韓国国内限定ネタとしての「天皇」と「日王」談義

このコラムにあるように、この話は今に始まったことではありません。でもって、完全に韓国国内限定の議論なので、どう呼称しようが好きにすればよいのではないでしょうか。国際的な波及の可能性も「東海」よりないですし。

ただ、その呼称の来歴を改めて振り返っている点で、この記事はクリップしておく価値があるかなと思いました。

記事入力 : 2016/07/25 09:35
【コラム】天皇と書くべきか、日王と書くべきか

 今年83歳になる明仁日王(日王=天皇の韓国側呼称)が「生前に退位する」と表明した。これを伝える記事を書いていて手が一瞬、止まった。「天皇と書くべきだろうか、それとも日王と書くべきだろうか」。結局、日王と書いた。

 私たち韓国人はいろいろな理由から日王と呼んでいる。皇帝と王の違いに境界線を設けるのは容易ではない。洋の東西では異なり、歴史的な文脈でも違う。単純に考えて、王や諸侯を率いる場合に皇帝と言うとしたら、日本の君主(原文ママ)はただの王だ。日本人が「天皇」と呼ぶからと言って、韓国人がその通りにする必要はない。日本の帝国主義により支配された35年間は韓国人にとって地獄だった。被害国が満足できるだけの反省もしていないのに、皇帝だなんて我々が思い及ぶはずもない。

 このような論理に共感しながらも、日王の記事を書くたびに妙な引っ掛かりがある。日王を日王と呼べば、小さな矛盾が生じるからだ。例えば、日王が暮らす宮殿の名前は「皇居」、王族に関する法律の名前は「皇室典範」だ。韓国の新聞は、読者が分かりやすいようにこうした言葉を漢字で書く。「日王が皇居でオバマ大統領と会い…」「日王が退位するには皇室典範から手を付けなければ…」。こうした時、記者の頭の中の「校閲機」には赤信号がともる。皇居も「王居」と書き換えた方がいいのか、それともそのままの方がいいのか…。

 このような文脈で、日本による植民地時代を身をもって経験した先輩方が何という言葉を使っていたのか、気になった。解放空間(1945年-48年)の記者たちはそのまま天皇と書いた。1950年代、60年代、70年代もずっとそうだった。日王を天皇と書いても、その時代の言葉や文には韓国人を粛然とさせる実感や気概がある。1961年3月1日付の朝鮮日報4面に載った記事を紹介しよう。三・一運動(1919年3月1日の独立運動)の時、10代だった小学校の先生へのインタビューだ。

三・一運動後、最初の音楽の授業の時、日本人の先生が歌を歌わせようとしたら、誰も声を出さなかった。先生が『なぜ歌わないんだ』と聞くと、1人の生徒が『あなたの国の天皇が死んだ時は歌舞を禁じながら、私たちの王様が亡くなったのに歌を歌えと言うのですか!』と怒鳴った」

 1989年までに日王を日王と書いた朝鮮日報の記事は4件だけだった。あとは天皇と書いていた。東亜日報も京郷新聞も同じだ。ハンギョレも創刊初期は天皇と書いていた。1988-89年を基点に、マスコミと国民は日王表記に変わった。日本の教科書の歴史歪曲(わいきょく)問題(86年)や在日韓国人指紋押なつ事件(89年)が相次ぎ、89年に昭和天皇が息を引き取ったことから戦争責任問題が浮き彫りになったころだ。

 政府は明確な見解もないまま、どちらを使用するかあいまいになっていたが、98年に朴智元(パク・チウォン)大統領府報道官が線引きをした。「相手国の呼称をそのまま使うのが外交慣例だ。政府は天皇と呼ぶ」。その後、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉ノ・ムヒョン)両大統領が日王に会った時、2人とも相手を「天皇陛下」と呼んだ。2016年の外交部(省に相当)文書も天皇と書いている。

 日王を日王と呼んだからと言って、韓国人が強くなるわけではない。日王を天皇と呼んだからと言って、韓国人が低くなるわけではないのと同じだ。

 ちなみに、米国では「エンペラー(emperor)」、中国では「天皇」、台湾では「天皇・日王」の両方を使う。太平洋戦争時に焼け野原となったベトナムの外交官は「昔のことは分からないが、今は政府もマスコミも『ニャブアニャットバーン(日本皇帝)』と言う」と言った。マレーシアの外交官は「マレーシアでも『マハラジャ・ジュポン』と言う。『マハラジャ』は皇帝、『ジュポン』は日本だ。タイは王だからそのまま『ラジャ(王)』だ」

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/25/2016072500790.html

[특파원 리포트] 천황과 일왕
김수혜 도쿄 특파원 입력 : 2016.07.25 03:13 | 수정 : 2016.07.25 09:44

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김수혜 도쿄 특파원

올해 여든셋 아키히토 일왕(日王)이 '생전에 양위하겠다'고 밝혔다. 기사 쓰다가 잠깐 손이 멎었다. '천황이라고 써야 하나, 일왕이라고 써야 하나.' 일왕이라고 썼다.

우리는 여러 이유로 그를 일왕이라 부른다. 황제와 왕을 나누는 경계는 간단치 않다. 동서양이 다르고 역사적 맥락이 다르다. 단순하게 봐서 왕이나 제후를 거느릴 때 황제라고 한다면 일본 군주는 그냥 왕이다. 일본인이 '천황'이라 한다고 우리가 따라해줄 필요는 없다. 일본 제국주의 35년은 우리에게 지옥이었다. 피해국이 만족할 만큼 반성도 안 하면서 언감생심 황제라 한다.

이런 논리에 공감하면서도 일왕 기사를 쓸 때마다 미묘하게 불편하다. 일왕을 일왕이라 부르면 작은 모순이 생겨서다. 가령 일왕이 사는 궁궐 이름은 '고쿄(皇居)', 왕족에 대한 법률 이름은 '고시쓰덴판(皇室典範)'이다. 한국 신문은 독자가 알기 쉽게 이런 말을 한자어로 적는다. '일왕이 황거에서 오바마와 만나….' '일왕이 퇴위하려면 황실전범부터 손봐야….' 이럴 때 기자들은 머릿속 교열기에 빨간불이 들어온다. 황거도 '왕거'라고 고쳐 쓰는 게 맞나, 놔두는 게 맞나.

일본강점기를 몸으로 겪은 선배들이 뭐라고 썼나 그래서 궁금했다. 해방 공간 기자들은 그냥 천황이라고 썼다. 1950년대, 60년대, 70년대도 쭉 그랬다. 일왕을 천황이라고 써도, 그 시절 말과 글엔 우리를 숙연하게 하는 실감과 기개가 있다. 1961년 3월 1일자 조선일보 4면 기사를 소개한다. 3·1 운동 때 10대였던 초등학교 선생님 인터뷰다.

"3·1 운동 후 첫 음악 수업 때 일본 선생님이 노래를 시키니까 아무도 음을 내는 사람이 없었어요. 선생님이 왜 안 부르느냐고 하자 한 학생이 소리쳤어요. '당신의 나라 천황이 죽었을 땐 가무를 금하면서 우리 임금님이 돌아가셨는데 노래를 하란 말이오!'"

1989년까지 일왕을 일왕이라고 쓴 조선일보 기사는 4건뿐이다. 나머지는 천황이라고 썼다. 동아일보도, 경향신문도 마찬가지다. 한겨레도 창간 초기엔 천황이라고 썼다. 1988~1989년을 기점으로 언론과 국민이 일왕으로 돌아섰다. 일본 교과서 역사 왜곡 파동(1986년), 재일동포 지문날인 사건(1989년)이 잇따른 데다, 1989년 히로히토(裕仁) 일왕이 숨지면서 전쟁 책임이 부각됐다.

정부는 명확한 입장 없이 오락가락했는데 1998년 박지원 청와대 대변인이 선을 그었다. "상대국 호칭 그대로 불러주는 게 외교 관례다. 정부는 천황이라고 부르겠다." 그 뒤 김대중·노무현 대통령이 일왕을 만났을 때, 두 사람 다 상대를 '천황 폐하'라고 불렀다. 2016년 외교부 공문도 천황이라고 쓴다.

일왕을 일왕이라고 부른다고 우리가 강해지지 않는다. 일왕을 천황이라 부른다고 우리가 낮아지지 않는 것과 마찬가지다.

참고로 미국은 '엠퍼러(emperor)', 중국은 천황, 대만은 천황·일왕을 섞어 쓴다. 태평양전쟁 때 쑥밭이 된 베트남 외교관이 "옛날은 모르지만 지금은 정부도 언론도 '냐부어녓반(일본 황제)'이라고 쓴다"고 했다. 말레이시아 외교관이 "우리도 '마하라자 주폰'이라고 쓴다"고 했다. "'마하라자'는 황제, '주폰'은 일본이에요. 태국은 왕이니까 그냥 '라자'(왕)입니다."

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/07/24/2016072401746.html

ちなみに、黒田勝弘さんのこのコラムは、上の朝鮮日報のコラムをさらに補足してくれます。こういう議論が出てくる背景にあるのは確かに「華夷秩序」に基づく世界観です。

2016.8.8 02:30
黒田勝弘の緯度経度】
韓国メディアは天皇陛下を「日王」と呼ぶ非礼をいつまで続けるつもりか? 「日王は朝日の愛読者」との報道も…

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お誕生日に先立ち記者会見に臨まれる天皇陛下=2015年12月18日、皇居・宮殿「石橋の間」(代表撮影)

 天皇陛下の生前退位問題は韓国でも関心が持たれていて、メディアは比較的熱心に日本の動静を伝えている。背景には陛下を平和愛好家の“護憲派”と位置付け、からめ手でいつもの安倍政権批判につなげようという魂胆がある。

 その代表例は東亜日報(7月25日付)の東京特派員コラムで、天皇陛下護憲派説を紹介するとともに「日王は朝日新聞の愛読者といわれてもいる。どうみても日本の保守右傾化の流れとは距離が遠い人だ」と書いている。

 東亜日報朝日新聞とは緊密な提携関係にあるが、陛下が朝日新聞の愛読者とは! ここまで書かれたのでは陛下もご迷惑だろう。こういうのを日本では「ひいきの引き倒し」という。

 それに、そんな陛下に対し相変わらず「日王」と書いている。なぜ、国際的常識にしたがい「天皇」と書かないのだろう。「日王」などという不思議な呼称を使っているのは、世界でも韓国のメディアしかない。

 退位問題報道を機にこの「日王」に珍しく疑問を提起した報道があった。東亜日報のライバル紙の朝鮮日報でこちらも東京特派員コラム。退位問題の記事を書きながら「天皇と書くべきか日王と書くべきか」しばし手が止まったが、結局は「日王」と書いたという。

 それでも韓国政府は正式呼称として「天皇」を使い、中国や台湾など漢字圏を含め諸外国も「天皇(英語ではエンペラー)」と表記しているという事実を紹介。「日王を日王と呼んだからといってわれわれが強くはならない。同じく天皇と呼んだからといってわれわれが低くなるものでもない」という。

 正論である。朝鮮日報が先頭に立って韓国のメディアの国際的非常識をぜひただしてほしいものだ。

 韓国が「天皇」に拒否感を示してきたのは、東アジアの中華圏では「皇帝」は中国のみに存在し、他の国の王はその下に存在するという、19世紀以前の“華夷秩序”意識に由来する。つまり日本が「皇」を使うのがシャクにさわるのだ。

 国際情勢も変わり、今や中国だって何も気にしていないのに、韓国だけがこだわっているのだから切ない。このこだわりが国際的には逆に韓国の品格を下げ、日本ではひんしゅくを買っているという現実に、朝鮮日報東京特派員はやっと気付いたようだ。

 韓国メディアも以前は「日皇」が多かった。韓国の抗日愛国者の代表格である金九の自伝『白凡逸志』でも「日皇」だ。これも「天」を省略した格下げの意味があったが、さらに格下げのつもりが「日王」で、これが一般化したのは1990年代以降ではなかったか。

 東亜日報は98年10月8日付「社告」で、いったんは外交慣例にしたがってその国の呼称にしたがうと「天皇」にしながら、2004年10月3日付で「国王」「日王」に改めると発表し、後退している。

 そもそも漢字を知らない現代韓国人に「ファン(皇)」と「ワン(王)」の見分け、聞き分けなどできないし、違いも分からない。正式に「チョンファン(天皇)」を使っても日本の“元首”の固有の呼称だといえば済む話なのだ。

 国際的には「プレジデント」である中国、北朝鮮の「主席」や台湾の「総統」を韓国のメディアは自分流に「大統領」とはいわずそのまま使っているのに、天皇だけは勝手に日王などといっている。国際的非礼以外の何ものでもない。

(ソウル駐在客員論説委員黒田勝弘

http://www.sankei.com/world/news/160806/wor1608060037-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/160806/wor1608060037-n2.html
http://www.sankei.com/world/news/160806/wor1608060037-n3.html

ま、黒田さんはそうおっしゃいますが、個人的にはこの件、「勝手にそう呼んで勝手に困ってるんやから、勝手にさせといたらええんとちゃう?」と思うんですよ。やっぱり。

放置しといて日本側になんか不利益あります?特にないような気がしますし、最終的には収まるところに収まるような気がしますけどねえ。