【南海の風景】南海追慕ヌリ・その6:安楽院・栄華院・納骨平葬墓域

そろそろまとめていかないと、他のネタに行けませんね。

【南海の風景】南海追慕ヌリ・その5:「幽宅の丘」

そこでまずは、追慕ヌリのど真ん中にある安楽院から。いわゆる奉安堂(納骨堂)です。


一続きになっている第1・第2安置室の納骨壇の造りなどを見ると、1999年にできてからそのままといった様子で、それなりの月日が経っていることがわかります。が、満場というにはほど遠く、そう大きくもないこの納骨堂でも受け入れの余裕はまだまだ十分にあります。

その「余裕」の内実を考えるために、納骨壇の様子をよく見てみましょう。


すぐに気付くのは、納骨壇の「入居」状況です。順番に埋まっているのではなく、抜け抜けになっています。そうやって抜けているところには、かつては「入居者」があった痕跡がハッキリ残っています。

つまり、南海追慕ヌリでは、安楽院=納骨堂は必ずしも「終の棲家」と見なされず、退去期限を待たずして移転していった人が少なくない、ということが推測されます。むろん、ここにとどまり続ける人も多いのですが、満員御礼が出るほどの状況ではありません。

素材的に新しいものを導入している第3安置室を見ても、当分ここが埋まることはなさそうです。


そうして退出した者の遺骨の行方ですが、個別の家族墓地や門中墓地、あるいは地元の地域の共同墓地に移すということもあると思います。ただ、この追慕ヌリの中で、ということに限れば、考えられるのは納骨平葬墓域です。すでに見てきた自然葬地も、今後は移葬先として浮上してくるでしょうが、今のところは人数的にもまだまだです。

実際、本来の納骨平葬墓域の他にも、すでに受け入れを停止している共同土葬墓域や、石造の家族納骨墓の周辺の端地などに、以前には見なかった納骨平葬墓域が造成されていて、この形式のお墓のニーズを高さをうかがわせます。




ちなみに、本来の納骨平葬墓域は、納骨堂の安楽院や、葬礼式場や火葬場のある栄華院に近いこちらです。



法律的に「自然葬」が規定される以前の2004年に南海郡が独自で作り上げた「納骨平葬」という形式は、要するに芝生葬の一種と言えます。ただ、仁川家族公園などで見てきた今どきの芝生葬のトレンドからすれば、個別の墓石がやや大きく感じられます。できた当時としては、これが当たり前の大きさだったはずですが、韓国のお墓はたかだか10年ほどの間にも大きな変化を遂げていますからね…。

ともあれ、この納骨平葬墓や芝生葬のような自然葬地の大きな特徴は、遺灰を地中に直接、もしくは自然還元する容器に入れて埋葬しますので、遺体もしくは遺骨がある程度は残る(非火葬の)土葬墓や、納骨函(骨壺)に入れて遺灰を保存する納骨堂とは異なり、その場からの移葬が不可能であるという点です。

ということはつまり、葬事法の15年期限制を踏まえれば、その墓域の占有期間は最短で15年、最長で60年(15年期限を3回更新)ということになり、その期間の終了後は、墓地として利用されている土地の「リサイクル」を進めることが可能になると考えられます。

そのへんのことを考えるには、栄華院の中に新設された葬事文化弘報館が参考になるかもしれません。







さて、これで南海追慕ヌリのネタもだいたい出尽くしましたかね。帰りは、タクシーでやってきた道ではなく、幽宅の丘と平峴自然葬地の間の道を降りて、南海邑の市街地まで近道して帰ることにしましょう。郡庁のある中心地まで、このルートだと4キロちょっと、下り坂の道のりです。