降って湧いたような「李承晩再評価」論

まあ、そういう議論はもともとずーっとあったものですが、逝去50年のこの時期に、それが妙な盛り上がりを見せているのには、KBSの例の報道が大きく「寄与」しているみたいですね。

「6.25当時、李承晩大統領が日本への亡命を打診」というKBS単独報道

記事入力 : 2015/07/20 11:22
【社説】韓国現代史の立て直しは李承晩再評価から

 昨日19日は大韓民国初代大統領の李承晩(イ・スンマン)大統領が死去してからちょうど50回目の命日だった。1960年の4・19革命で大統領を辞任し、その後は米国のハワイに逃げるようにして渡り、余生を過ごしていた李承晩氏は、1965年7月19日、現地の病院で寂しくこの世を去った。李承晩氏は生前、普段から「祖国の地をもう一度踏んでから死にたい」と何度も語りながら、散髪に必要な5ドル(現在のレートで約600円)を節約し少しずつ費用をためていたが、結局は夢をかなえることなくこの世を去り、遺体となって祖国に戻ってきた。

 17日に国立ソウル顕忠院で李承晩大統領50周忌追悼式が開催された。本来なら命日の当日に行うべきだが、日曜日で出席者が少なくなる恐れがあったため、この日に前倒しされたという。主催も国家報勲処(庁に相当)など国の機関ではなく、民間団体「建国大統領・李承晩博士記念事業会」だった。また例年の李承晩大統領追悼式と同じく、今回も野党代表は出席せず、野党関係者の姿は少なかった。それでも今年は50回目の命日であると同時に生誕から140年となる節目の年でもあるため、李承晩氏の業績をたたえる学術会議くらいは開催するべきだが、そのような行事が開催されたというニュースは一向に聞こえてこない。それどころか国営放送のKBSは「李承晩政権、韓国戦争(朝鮮戦争)発生直後に日本へ亡命を打診」などととんでもないニュースを報じ、建国大統領を侮辱するような出来事ばかりが目についた。

 李承晩氏は生涯を独立運動にささげ、制憲国会の議長として大韓民国憲法の制定に大きく貢献した。異民族による支配から脱却して新しい国を建てると同時に、国民の自由と人権、平等が保障される民主共和国の礎を築き上げる「二重革命」の中心に李承晩氏はいた。第2次世界大戦の終戦以降に独立した世界140カ国のうち、産業化と民主化を同時に成功させ先進国となった国は大韓民国しかない。これは李承晩氏が自由民主主義と市場経済体制を選択し、韓国戦争という悲劇の中から国を立て直し、韓米同盟という洞察力によって安全保障を強固にした土台の上で実現したものだ。

 トルコでは毎年11月10日午前9時5分、国中の通りにサイレンが鳴り響き、市民は足を止めるという。それはトルコ建国の父とされるムスタファ・ケマル・アタテュルク氏を追悼するためだ。ところがトルコよりも大きな成功を収めた韓国には建国記念日もなく、建国記念公園も、また建国記念館もない。建国大統領をたたえる記念館の建設や、その著書の全集の発刊も、国会の予算審議で一向に認められないのが大韓民国だ。

 李承晩氏は12年にわたる強権政治と独裁体制で、数々の失政を犯したのは事実だ。しかし人間なら誰もが功績もあれば過ちもあろう。歴史に名の残る人物であれば、その功績と過ちを一層公正かつバランスをもって評価しなければならない。中国の故・毛沢東主席は数多くの悪行に加え数千万人の国民を虐殺する大罪を犯したが、実際に迫害された経験のあるトウ小平氏は毛沢東主席について「功績の方が大きい」という理由から「建国の父」としてたたえるようにさせた。

 韓国社会には李承晩氏の評価を引き下げようとする勢力が常に存在するが、その目的は最終的に大韓民国の建国と発展の歴史を侮辱することに他ならない。つまり彼らは大韓民国を「生まれるべきでない国」としたいのだ。このような虚偽に満ちた扇動からわれわれの誇り高い現代史を守るには、何よりもまず建国大統領に本来の地位を取り戻させることから始めなければならない。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/20/2015072001341.html

朝鮮日報がこの社説を掲げるまでにも、いろいろゴタゴタあったみたいです。

KBS放送、保守陣営が反発する「李承晩亡命」で異例の反論報道
登録 : 2015.07.07 19:04 修正 : 2015.07.08 07:12

当初2分間の放送
レポート・分量・形式ほとんど同等
イ・インホ理事長、9日に理事会招集
“放送介入”論議も


KBS「ニュース9」画面キャプチャー //ハンギョレ新聞社

 いわゆる「李承晩(イ・スンマン)政権亡命要請説」を報道したKBS(韓国放送)が、当初の報道と似た分量で主要ニュースとして反論報道を放送した。KBS内部で「ニューライトと保守陣営に屈服した屈辱的反論報道」という反発が起きている。保守指向のイ・インホ KBS理事長は、該当報道を議論するための臨時理事会を9日に招集し、“放送介入”論議が起きている。

 先月24日、KBS『ニュース9』は「李承晩政権が朝鮮戦争勃発直後に日本政府に対して韓国国民6万人の亡命意志を打診し、日本は韓国人避難キャンプの計画を立てた」という内容が書かれた文書を単独報道した。 この日KBSが公開した文書は、日本の山口県の公式歴史記録と当時の米軍政庁の記録だ。 報道がされると保守団体は直ちに反発した。 従北左翼清算団、滅共山岳会、反国家教育清算国民連合などの保守団体は先月30日、KBS本館前で「KBSが李承晩(元)大統領を卑怯な亡命企画者として人民裁判にかけた」として示威を繰り広げた。李承晩記念事業会関係者は、KBS報道本部長に会い直接反論を要請した。保守指向のKBS共栄労組も25日に批判声明を発表した。


1950年8月15日、大邱で開かれた国会開幕式で演説する李承晩・当時大統領=資料写真//ハンギョレ新聞社

 論議が起きると3日、KBS『ニュース9』は4番目のニュースとして反論報道を流した。反論報道は「李承晩政権の日本亡命政府要請説と関連して、李承晩大統領記念事業会側が政府の公式記録ではなく、報道内容は事実と異なると反論した。 十分な反論機会を与えられないことに遺憾と考える」と明らかにした。 反論報道の分量は合計1分40秒で、当初の報道(約2分)とほとんど同等だった。全国言論労働組合KBS本部(新労組)は7日、声明を出して「当初報道の同等な分量と形式のレポートで反論報道を受け容れるという前例を探し難い屈辱的報道が流された」として、「会社が電撃的で屈辱的な方式で李承晩記念事業会側の反論報道要求を受け入れたことは、再任を念頭に置いたチョ・テヒョン社長がニューライト学者出身のイ・インホ理事長と保守陣営に屈服した結果と見る」として強く反発した。

 イ・インホ理事長は、今回の報道と関連して今月9日に臨時理事会を招集したためにまた別の論議が起きている。 野党が推薦したKBS理事は「理事長単独で該当報道論議を議論するための臨時理事会を招集した。特定報道に関して理事会を開くのは前例のないことだ。 ムン・チャングク元首相候補歴史観報道の時でも理事会は開かなかった。 野党推薦理事が対応を議論中だ」と話した。 新労組はイ・インホ理事長の保守的歴史観が今回の論議の一因だと見て、臨時理事会の開催に対して「公営放送の独立性侵害」と主張している。

 今回の論議に対してKBS関係者は「李承晩記念事業会の反論要請があったことは事実だ」として、「該当反論報道がKBSの公式な立場だ」と明らかにした。

イ・ジョングク記者

韓国語原文入力:2015-07-07 15:34
http://www.hani.co.kr/arti/society/media/699194.html 訳J.S(1482字)

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21253.html

記事入力 : 2015/07/16 10:04
KBSが報道責任者を交代、「李承晩日本亡命」報道の懲戒か

国際部・デジタルニュース部など
言論労組KBS本部「明らかな懲戒人事」

 KBSは、批判を浴びている「李承晩(イ・スンマン)政権、韓国戦争(朝鮮戦争)発生直後、日本亡命打診」という報道の責任者を交代することにした。

 KBSは14日、報道局国際部門主幹と国際部長、デジタルニュース局長とデジタルニュース部長らを交代させることを明らかにした。該当の職務担当者については審議室などで発令があった。KBSは先月24日、山口県図書館で保管されていた資料を引用、「李承晩政権は韓国戦争発生直後、日本に亡命を打診していた」と報道した。また、デジタルニュース部は25日午前、「戦争のさなかで指導者が亡命試みる 宣祖と李承晩」という見出しで、壬辰倭乱文禄・慶長の役)時に都を捨てて義州へ避難した朝鮮時代の第14代国王・宣祖と李承晩元大統領を同一視し批判する内容の記事を掲載した。

 これらの報道があった直後からKBSのホームページやソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)上には「ずさんな報道だ」と批判が殺到、李承晩大統領記念事業会など複数の団体も抗議声明を出した。報道の根拠が政府の公式文書でなく山口県の地方文書だけで、ほぼ同じ内容の報道が20年前に日本の新聞でもあったが、KBSはそれに対し検証もしなかったというものだ。KBSは問題になった報道に対する反論報道を行い、記事をKBSホームページやポータルサイトから削除した。また、KBS取締役会は8日、報道の過程に関して真相究明のために臨時取締役会を招集したが、結論は出なかった。

 KBS広報室関係者は「今回の人事は基本的に各職務任期に基づく交代人事だ」としている。しかし、全国言論労働組合KBS本部は15日の声明で「(李承晩政権に関連して)該当報道の責任を負うべき立場にある幹部の職を全員解いたのは明らかな懲戒人事だ」と述べた。KBS記者協会も同日、声明で「(李承晩元大統領関連報道に対する)屈辱的な反論報道に続いて不当な懲戒人事が行われた」と反発している。

権承俊(クォン・スンジュン)記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/16/2015071600966.html

建國대통령 서거 50주기인데… 예년과 다름없는 평범한 추모식
김승재 기자 조의준 기자 입력 : 2015.07.18 03:00

[이승만 서거 50주기] 어제 서울현충원서 행사

기념학술회의 같은 부대행사 한 건도 없어
정·관계 등 1000여명 참석… 野圈 인사는 거의 안 보여

"우리의 자유를 회복할 것이 이때 우리의 손에 달렸으니 분투하라! 싸워라! 우리가 피를 흘려야 자손만대의 자유 기초를 회복할 것이다. 싸워라! 나의 사랑하는 2300만 동포여!"

1942년 6월 13일 미국 워싱턴에서 전파를 탔던 '미국의 소리(VOA)' 방송의 이승만 육성 녹음본이 17일 오후 국립서울현충원 현충관에 울려 퍼졌다. 이승만 전 대통령이 특유의 떨리면서도 한 마디 한 마디 결기 서린 목소리로 고국 동포의 항일투쟁을 독려하는 대목이다.

이날 서울현충원에서 건국대통령이승만박사기념사업회(회장 박진) 주관으로 '건국대통령 우남(雩南) 이승만 박사 제50주기 추모식'이 열렸다. 서거 50년과 탄생 140년을 맞는 해라는 상징성과 달리, 추모식은 예년과 별 다름없었다. 비슷한 내용과 규모의 추모 행사와 묘소 참배가 전부였다. 기념 학술회의 같은 부대 행사는 없었다. 기념사업회 측은 "원래 기일은 19일인데, 그날이 일요일이어서 추모객이 덜 올까 봐 행사를 앞당겼다"고 했다. 그 바람에 제67주년 제헌절과 겹쳤다. 우남 이승만 초대 대통령은 제헌 국회의장이기도 하다.


17일 오후 국립서울현충원 현충관에서 열린‘건국대통령 우남(雩南) 이승만 박사 제50주기 추모식’에서 참석자들이 차례로 분향하고 있다. 오른쪽 사진은 참석자들이 애국가를 부르는 모습. /박상훈 기자

이날 정·관계 인사, 독립운동 관련 단체장 그리고 시민 등 1000여명이 추모식장을 채웠다. 야권 인사는 찾아보기 힘들었고, 추모객도 대부분 장·노년층으로 젊은이가 드물었다. 새정치연합 관계자는 "기념사업회에서 이틀 전쯤 초청 팩스 한 장만 보내는 등 예의를 갖추지 않았다"며 "과거에 야당 대표가 참석한 예도 없었다"고 했다. 이에 대해 기념사업회 측은 "우편으로 초청장을 보냈고, 이는 새누리당에도 마찬가지였다"고 말했다.

정의화 국회의장은 추모사에서 "이 대통령에겐 한순간도 편안한 날이 없었을 것"이라며 "한없이 감사한 마음을 갖는다"고 했다. 이어 "빼앗긴 조국을 찾아야 했고, 전쟁을 이겨내야 했고, 전쟁으로 폐허가 된 나라를 일으켜 세워야 했는데 그 불면의 밤이 얼마나 깊었겠느냐"며 "우리에게 이 박사처럼 용기 있고 지혜로운 큰 지도자가 없었다면 대한민국의 건국, 전쟁 극복, 산업화의 시작은 불가능했을 것"이라고 했다.

김무성 새누리당 대표는 추모사에서 "건국 대통령을 자랑스러워하는 것이 대한민국에 대한 자부심의 출발"이라며 "이제 국부(國父)를 국부의 자리로 앉혀야 한다"고 말했다. 그는 "대한민국 건국은 새로운 비전과 빛나는 예지, 지혜로운 정치력과 과감한 결단력을 갖춘 예외적 리더십을 필요로 했다"며 "오늘날 대한민국의 번영을 가능케 한 모든 얼개는 이승만 대통령의 손으로 놓았다"고 했다. 이어 "그동안 우리 후손들은 이승만 대통령의 흠결을 파헤치고 드러내는 데만 골몰했을 뿐 그의 역사적 공로를 인정하는 데는 인색했다"며 "칠흑 같은 건국의 길에서 때로 비틀거리지 않고 때로 넘어지지 않고 걸어갈 수는 없었을 것"이라고 했다. 김 대표는 행사 도중 간간이 눈물을 닦기도 했다.

이승만박사기념사업회장인 박진 전 의원은 "이승만 대통령의 무엇보다 큰 업적은 공산주의의 실패를 정확히 예견한 것"이라며 "그가 살아생전 꿈꾸던 자유민주주의에 바탕을 둔 남북 통일이 이루어지는 날, 대한민국은 비로소 완전한 건국을 이룰 수 있을 것"이라고 했다.

이승만 전 대통령의 양아들인 이인수(84)씨는 "돌아가시기 전에 저를 보시면서 '굳세게 서서 자유를 지켜라'는 갈라디아서 5장 1절의 말씀을 전하신 뒤 '일치단결해서 어서 남북을 통일하도록 우리 국민에게 바라고 소원한다'는 말씀을 남기셨다"고 전했다. 그는 "하와이 마우나라니 요양원에서 아버님의 손을 잡아드리면서 '아버지 소원대로 남북 통일을 우리 손으로 이루겠다'고 서약했다"며 "어서 반가운 남북의 자유 민주 통일이 이뤄지기를 여러분과 함께 기원한다"고 말했다.

이인수씨는 부인과 함께 추모식 한 시간 전부터 나란히 입구에 서서 추모객들과 일일이 악수하며 맞이했다. 추모사에서도 10분 인사말의 절반을 할애해 수십 명 참석자의 이름과 직책을 밝혔다. 이날 참석자들은 추모식을 마친 뒤 함께 이승만 대통령 묘소로 가서 분향하고 묵념했다.

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/07/18/2015071800261.html

この他にも朝鮮日報はいろいろ「李承晩再評価」関連の記事を書いていますけど、まあ正直言って、実証的な歴史研究の世界ではなく、学問抜きの政治的運動の世界ですねえ。

もちろん、朝鮮日報やTV朝鮮の報道姿勢がどうであれ(以下略)