ブラタモリ「京都の裏側」編

ブラタモリ、今週は京都です。」

「これは、嵯峨嵐山駅って書いてありますね。」

「JR山陰本線ですね。ここからは、トロッコ列車も出てます。これは、山陰本線が複線電化した時に残った旧線を使って、観光列車を走らせてるんです。」

「へぇ〜。あ、タモカメ!」

「えーっと、どれどれ…『京都とは、どこのことか?』」

「どうもこんにちは。今回案内させてもらいます、国際日本文化研究センターの井上といいます。」

「あ、これはどうも。」

「ところでタモリさん、桑子さん、さっそくですけど、今ここはどこだと思われます?」

「えっ?えーっと、ここは嵯峨嵐山って書いてますから、京都です…よね?」

「そう思わはるでしょう?でも、実はここ、もともと京都やないんです。」

「ええっ?そうなんですか?」

「そうなんです。今日はそこらへんのとこを、一日かけて歩いてみていくことにしましょう。」

「それはそれは、では、よろしくお願いします。」

(以下、草なぎ&井上タイム)

…というのを妄想していたので、あまり売れて人口に膾炙するようになってほしくなかったり(ブラタモリで使いにくくなるから)、でもめちゃめちゃ面白いのでたくさんの人に読んでもらいたいとも思ったり、複雑な気持ちです。

タモリさんと桑子さんを相手に、嵯峨や宇治や山科にまつわるあんな話やこんな話を井上さん自らが語る場面があの番組で流されることを想像するだけで、どんぶりでご飯お替りできるくらいに萌えます。笑

「京都ぎらい」本、思わぬヒット いけずに嫌悪と親近感
村瀬信也 2015年12月25日09時49分


井上章一さん=京都市西京区国際日本文化研究センター

 京都、とりわけ「洛中」の人ならではの気質を皮肉を込めてつづった「京都ぎらい」(朝日新書)の売れ行きが好調だ。物議を醸しそうなタイトルに込めた思いは何なのか。京都出身の著者、井上章一国際日本文化研究センター副所長(60)に聞いた。

 「京都にはいやなところがある」

 同書は冒頭からそう宣言する。その理由として井上さんが指摘するのは、洛中の「中華思想」だ。

 「洛中」は上京区、中京区、下京区といった京都市の中心部を指す。「洛外」である嵯峨(右京区)出身の井上さんは、一部の洛中の人たちに田舎者扱いされてきたという。洛中出身の著名な仏文学者とのやりとり、宇治市出身のプロレスラーの凱旋(がいせん)興行でのエピソードで、洛中人への嫌悪感をにじませる。

 「洛中には『関東へ下る』という言葉を使う人が今でもいる。(いまだに)こういう言葉遣いをするのは、みっともないと思うんです」

 専門は建築史。本書は言わば「余技」だが、9月の発売開始以来、既に8刷7万部に達した。「私と同じような仕打ちに遭った人にはウケるかもしれないと思っていたが、まさかここまで売れるとは」

 中身は「京都ぎらい」に終始しているわけではない。洛中のお寺や花街などについて独自の考察を深める一方、南朝とゆかりが深い嵯峨の歴史をたどる。洛中の「いけず」を非難しつつ、自分の故郷のことは誇らしく思っているのではと勘ぐると、こんな答えが返ってきた。

 「洛中の人と接しなければ、こんなに嵯峨のことを考えず、その魅力に気づかなかった。こんな意識の持ち主になったことを、うれしがっているように見えるかもしれません」

 洛中のある書店では、本書の売り場に「本当は好きなくせに」と記されたポップが置かれたという。「嫌悪」だけではなく、洛中の意識に対する淡い「親近感」がにじんでいる点がヒットの秘密かもしれない。

 人々の価値観は時代の流れとともに移ろうものだが、井上さんは「洛中のこうした意識は今後も残る」とみる。

 「洛中に移り住んだ知り合いの外国人は、この本を読んで『○○(洛外のある地区)が京都ではないなんて、当たり前ですよ』と言っていた。京都にあこがれて移り住み、そうした意識を持つようになる人が増えるかもしれません」

 本体760円。(村瀬信也)

http://www.asahi.com/articles/ASHDP5GG6HDPPTFC017.html

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)