【北京の風景】北京市八宝山人民公墓・その2:狭くても新たな死者を受け入れるための方策

昨日の続きになるわけですが。

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その時に引いた毎日新聞の記事によれば、3年ほど新規の受け入れをしていないそうです。でも、火葬墓とは言え、1950年の創建で、多磨霊園の数分の一の面積で、3年前まで受け入れがあったということ自体が、実は注目に値します*1

そんな運営ができているヒントは、実はあちこちに見られるのですが、とりあえずは各所に掲げられていたこの看板から。

要は、墓地の環境整備の名目で、既存のお墓の「改造」や「移転」が行なわれることの通告なわけです。

まあ、そうした整備事業は他でもしばしば見られるものでしょうが、そんなお墓の改造・移転が今に始まったものではないことは、少し墓域を見て回ればわかります。





あちこちで、今ある「秩序」にそぐわない、妙な位置に取り残されたようなお墓を目にすることができます。わざわざこんな位置にお墓を建てることは考えられませんから、これは「秩序」のほうが後から来たと考えるのが妥当でしょう。もともとは、そちらのお墓に沿った別の「秩序」が、あったはずです。

下の看板にも名前の出ている「北京市殯葬管理条例」を読むと、第20条に「お墓の使用期間は最長20年(ただし継続使用可)」という趣旨のことが記載されています。

殡葬管理条例(2012年修正本) - 国务院法制办公室

北京市殡葬管理条例 - 北京市民政信息网

つまり、こうした人民公墓のお墓は、継続使用手続きを取ったお墓を例外として、最大20年の間隔で周期的に墓域の整理・再整備が行なわれていることが推測できるわけです。伊勢神宮式年遷宮並みのペースですね。


なお、蛇足ながら、火葬を前提とするこうした形で墓地が運営されているのは、「(首都であり大都市である)北京だから」という限定がつきます。下記の記事が伝えているように、地方の農村地帯へ行けば、その状況はまったく違うようです。

埋葬改革で4_5万個の棺桶を強制接収―火葬を国是としながら、火葬率は5割に満たず:日経ビジネスオンライン

*1:植民地時代からあって土葬墓なので事情は多少違いますが、ソウルの忘憂里墓地なんて、1973年には満場になってますからね。