あれだけ雨が降りしきったにもかかわらず、試合前には水を撒くほどのコンディション。さすがは甲子園球場。
今年も、いい試合を観ました。
9回東海大相模無死、小笠原が勝ち越し本塁打を放つ(投手・佐藤世、捕手・郡司)(20日)=若杉和希撮影高校野球100年の夏、深紅の優勝旗は45年ぶりに東海大相模へ――。夏の全国高校野球大会は20日、東海大相模が決勝戦で東北勢初優勝を狙った仙台育英(宮城)との打撃戦を制し、1970年以来2度目の優勝を飾った。勝利の瞬間、ナインは抱き合い、三塁側アルプス席の大歓声を受けて門馬敬治監督を何度も胴上げして、喜びを爆発させた。
東海大相模は、一回一死二塁で杉崎成輝選手が大会タイ記録となる今大会6本目の二塁打を右中間に放ち、「絶対に欲しかった」という先制点。豊田寛選手も左前適時打で続き、前日の準決勝同様に立ち上がりで主導権を握った。
三回には磯網栄登、長倉蓮両選手の連続適時打で2点を追加。その裏、1点差に迫られたが、四回に2点を挙げ、リードを広げた。しかし、六回二死満塁からエースの小笠原慎之介選手が三塁打を浴びて同点にされ、試合は終盤へ。
緊迫した展開が続くなか、九回、先頭の小笠原選手が仙台育英の佐藤世那投手の初球をとらえ、右中間席へソロ本塁打を放ち、再びリードを奪った。さらに3点を追加して、試合を決めた。
小笠原選手は、9安打で6点を失いながらも161球を投げて完投。大会屈指の左腕と言われた背番号「1」の意地を見せ、節目の大会で優勝投手となった。
投打にわたる活躍を見せた小笠原選手は「(本塁打は)気持ちで打ちました。最高です」と声を弾ませ、門馬敬治監督は「今日に限って言えば反省するところは一つもない。選手たちは本当に粘ってくれた。高校野球100年の夏にすばらしい試合ができた」と目を細めていた。
http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20150820-OYTNT50414.html
仙台育英、東北勢悲願11度目挑戦も白河越えならず
[2015年8月21日7時16分 紙面から]
9回表無死、小笠原に勝ち越しのソロ本塁打を浴び、打球を見上げる佐藤世<全国高校野球選手権:東海大相模10−6仙台育英>◇20日◇決勝
高校野球100年の夏、東北勢初優勝の夢は、またしてもかなわなかった。仙台育英(宮城)は、頼みのエース、先発の佐藤世那投手(3年)が、9回15安打を浴びて10失点。打撃陣は6回に同点に追い付く粘りを見せたが、東海大相模(神奈川)に競り負けた。
東北100年の夢が、舞い上がる打球とともに遠のいていった。6−6の9回表。マウンドに立つ佐藤世は、9番小笠原を先頭に迎え「気持ちの緩みが少しあったんだと思います」。初球。腕を大きく後ろにふりかぶって放ったフォークが高めに浮き、右翼スタンドへ運ばれた。
気持ちを切り替えようとしたが、さらに3連打と犠飛で3失点。「野球の怖さというものをあらためて思い知らされました」。1915年(大4)の秋田中から数え東北勢11度目の決勝。やっぱり甲子園は簡単には勝たせてくれない場所だった。
4回までに毎回の10安打を打たれ6失点。心が折れそうになるところで佐々木順一朗監督(55)の言葉に救われた。「最後のマウンド。支えてくれた人のことを思い、切り替えて投げてこい」。見違えたように5回から8回までは無安打。6回裏には3点差を追いつき大歓声を味方につけた。「同点に追いついてから楽しかった」。その投げっぷりに、球場の誰もが、東北から見守る誰もが、仙台育英ナインの歓喜を夢見た。
整列後、紀伊海秀外野手(3年)に「お前のおかげでここまで来られた」と声をかけられた途端、涙があふれ出した。「1、2点を取られても動じないピッチャーになっていきたい」。甲子園での経験を胸に、卒業後はプロ入りを目指す。
閉会式では、大熱戦を演じた仙台育英ナインに大きな拍手が注がれた。佐藤世は「できれば優勝してああいう拍手を味わいたかった」と悔やんだ。69年夏に松山商と延長再試合を戦った青森・三沢。71年夏、閉山した炭鉱の町に光を与えた福島・磐城。3季連続決勝に進み東北のレベルの高さを見せつけた青森・光星学院。この日の戦いも、東北高校野球の歴史に深く刻まれる。
第1回決勝でサヨナラ負けした秋田中ナインは、涙をこらえ京都二中をバンザイで祝ったという。100年後の仙台育英ナインも一緒だった。佐藤世は整列後すぐに「ありがとう。またいつか投げ合おう」と小笠原と抱き合った。【高場泉穂】
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1525992.html
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