「東京新聞」の紙面から:立教大学と靖国神社

この記事、枕となっているネタそのものは新鮮なものではありませんが、それはともかく、あれだけ立派な「立教学院展示館」を擁する立教大学が調査に協力的だったからこそ、この日章旗の由来がすぐにわかったんでしょうねえ。

以前訪れた時、現物を見たような気がするのですけど、残念ながら記憶が定かではありません。

立教大学池袋キャンパス

「学生を二度と戦地に送らぬ」 立教大に戻った日章旗に誓う
2015年8月14日 朝刊


「寄せ書きのある旗」について話す立教大の西原廉太教授(左)と渡辺太平さんのめいの横尾とし子さん=東京都豊島区で

 太平洋戦争で戦死した学生が身に着けていた日章旗が、立教大(東京都豊島区)の展示館に飾られている。戦地で米兵に持ち去られた旗を遺族に返還しようと奔走した立教大文学部の西原廉太教授(52)は「この旗は、大切な学生を二度と戦地に送らせないための決意の証し」と話し、国会で審議中の安全保障関連法案への反対を呼び掛けている。 (土門哲雄)

 西原教授が日章旗の存在を知ったのは二〇一〇年五月。米国の牧師から「日本の家族に返したい」とメールで相談を受けた。牧師は自宅の隣に住む米軍元軍曹の遺族から旗を譲り受け、持ち主を探していた。旗は元軍曹の部下が銃撃戦で倒した日本兵の軍服のポケットから抜き取ったもので、「立教魂」「立大剣道部」などと書かれていた。

 牧師は西原教授と面識はなかったが、立教大が加盟する世界聖公会大学連合会のサイトで西原教授のアドレスを知り連絡した。

 すぐに大学挙げての調査が始まった。寄せ書きにあった友人や家族の名前から、旗の持ち主は一九四三年に学徒出陣し、フィリピン・セブ島で戦死した経済学部の渡辺太平さん=享年(21)=と分かった。渡辺さんの姉・文子さん=享年(89)=は亡くなっていたが、渡辺さんのめいの横尾とし子さん(63)=練馬区=に知らせることができ、日章旗は母校の立教大に寄贈された。

 それから五年。西原教授は今年七月、戦争参加への危険性が指摘される安保法案の衆院採決に強い危機感を持った。「渡辺さんの日章旗にかかわった者として、反対の声を上げなくてはいけない。それが学生を戦地に送り出してしまった大学としての責任ではないか」と考えるようになった。

 周りに呼び掛け、教職員や学生、卒業生の有志で「安全保障関連法案に反対する立教人の会」を発足。共同代表の一人になった。七月三十一日、立教大のチャペルで開かれた設立集会では、横尾さんとともに、日章旗返還の経緯や平和への願いを語った。会の呼び掛け人・賛同者は八月十三日現在、合わせて千人を超えた。

 西原教授は「夢や希望を持ち、家族に愛された日米の青年たちが、意図せずに向かい合わざるを得なかったのが戦争。『戦争ができる国』へと道を開く安保法案は明らかに憲法に違反しており、直ちに廃案にするべきだ」と訴える。

 横尾さんも「叔父は、もう二度と戦争で命を落とす若者を出さないでほしいと強く願っているはず。戦争で犠牲者を出す可能性が0・01%でもあるのなら、絶対に避けなければいけないと思う。多くの声に耳を傾けようとしない昨今の国会の流れには危険性を感じている」と苦言する。

◆企画展「戦時下、立教の日々」来月4日まで

 渡辺太平さんの日章旗は、立教学院展示館で常設展示されている。展示館は、豊島区西池袋3の池袋キャンパス内。夏期休暇中は午前10時〜午後5時開館。土日曜と祝日休館。お盆休みの休館は8月18日まで。一般開放しており、入場無料。

 9月4日まで企画展「戦時下、立教の日々」も開催しており、学徒出陣の記録や関連資料も多数展示している。この企画展は10月1日〜12月8日も開催する。問い合わせは展示館事務室へ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015081402000123.html

で、靖国神社の合祀基準のネタが同じ日付で出ています。これも特に新しい話ではなく、従前の基準が維持されていることを確認したにすぎませんが、このご時勢ですから、そうした確認にもそれなりの意味が出てきます。

この靖国神社の回答は、自らを「幕末維新期から第二次世界大戦までの〈国事殉難者〉を祀る神社である」と規定しているものと言えます。「1867-1945」という期間の日本の近代史を背負って死んだ御祭神を切り分けることを拒み*1第二次世界大戦後へと合祀の範囲を広げることもしない靖国神社は、いま現在の政治に直接関わる(巻き込まれる)ことを避けると同時に、日本近代史の一時期・一側面を体現した現状のままで「凍結」されることを望んでいるようです。

靖国神社国営化」が盛んに議論された一昔前の時代とは異なる状況が、そこには見いだせるように思います*2。戦後70年に何をどう考えるかは人それぞれでしょうが、とりあえず、「政治」の側に「靖国神社離れ」が求められる時代になりつつあるんやないですか?

靖国神社 戦死自衛官は「合祀せず」
2015年8月14日 朝刊

 安全保障関連法案の国会審議で自衛隊員のリスクの高まりが論議される中、靖国神社(東京都千代田区)は十三日までに、今後戦死した隊員が出た場合でも合祀(ごうし)はしないとの見解を明らかにした。共同通信の質問に文書で回答。靖国神社が一九七六年に示した合祀基準は、第二次大戦で死亡した軍人軍属らを念頭に置いた内容になっており「現在も基準に変わりはない」「自衛官合祀はない」と答えた。

 自衛隊は五四年の創設以来、戦死者を出していない。訓練中の事故などで死亡した隊員の追悼の場としては、東京・市谷の防衛省内に殉職者慰霊碑がある。元自衛官佐藤正久参院議員は、靖国神社の社報への寄稿や自身のブログで「(殉職者慰霊碑では)広く国民が慰霊・顕彰することは困難」「靖国神社に祭られるかどうか議論をしておかなければ」といった考えを表明している。

 靖国神社は七六年に国会図書館に提出した資料に合祀基準を明記。合祀対象は、戦地と終戦後の外地で戦死した「軍人軍属」や、戦闘で死亡した満州開拓団員、旧ソ連満州などでの抑留中の死亡者ら「準軍属およびその他」としている。

 この基準が現在も適用されているかを尋ねたところ「基準に変わりはない」と答えた。

 首相や閣僚の参拝に関しては「参拝を希望される方であれば、どなたでもひとしくお迎えする」、天皇陛下の参拝には「粛々とお待ち申し上げる」とした。天皇の参拝は七五年以来途絶えている。昭和天皇A級戦犯合祀に反発して参拝を控えたとの見方が有力となっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015081402000131.html

*1:A級戦犯分祀問題や、合祀取り下げを求める在韓軍人軍属裁判に対する靖国神社の態度を参照。

*2:「本来、国家護持であるべきだ」という見解を、靖国神社は現在も維持していますけど、政教分離原則にのっとった「宗教性の剥奪」と引き換えにしてまでの国家護持を希望してはいないでしょう。それなら今のほうがまだマシなはずです。