撃事件を経験しながらも、ハンギョレ新聞社は現在も、進歩派全国紙として確固たる地位を築いています*1

不屈のハンギョレ新聞 ? 韓国市民が支えた言論民主化20年

不屈のハンギョレ新聞 ? 韓国市民が支えた言論民主化20年

1999年以前はいざ知らず、それ以後の韓国では、「ベトナム戦争と韓国軍」という問題は社会的に知られていない話でもなんでもありません。もちろん、その問題の扱いをめぐっては立場の違いはありますけどね。

その点からすると、ハンギョレの論調がこんな風になるのはある意味自然なことで、かの「スクープ」も、朴槿恵大統領とハンギョレとでは「腹立たしさ」や受ける「ダメージ」は違ってくるわけです。

韓国の、ベトナムとの向き合い方
韓国政治の論調ウォッチ:何のためのクリップか

[社説]直視すべき“ベトナム戦民間人虐殺”問題
登録 : 2015.04.08 06:50 修正 : 2015.04.08 07:05

 ベトナム戦争当時、韓国軍駐留地域で起きた民間人虐殺事件の被害者2人が初めて我が国(韓国)を訪問した。真実を糾明してベトナム戦の問題に対する社会的議論を進めるいい機会である。何より、日本の歴史歪曲を批判しながらベトナム戦の問題は回避しようとするダブルスタンダード的な態度は克服すべきである。

 被害者2人が参加して7日ソウル堅志洞の曹渓寺(チョゲサ)で開く予定だったベトナム戦写真展のレセプションが同戦争の関連団体の“圧力”で行えなかったことは残念である。曹渓宗では彼らの要求を受けて3日に突然中止した。「大韓民国ベトナム参戦者会」や「大韓民国枯葉剤戦友会」は民間人虐殺が歴史の歪曲だと主張している。

 被害者2人は6日、ソウル汝矣島(ヨイド)の国会議事堂の政論館で開いた記者会見で自分たちの家族と隣人が見舞われた悲劇を生々しく証言した。当時少年、少女であった二人は、苦痛と悪夢に今でも苦しめられていると語った。ベトナム政府は韓国軍の被害にあった民間人は約5000人に達すると推算している。特に1968年1〜2月に北ベトナム軍とゲリラの旧正月の大攻勢直後に韓国軍がベトナム中部でゲリラの捜索討伐作戦を行い、多くの被害が出たという。1990年代後半からこの問題が注目されるや1998年と2004年にベトナムを訪問した当時の金大中(キム・デジュン)、盧武鉉ノ・ムヒョン)の両大統領はベトナムに対して謝罪の意思を表明したことがある。

 ベトナム政府が民間人虐殺問題を公式に韓国政府に提起したことはない。自分たちはアメリカを相手に戦っただけで、韓国は主な相手ではでなかったと考えているベトナムの人も多い。しかしベトナムには韓国軍の民間人虐殺に関連して立てられた“憎しみの碑”が50〜60基もあるという。大勢のベトナムの人の記憶の中には当時の傷が歳月を越えて続いているのだ。

 韓国とベトナムは植民支配の歴史と、分断、戦争の傷痕と清算されなかった過去の歴史などを共有している。今年はベトナム終戦40年をむかえる年でもある。当時、韓国軍人が不本意ながら民間人の死にかかわったとしても、やはり被害者にすぎない。問題を解決すべき主体はあくまで韓国政府である。

韓国語原文入力:2015/04/07 18:41

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/685827.html訳T.W(1043字)

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/20248.html

週刊文春の「韓国軍トルコ風呂」報道、腹立たしいが反論は困難…
登録 : 2015.04.25 00:04 修正 : 2015.04.25 07:44

米文書からベトナムでの韓国軍慰安所の実態を明らかにする


週刊文春4月2日付春の特大号に掲載された「韓国軍ベトナム慰安婦」の記事目次 //ハンギョレ新聞社


週刊文春4月2日付春の特大号の表紙 //ハンギョレ新聞社

 「この施設(トルコ風呂=Turkish Bath)は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」。ベトナム戦争当時、韓国軍がサイゴン(現、ホーチミン市)などベトナム現地で旧日本軍慰安所と同様の性売買施設を運営していたのではないか? このような情況を示す記録を米国立文書保管所(NARA)で捜し出したというニュースが日本のマスコミを通じて報道され、世間の注目を集めている。 日本政府に慰安婦問題の解決をしつこく要求する韓国の努力に“焦点ボカシ”を図る疑いが濃厚な報道ではあるが、政府次元で関連内容を調査し関連内容が事実であることが確認されれば問題解決のための真剣な努力を始めなければならない。

 関連報道を出したのは日本国内の嫌韓世論を主導する週刊誌、週刊文春4月2日付の春の特大号だ。記事を書いたのは東京放送(TBS)のワシントン支局長である山口敬之氏で、彼はこの記事を作成した理由について、ワシントンに赴任する直前に会ったある知人から「ベトナム戦争当時、韓国軍が南ベトナム各地で慰安所を運営したという未確認情報がある。米国政府の資料などでこれを裏付けることが可能ならば、慰安婦問題で韓国が“加害者”になるだろう。これを契機に朴槿恵(パク・クネ)大統領と韓国民が冷静さを取り戻すことになり、慰安婦問題に真剣に向き合えば事態が変わることもありうる」という助言を聞いたためだと明らかにしている。

 以後、山口氏は米国全域の国立文書保管所を通じて、ベトナム戦当時のホワイトハウスと米国務部の外交文書はもちろん、当時の犯罪や裁判記録などを追跡することになる。 このような至難な過程を通じて山口氏は昨年7月、サイゴンに駐留していた米軍司令部が当時駐ベトナム韓国軍初代司令官だったチェ・ミョンシン将軍(在任1965〜1969年)宛てに送った書簡を見つけ出す。文書には米軍がこれを作成した正確な日付は明記されていなかったが、山口氏は周辺情況から見る時、「1969年1〜4月頃に書かれたもの」と推定している。

 記事は、米軍がこの書簡で韓国軍がベトナム現地で米軍の軍需物資を大量に横流しする犯罪行為を犯したという事実に言及し、こうしたことが行われた舞台の一つとして当時サイゴン中心部にあった“韓国軍専用トルコ風呂”に言及していると書いている。 書簡には、米軍がこのトルコ風呂に対して“売春行為がなされていて、ベトナム人女性が働いている」という事実と、「韓国軍専用慰安所ではあるが、米軍兵士も特別に利用できるし、その場合の1回の利用料金は38ドル」という事実を指摘していると伝えられる。 山口氏は以前のサイゴンの事情を知っている米参戦軍人に尋ねまわり、サイゴンの“トルコ風呂”が性売買施設であり、「このような売春施設で仕事をしていた女性たちは例外なく農村出身の非常に幼い女性」たちであったという証言まで提示している。

 このような作業を通じて山口氏が到達した結論は「朴槿恵大統領が慰安婦問題を内政と外交の道具としてでなく、真に人権問題として考えるならば(中略)韓国人慰安婦女性たちの事例と同様に(この懸案に対しても)率先して調査するだろう。そうでないならば(韓国は)自身に不利な事実には目を瞑り歴史を直視しない国家だということを国際社会に自ら証明することになるだろう」と釘を刺している。

 腹立たしくはあるが反論しにくい主張だ。韓国政府は今後、ベトナム当局との協議を通じてかつての戦争当時に行われたベトナム戦民間人虐殺はもちろん、このような韓国軍専用慰安所の運営・管理に軍当局がどこまで介入したのかなどを明らかにするための調査と後続措置に乗り出さなければならない。

東京/キル・ユンヒョン特派員

韓国語原文入力:2015-04-24 21:12
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/688415.html 訳J.S(1714字)

http://japan.hani.co.kr/arti/international/20445.html

さて、帰って寝ますか。

*1:発行部数で言えば、いわゆる朝中東の三大紙や毎日経済・韓国経済よりは少ないですけど、京郷新聞や韓国日報・国民日報・ソウル新聞などよりは多いですね。ちなみにこちらは、2012年度の数字です。→ http://www.kaa.or.kr/k/mag/2013/11_12/kaa1112_05.pdf