死刑制度と裁判員制度

いまだに周囲には同じ経験を持つお仲間がいないのですが、私は裁判員になったことがあります。子どもの命が奪われた事件で、実刑判決でした。判決後の記者会見や、裁判員経験者の意見交換会にも出席しました。

その経験を踏まえて、「裁判員制度自体はそう悪いものではなく、運用次第で意義あるものとなり得る」と考えています。

で、死刑制度が一方にあり、裁判員制度がもう一方にある以上、こうした苦悩を避けることはできないと思います。ここでの問題は死刑「判決」を出すことにあるので、「死刑求刑事件のみを避ける」というのもポイントを突いた提案ではありませんし、現実的に難しいでしょう。これは、ある程度の苦悩を残しつつ、引き受けるしかない。

裁判員になるのを辞退する仕組みもありますが、そのための条件を広げることにはあまり賛成できません。それは、「辞退できない人たち」に負担を押し付けるだけのことになるからです。

裁判員制度 ○ 裁判員になることは辞退できないのですか。

ただ、現行制度においては、どのような事件を担当することになるか、事前にはわかりませんし、選べません。その担当事件次第で、犯罪や求刑の内容、審理日数などが相当変わってきますので、(いくら公判前整理手続があるとは言え)裁判員の負担(感)はそれぞれに差が出てきます。そのあたりのケアは、たしかに検討しなければならないでしょう。

死刑執行 裁判員判決で初 09年川崎3人刺殺
毎日新聞 2015年12月18日 11時41分(最終更新 12月18日 12時48分)


死刑執行について記者会見する岩城光英法相=法務省で2015年12月18日午前11時1分、宮間俊樹撮影

 岩城光英法相は18日午前、2009年に川崎市で3人を刺殺して殺人罪に問われ、裁判員裁判で死刑を言い渡された津田寿美年(すみとし)死刑囚(63)=東京拘置所=の死刑を執行したと発表した。09年に始まった裁判員裁判で死刑を言い渡された死刑囚の執行は初めて。また、岩手県洋野町で06年に起きた母娘殺害事件で強盗殺人罪などで死刑が確定した若林一行死刑囚(39)=仙台拘置支所=の死刑も同日執行された。

 最高裁によると、裁判員裁判で死刑が言い渡されたのは18日現在計26人。うち津田死刑囚を含めて7人が確定していた。

 死刑執行は今年6月以来約半年ぶりで、岩城法相による執行は初めて。自民党への政権交代(12年12月)以降では8回目で、計14人の死刑が執行された。

 確定判決によると、津田死刑囚は09年5月30日早朝、同じアパートに住む男性(当時71歳)の部屋のドアの開け閉めの音がうるさいなどと恨みを募らせ、胸や腹などを包丁で刺して殺害。更に男性の妻(同68歳)とアパートの大家で男性の兄(同73歳)も刺殺した。1審・横浜地裁は11年6月、死刑を言い渡し、弁護側は控訴したが、津田死刑囚が翌7月に自ら控訴を取り下げて死刑が確定した。

 一方、若林死刑囚は06年7月、女性会社員(当時52歳)方に侵入。女性と次女(同24歳)を殺害し、現金を奪って遺体を山林に遺棄した。07年に始まった1審で罪を認めたが控訴審で否認に転じ、上告審でも無罪を主張していたが、12年1月に上告を棄却された。

 岩城法相は記者会見し、「裁判員裁判であるかどうかにかかわらず、関係記録を十分に精査するなど慎重に検討し、執行命令を発している」と述べた。再審開始決定を受けて釈放された元プロボクサー、袴田巌元被告(79)を除くと、確定死刑囚は126人となった。【和田武士、飯田憲】

http://mainichi.jp/articles/20151218/k00/00e/040/219000c

死刑執行 裁判員の苦悩、現実に
毎日新聞 2015年12月18日 11時47分(最終更新 12月18日 12時53分)

 裁判員裁判による死刑事件を巡っては、2014年2月、裁判員経験者の有志約20人が、裁判員への刑場公開などの情報開示が進むまで死刑執行を停止するよう法務省に要請。「十分な理解がない中で究極の判断をしなければならず、裁判員裁判による死刑確定者が執行された場合、裁判員の苦悩は極限に達する」と訴えた経緯がある。

 これに対し、谷垣禎一法相(当時)は記者会見で「法律の根拠がない限り(執行停止は)できない」とし、情報公開についても「執行を受ける方や関係者にどのような不利益や精神的苦痛があるのか。他の死刑囚の心情の安定も十分考慮しなくてはならない」と慎重姿勢を示した。

 毎日新聞が12年、制度開始3年に合わせて裁判員経験者を対象に実施したアンケートで、死刑求刑事件への関与の是非を尋ねたところ、▽関わった方がいい=50%▽関わった方がいいが、判決は全員一致とすべきだ=14%−−で、3分の2が関与に肯定的だった。内閣府が1月に公表した世論調査では8割が死刑制度を容認しており、裁判員裁判かどうかにかかわらず執行は続くとみられる。

 一方で、死刑求刑事件への関与が裁判員に大きな精神的負担を与えることは間違いなく、心理的ケアを求める声もある。岩城光英法相は18日の記者会見で「裁判員の方々に大変重い決断をしてもらった」と述べた上で、ケアの必要性に「今後の検討課題だと思う」と一定の理解を示した。【和田武士】

http://mainichi.jp/articles/20151218/k00/00e/040/220000c

死刑執行 「考えた末の判決」「重い決断」裁判員胸中
毎日新聞 2015年12月18日 11時51分(最終更新 12月18日 13時05分)

 裁判員制度が2009年に始まって以来、市民が審理に加わった判断に基づく死刑が初めて執行された。18日に刑が執行された津田寿美年死刑囚の裁判にかかわった裁判員は判決後の記者会見で、「考えた末の判決」「重たい決断だった」と胸中を語っていた。識者からは、制度を見つめ直すきっかけになるとの指摘がある一方、今後審理に参加する裁判員には「審理に萎縮する必要はない」と呼びかける。【山下俊輔、島田信幸】

 津田死刑囚に横浜地裁裁判員裁判が判決を言い渡したのは11年6月。死刑判決後、裁判員経験者は記者会見でそれぞれの思いを語っていた。

 20代の男性は「反省しているように思えたが、いろいろ考えた末の判決。自分たちが選んだ判決でこの人は亡くなってしまうんだとつらい気持ちだった。(判決を)心の片隅に置いて生きていきたい」と振り返っていた。

 心の負担については「人の命を決めるので、一般市民には重たい決断だった」とした。別の男性会社員も「精神的に大変だった。こういう判断をしていいのかという気持ちもあった」と話した。

 50代だった男性会社員は「死刑か無期懲役かの選択で事件を調べたり、考えたりし、死刑が妥当だと考えた」と振り返った。

 確定判決によると津田死刑囚は09年5月、川崎市幸区のアパートで、ドアの開け閉めの音に恨みを募らせ、同じアパートに住む夫婦と大家の男性の計3人を殺害した。裁判員裁判の初公判で起訴内容を認め、被告人質問で「命で償うしかない。死刑囚と思って生活している。申し訳ございません」と謝罪し、死刑を求刑された後の最終意見陳述でも「極刑は覚悟しています」と述べていた。公判は11年6月に計8日間の日程で行われ、裁判員裁判で全国6例目の死刑判決となった。

 東京地裁で3年半前に保険金殺人事件の裁判員を務め、被告に懲役20年の判決を下した東京都中野区の会社役員、田中洋さん(69)は、裁判員経験者らの交流会などに出席し、社会に経験を伝えている。田中さんは「私の場合は評議で徹底的に話し合い、判決に自信があった。ただ、判決後も『これで正しかったのか』と悩んでいる裁判員はたくさんいる。死刑判決に関わった人の心の負担はなおさら大きい」と話した。

 船山泰範日大法学部教授(刑法)は「初の死刑執行で今後、裁判員はより死刑に現実感を持って裁判に臨むことになるだろう。だが、裁判員が必要以上に萎縮したり、裁判員制度を廃止する議論にしたりすべきではない。裁判に関わる市民が死刑を自分たちの問題と考えることで、死刑存廃が国民的な議論になっていくはずだ」と話した。

 一方、園田寿・甲南大法科大学院教授(刑法)は「プロの裁判官でさえ心が揺れ動くことがある。一般の市民ならなおさらだろう。死刑に関わる以上、執行されれば強い衝撃を受けるのではないか。裁判員裁判の対象事件は公務員の犯罪に限定するなどの見直しが必要ではないか」と提言した。

http://mainichi.jp/articles/20151218/k00/00e/040/221000c