映画「先生と迷い猫」を観る。

特にネコ好きというわけではないのですが、興味があって観てきました。

http://www.sensei-neko.com/

この作品で一番のクライマックスは、校長先生が捕獲器に入れたモノでしたねえ。

奥さんが帰ってこない以上、ミイももう帰ってこなかったかもしれません。けれども、いつか再会することを望み続けることはできます。

逝く人と見送る人。凍り付いた心と溶け出していく心。

その日のために、今日何をするか。自分のことを考えながら、観ていました。

「先生と迷い猫」 主演イッセー尾形…即興重視で演じ分ける
2015年10月10日 05時20分


共演したのはNHK連続テレビ小説あまちゃん」にも出演した、三毛猫のドロップ。「女優さんみたいに気品があった。目と目があうと、本当に語っているような気がした」

 10日に公開される映画「先生と迷い猫」(深川栄洋監督)で、イッセー尾形が堅物で偏屈な元校長先生を演じる。

 周囲から浮いた存在だが、行方をくらました猫を捜すうちに、次第に変わっていく。そんな姿を温かみのある演技で描き出した。

 定年退職した元校長・森衣(尾形)は、妻(もたいまさこ)に先立たれて独り暮らし。妻がかわいがっていた三毛猫・ミイが、毎日仏壇の前にやって来るが、いつも邪険に追い払っている。

 静かな田舎町で、森衣はちょっとした有名人。多くの住民が「校長先生」と呼びかける。とはいえ、そのニュアンスは微妙に異なる。かつての教え子で実家の店を手伝う真由美(北乃きい)にとっては文字通り校長だが、美容院の店主(岸本加世子)には「取っつきにくい人」、ペタンクをしないかと誘う人たちは、「偉そうに振る舞っている」といった揶揄やゆも込める。

 「周囲の人の見方によって、校長先生というキャラクターが作られている。校長自身は無色。目の前にあることを考えているだけ。なので、あまり入れ込まずに演じようと思った」

 森衣は孤高を保っているが、それは強さではなく、もろさだという。

 「若い時から、迷うことを知らなかった。言ってみれば、挫折知らず。奥さんが亡くなったことが、初めての挫折かもしれない」

 そんな彼が、ミイがいなくなったことで動揺する。地域の人たちと協力し、捜そうとする。普段は下げない頭を下げる。叱られもする。その必死さがコミカルでもある。「大げさに言うと、『人間創造』という感じです」と話す。


亡き妻がかわいがった三毛猫のミイが、毎日仏壇の前にやって来る。森衣(イッセー尾形)は、邪険に追い払っていた

 妻を亡くした喪失感とも向き合う。

 「頭では分かっていても、心は妻の死を受け入れられない。理性と感情のずれがあった。猫を捜すことで、そのずれが解消され、もう一回生き直してみようと思ったのでしょう」

 若い頃、様々な職業の人を演じ分ける芸で人気を集めた。人間観察の才が役作りに生きたのかと疑問をぶつけると「観察はしません」とキッパリ。「観察には限界があるし、観察したものに合わせないといけなくなる。そういうのは大嫌い。全部、想像です」と続けた。

 偏屈な人もいれば、お人よしもいる。微妙な表情やしぐさ、間などで演じ分けてきた。「ちょっとしたさじ加減だが、それが演じる人物を生かす最前線」と考える。さじ加減を決めるのは現場の空気。だから収録時の即興を重視する。

 「事前に準備すると、大さじになる。このセリフをどう言うか、立っていようか座っていようか、どちらを向くかなど、一括ひとくくりにせずに細かく細かく小さじに分けて演じる。あくなき執念です」と語った。(大木隆士)

2015年10月10日 05時20分

http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20151009-OYT8T50126.html