五輪組織委員会、地元住民にも学校にも供出を強要する構え

昨日の件の報知新聞の続報。國學院高校や都立青山高校については、封鎖するだけでは飽き足らず、敷地を駐車場として差し出せということですか。その期間中の学校活動をどうさせるつもりなんや?ってか、そんなこと考慮して対策を織り込んだ上での計画ではないですよね、絶対に。

そこまでの泥縄とは、呆れた話です。

東京五輪期間中、国学院高、都立青山高の一部も駐車場に借用か
2016年5月5日6時0分 スポーツ報知

 2020年東京五輪パラリンピック大会組織委員会が大会期間中、メインスタジアムとなる新国立競技場周辺にある私立国学院都立青山高の施設の一部を駐車場などとして利用する計画を進めていることが4日、分かった。秩父宮ラグビー場も解体後に駐車場としての利用を想定している。

 計画案によると、組織委はテロ対策のため、新国立周辺一帯を封鎖し、数百メートルおきに約200台のセキュリティーゲートを設置。金属探知機や防犯カメラなども置き、厳重な警備を敷く計画を進めている。周辺には複数の学校や商業施設もあり、影響が懸念される。

 警備に伴い、組織委は新国立周辺にある神宮球場にも20年5月~11月末まで7か月間の借用を求め、交渉を進めているが、同球場を使用するヤクルトや東京六大学野球連盟などは使用期間の短縮を求めている。

 新国立の整備に伴い取り壊される予定の都営団地「霞ケ丘アパート」は、公園として整備し、大会期間中はボランティアらの待機場所にする計画。大会関係者によると、今年に入り、国際オリンピック委員会(IOC)から新国立周辺に待機場所などを確保するよう要請を受けたが、周辺に災害時の避難場所ともなる空きスペースが少なく、周辺の施設を借用する必要が出てきたという。

http://www.hochi.co.jp/topics/20160505-OHT1T50032.html

國學院高や都立青山高がどれほど秩父宮ラグビー場神宮球場に隣接し、この地にいかになじんでいるのか、こちらのページの動画を見ればよくわかります。そんな歴史や愛着の思いを土足で踏みにじろうとしている、と言っても過言ではありません。

國學院高等学校【学校・説明会情報/動画】|高校受験版スクールポット

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都立青山高等学校(全日制課程):DVD

そんなことを敢えてしなければならないほど追い込まれているという側面もあると思われますけど、そんな事情はどうであれ、オリンピックのための計画を立てれば立てるほど破綻していくという、完全なる泥沼です。泥泥沼沼です。

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神宮球場供出の件については以前に戦争中の話を引き合いに出したことがありますけど、こちらの話もまた、「お上」の都合を押しつけようとするあり方が、戦時中の建物疎開を思い起こさせるレベルの話ですよ。

資材置き場となっていた神宮球場の過去 - 大塚愛と死の哲学

建物疎開跡道路を調査へ 京都市、70年超経て未契約状態も

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建物強制疎開の跡地。京都市上京区堀川通今出川交差点付近で、通り沿いの家並みが撤去された様子が伝わる

 第2次世界大戦末期、京都市内で実施された建物強制疎開について、約70年を経て、跡地の買収を担った市が初の実態調査に乗り出す。跡地は幹線道路となり、土地を売らなかった一部の地権者には現在も市が借地料を支払っているが、把握していない土地が近年見つかったためだ。市は「漏れているケースがあるなら、契約した上で道路にするという本来の姿にしたい」としている。

 調査に乗り出すきっかけは、建物疎開の跡地で市が買収も賃借もしていない用地があると分かったことだ。壬生川通下京区)の77平方メートルで、数年前に地権者からの申し出で判明した。

 市は2014年度に一般会計補正予算で買収費など1900万円を支出。市議会は同様の土地がないか調査を求めたほか、借地料を支払っている跡地については地権者の意向を踏まえながら買い取りを進めるよう付帯決議を付けた。

 建物疎開跡地は戦後、都市計画決定を経て市が買収し、五条通堀川通などの幹線道路に生まれ変わった。市政関連の資料によると、対象となった74ヘクタールのうち、96%で買収が完了し、未買収は約3ヘクタールとされる。だが現在、市が借地料(年間約2700万円)を支払っている19人の地権者の土地面積は計0・2ヘクタールにすぎず、大きな開きがある。

 市は本年度、建設局に実態調査のプロジェクトチームを設置した。眠っている関連資料を探し、整理している。今後、10年前に実施した道路の登記簿調査のデータをもとに、民地の現状を確認していく。さらに、建物疎開の規模が大きかった道路のうち1路線や、今回未買収が分かった壬生川通の状況を調べることを検討している。

 市建設企画課の森知史課長は「戦後の混乱もあり残っている証拠書類が乏しく、どこまで調査できるか分からないが、できる限り解明したい」と話す。

■歴史に向き合う機会に

 「建物疎開と都市防空」の著書がある川口朋子・京都外国語短大非常勤講師の話 強制的に疎開にあった住民は自宅を壊され、財産を失い、悲しい思いをした。買収に応じない人が今もいるのは、自分の生活があった証しを消したくないという思いが背景にあるからだ。調査は遅すぎるとも言えるが、建物疎開を生き抜いた一人一人の記憶や歴史に京都市が向き合うことは意義がある。

 <建物の強制疎開戦時中、空襲による延焼を防ぐため、防空法に基づき、指定した地区の建物を強制的に破壊して空地帯を造成した。全国で61万戸以上が対象となり、京都市内でも京都府によって1944年7月から終戦まで計4次にわたって実施。跡地は戦後、大半が道路に整備された。京都市は大規模空襲を受けなかったため、他都市と比べて建物疎開の痕跡が分かりやすい。

【 2015年10月01日 08時16分 】

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20151001000015