「民衆は犬豚」発言と朝鮮日報コラムの屈折

朝鮮日報が不思議な含みのあるコラムを書いていると思ったら、事の発端はこれだったんですね。

あー。これは確かに、いくら何でもな発言ですね。

교육부 고위간부 “민중은 개·돼지···신분제 공고화해야”
장은교 기자 입력 : 2016.07.08 20:25:00 수정 : 2016.07.08 23:37:03

ㆍ교육정책 총괄 나향욱 정책기획관, 기자와 식사하며 ‘망언’
ㆍ“출발선상 다른 게 현실…상하 간의 격차를 인정하자는 취지”

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교육부 나향욱 정책기획관(47·사진)이 “민중은 개·돼지와 같다”며 “(우리나라도) 신분제를 정했으면 좋겠다”고 말했다. 지난 7일 저녁 서울 종로의 한 식당에서 경향신문 정책사회부장, 교육부 출입기자와 저녁을 함께하는 자리에서였다. 자리에는 교육부 대변인, 대외협력실 과장이 동석했다.

나 기획관은 역사교과서 국정화, 공무원 정책실명제에 대한 얘기를 나누던 중 ‘신분제’ 얘기를 꺼냈다. 경향신문 기자들은 발언의 심각성을 지적하고 수차례 해명의 기회를 주었으나 나 기획관은 처음의 발언을 거두지 않았다. 경향신문 기자들과 기획관은 이날 처음 만나는 상견례 자리였다. 교육부 정책기획관(고위공무원단 2~3급)은 역사교과서 국정화와 누리과정, 대학구조개혁 같은 교육부의 굵직한 정책을 기획하고 타 부처와 정책을 조율하는 주요 보직이다. 나 기획관은 행정고시 36회 출신으로 이명박 정부에서 교육부 장관 비서관, 청와대 행정관으로 일했고 교육부 대학지원과장, 교직발전기획과장, 지방교육자치과장을 거쳐 지난 3월 정책기획관으로 승진했다.

경향신문은 사석에서 나온 개인 발언이란 점을 감안하더라도 교육정책을 총괄하는 고위 간부의 비뚤어진 인식, 문제 발언을 철회하거나 해명하지 않은 점을 들어 대화 내용을 공개하기로 했다.

“나는 신분제를 공고화시켜야 한다고 생각한다.”(나향욱 정책기획관)

  • 신분제를 공고화시켜야 한다고?(모두 농담이라고 생각해 웃음)

“신분제를 공고화시켜야 된다. 민중은 개·돼지다, 이런 멘트가 나온 영화가 있었는데….”

  • <내부자들>이다.

“아, 그래 <내부자들>…. 민중은 개·돼지로 취급하면 된다.”

  • 그게 무슨 말이냐?(참석자들의 얼굴이 굳어지기 시작)

“개·돼지로 보고 먹고살게만 해주면 된다고.”

  • 지금 말하는 민중이 누구냐?

“99%지.”

  • 1% 대 99% 할 때 그 99%?

“그렇다.”

  • 기획관은 어디 속한다고 생각하는가?

“나는 1%가 되려고 노력하는 사람이다. 어차피 다 평등할 수는 없기 때문에 현실을 인정해야 한다.”

  • 신분제를 공고화시켜야 한다는 게 무슨 뜻인가?

“신분이 정해져 있으면 좋겠다는 거다. 미국을 보면 흑인이나 히스패닉, 이런 애들은 정치니 뭐니 이런 높은 데 올라가려고 하지도 않는다. 대신 상·하원… 위에 있는 사람들이 걔들까지 먹고살 수 있게 해주면 되는 거다.”

  • 기획관 자녀도 비정규직이 돼서 99%로 살 수 있다. 그게 남의 일 같나?

(정확한 답은 들리지 않았으나 아니다, 그럴 리 없다는 취지로 대답)

  • 기획관은 구의역에서 컵라면도 못 먹고 죽은 아이가 가슴 아프지도 않은가. 사회가 안 변하면 내 자식도 그렇게 될 수 있는 거다. 그게 내 자식이라고 생각해 봐라.

“그게 어떻게 내 자식처럼 생각되나. 그게 자기 자식 일처럼 생각이 되나.”

  • 우리는 내 자식처럼 가슴이 아프다.

“그렇게 말하는 건 위선이다.”

  • 지금 말한 게 진짜 본인 소신인가?

“내 생각이 그렇다는 거다.”

  • 이 나라 교육부에 이런 생각을 가진 공무원이 이렇게 높은 자리에 있다니…. 그래도 이 정부가 겉으로라도 사회적 간극을 줄이기 위해 노력해야 한다고 생각하는 줄 알았다.

“아이고… 출발선상이 다른데 그게 어떻게 같아지나. 현실이라는 게 있는데….”

경향신문 기자들은 더 이상 대화를 할 수 없다고 보고 자리에서 일어났다. 뒤따라온 교육부 대변인과 과장이 “해명이라도 들어보시라”고 만류, 다시 돌아가 앉았다. 이때부터는 휴대폰 녹음기능을 틀고 테이블 위에 올려놓았다. 나 기획관은 “공무원으로서가 아니라 개인적인 생각을 편하게 얘기한 것”이라고 해명했다.

  • 조금전 발언 실언이냐, 본인 생각이냐.

“(휴대폰을 가리키며) 일단 그거 꺼라. 개인적인 생각을 말씀드린 것도 있고. 내 생각은 미국은 신분사회가 이렇게 돼 있는데, 이런 사회가 되는 것도 괜찮지 않겠는가… 이런 얘길 한 것이다. ‘네 애가 구의역 사고당한 애처럼 그렇게 될지 모르는데’ 하셨는데, 나도 그런 사회 싫다. 그런 사회 싫은데, 그런 애가 안 생기기 위해서라도 상하 간의 격차는 어쩔 수 없고… 상과 하 간의 격차가 어느 정도 존재하는 사회가 어찌 보면 합리적인 사회가 아니냐 그렇게 얘기한 것이다.”

  • 사회안전망을 만든다는 것과 민중을 개·돼지로 보고 먹이를 주겠다는 것은 다르지 않은가.

“이 사회가 그래도 나아지려면 어느 정도 인정하는 게 있어야 할 거 아니냐라고 얘기한 거다.”

  • 정식으로 해명할 기회를 주겠다. 다시 말해 봐라.

“공식적인 질문이면… 그거 끄고 하자.”

  • 본인의 생각이 떳떳하면 왜 말을 못하는가. 개인 생각과 공무원으로서의 생각이 다른가.

“같을 수도 있고 다를 수도 있는데… 지금은 말 못한다.”

나 기획관은 8일 저녁 대변인과 함께 경향신문 편집국을 찾아와 “과음과 과로가 겹쳐 본의 아니게 표현이 거칠게 나간 것 같다. 실언을 했고, 사과드린다”고 말했다.

http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201607082025001

そらー、こうなっても仕方ないか。好き好んでそうなりたくての発言ではなかったとしたら、アホですがな。何を考えていたのやら。

「民衆は犬、豚」発言の韓国教育部公務員を罷免
2016年07月12日14時55分
[ⓒ 中央日報日本語版]

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ナ・ヒャンウク教育部政策企画官

韓国教育部が「民衆は犬、豚」という妄言で物議をかもして公憤を買ったナ・ヒャンウク教育部政策企画官を罷免することにした。

教育部は12日、政府ソウル庁舎で記者会見を開き、「ナ・ヒャンウク政策企画官を罷免することにした」とし「公務員として不適切な妄言で国民の心に大きな傷を残し、公務員全体の品位を深刻に傷つけた」と述べた。

教育部は今回の事件に対する調査を早期に終え、13日中に中央懲戒委員会に懲戒議決を要求すると同時に、ナ政策企画官を職位解除処分とする予定だ。

ナ政策企画官は7日、報道機関の記者らと食事をした席で「民衆は犬、豚として扱えばよい」「身分制を強化しなければいけない」などと発言し、国民の怒りを招いた。

http://japanese.joins.com/article/197/218197.html

いくら朝鮮日報でも、さすがにこれは、かばいようがありませんわね。かといって、京郷新聞やハンギョレと同じ調子で批判をご唱和するわけにもいかないでしょう。それで、こんな風に屈折した書き方になったわけですか。

とは言え、こうしたひとひねり、ひとねじりしたコラムは、朝鮮日報ならでは、とも思います。個人的にはそのへん、けっこう評価してるんですよ。

なお、「クッポン」のもともとの意味内容や用法については、こちらをどうぞ。若干、この当時からニュアンスがズレてきているような気がします。

「국뽕/クッポン」という言葉をめぐって - 大塚愛と死の哲学

記事入力 : 2016/08/07 06:09
【コラム】映画『仁川上陸作戦』に対する「クッポン」というレッテル

 先月27日に公開された韓国映画「仁川上陸作戦」が、一部で「クッポン」という評価を受けている。クッポンは「国家」(韓国語でクッカ)と覚せい剤ヒロポン」の合成語で、クッポン映画とは過剰なナショナリズムを広げる狙いで作られた映画という意味になる。過去の記事を見返してみると、「国際市場で逢いましょう」(原題:「国際市場」)や「延坪海戦」が同じようなことを言われており、李舜臣(イ・スンシン)将軍率いる朝鮮水軍と日本水軍の戦いを描いた「バトル・オーシャン 海上決戦」(原題:「鳴梁」)、旧日本軍の慰安婦問題を扱った「鬼郷」も「クッポン・マーケティングに依存した」などと評価された。中でも、北朝鮮と対立するストーリーや6・25戦争(朝鮮戦争)を扱った映画は、往々にしてクッポンというレッテルを貼られることが多い。

 この種の映画に辞書にも載っていない侮蔑的な表現を使うのは、作品の完成度や芸術性とは関係なく、そこに表れた世界観を問題視しようとする意図が感じられる。国家を中毒性の強い違法な覚せい剤になぞらえて否定的なニュアンスを最大化する裏には、「見るな」という非常にはっきりとしたメッセージが込められている。

 この言葉を使う人々は、映画1本で人の意識がまひするかもしれないと本当に思っているのだろうか。クッポンという言葉を聞くたびに「昔の子どもたちは虎患(虎に襲われること)、媽媽(ママ=天然痘)、戦争などが一番怖い災害だったが、現代の子どもたちは無分別な違法ビデオを視聴することで非行青少年になる」と言っていたころの単純な論理が思い浮かぶ。全体主義的な世界観を擁護するつもりは決してないが、作品の出来不出来に関係なく、ただ北朝鮮との戦争、南北対立が鮮明な特定の映画だけをクッポンなどと評することもまた、十把(じっぱ)ひとからげの扱い方だ。

 国が何をしてくれたわけでもないのに、愛国心ばかりを強調することを不快に感じる人もいるだろう。いわゆる「88万ウォン(約8万円)=20代の非正規労働者の平均月給=世代」の間で、出口のない無限競争に疲れた若者が幸福な人生を求めて韓国を離れるという内容の小説「韓国が嫌いで」が話題になるかと思えば、あらゆることを「泥スプーンVS金スプーン」という階級論で捉える見方がまんえんし、経済的な理由から結婚をしない、または延期する若者がそこここにいる。こうした状況では、国の何が重要なのかと考えるかもしれない。しかし一方で、公務員の職を切望するたくさんの若者たちを見ると、国家が今や安定した職場という存在に落ちたかのような気にもなる。

 今のような状態で国に対して厳粛主義的な態度を強く求めるなど、世情を知らない人かもしれない。チン・ギョンジュン検事長をはじめ、国の権力をためらいなく蓄財手段に活用するお偉いさんたちが健在であることが判明し、いくらプライベートな席とはいえ「99%の民衆はイヌやブタ」と口にする高官がいるのに、何が愛国だと言われれば、返す言葉がない。

 一方ではクッポンと言って国をこき下ろし、もう一方では私利私欲のために自分の地位を利用している間に、私たちが守るべき国はどこへ行ってしまったのか。「仁川上陸作戦」のような映画は、むしろこんな国の「意味を探す」という観点で見るべきではないだろうか。

シン・ドンフン文化部次長

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/05/2016080501836.html

記事入力 : 2016/08/07 06:11
【コラム】韓国社会にはびこる「犬豚」たち

 権力者にこびへつらう者、外部の勢力に対し卑屈になる者、貪欲で素行の悪い者、義理を捨てた者…歴史家たちはこのような者たちを「犬豚」と呼んだ。

 ある公務員のせいで「犬豚」という言葉が誤用されている。かつての史官(文書や記録を担当した官吏)たちにとって「犬豚」とはそれほど価値のない言葉ではなかった。それは民衆ではなく、貪欲な権力者たちに向かって後ろ指を指すときに用いる言葉だった。「犬豚のようだ」とも言った。極度に貪欲な姿勢に対しては「犬豚にも劣る」と表現した。当時は王に直接訴えるときにそう表現し、実録にそのまま記載されて後世に伝えられた。

 朝鮮王朝時代の史官は最高の教養を持つ人たちだった。その史官たちが書いた朝鮮王朝実録の文章が、そんなに乱暴なものだとは思わなかった。朝鮮王朝中期の高官だった高孟英(コ・メンヨン)について評価した文章を読むと、ひやりとさせられる。その名前の3文字が出てくるたびに、とげとげしい表現になる。「犬豚にも劣る」という酷評だけでは怒りが鎮まらなかったのか、「ネズミやキツネのような存在」「九尾のキツネ(尾が9本あって、人間をたぶらかすという伝説上のキツネ)」とも表現した。弘文館(宮中の書物の管理を担当したり、王の諮問に応じたりした機関)の副提学(ナンバー2)まで務めた高官に対し、なぜここまで激しい表現をためらわなかったのか。

 権力者にこびへつらい、国を惑わしたというのがその理由だ。「権力者の前で奴隷のように卑屈になり、地位を固めた」という。高孟英が要職に就くと「識者たちが唾を吐いた」と酷評した。同じように権力者にこびへつらった文官の李戡(イ・ガム)もまた「犬豚」呼ばわりを免れなかった。「父親父親と思わないようなそぶりを見せながら、権力者には『主人』のようにこびへつらった」という。同じ派閥に属したイ・リョンは「法官(裁判官)のときにみだらな行為をし、外交使節となって欲を高めていった」との理由で「犬豚」の仲間入りをした。文官の李艤(イ・ウィ)については「権力者にノミのようにひっつき、宰相までも尻に敷いた」との理由を挙げ、「犬豚」に分類した。

 内部の権力者だけではなく、外部の勢力にこびへつらう者も、史官たちには「犬豚」と認識された。壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)以後の朝鮮にとって、中国は雲の上のような存在だった。ところが、中国にこびへつらった朝鮮人の通訳官たちも、実録には「市場で利益を得ようと企む、犬豚にも劣る者」と記録された。「国益を考えず、ただ自らを利することだけに尽力し、少しでも気に食わないことがあると、ひそかに中国人に取り入り、うっぷんを晴らそうとした」という。中国とは逆に、当時の日本は敵国だった。国を代表して敵国に行き「敵情を探るのに躍起になり、義を守れなかった」外交官たちもまた、獣扱いを受けた。「書契(日本との外交文書)は雑な文章であっても直せず、白金は大義名分がなくても追い払うことができず、こうべを垂れて受け入れることにより、犬豚のような辱めを受けた」。体面を保つことができなかった罪を着せられたのだ。

 実録で初めて「犬豚」扱いを受けた人物は、朝鮮王朝初期の武官、柳殷之(ユ・ウンジ)だった。受け継いだ権力や財力を盾にみだらな行為を重ね、一家もろとも追放され、歴史の烙印(らくいん)を押された。「品行が犬豚のような一家が倫理を滅ぼした」と酷評された。朝鮮王朝後期の優秀な文官だった呉道一(オ・ドイル)が「人の姿をした獣」と断罪されたのも、晩年のみだらな行為が理由だった。「酒に酔うと突然服を脱ぎ、妓生(キーセン)たちも裸にして追い回してふざけ、『人の姿をした獣』と呼ばれるようになった」と細かく記載されている。史官たちはさらに、「財産をむさぼった」との理由で、呉道一をさらに罵倒した。富をむさぼり、「犬豚のような」王の親戚らと関係を持ったというわけだ。「同じ派閥の人物ですら、汚い存在と考えていた」ともつづった。

 義理を捨てた官僚たちも「犬豚」呼ばわりした。朝鮮王朝中期の文官、宋軼(ソン・ジル)は、第10代国王・燕山君の下で判書(高官の一つ)に昇進しながら、裏切ったためだ。「王に歯向かった罪を考えれば、真っ先に斬首してしかるべきだが、厚かましくも天をだます罪を犯している」。史官は宋軼について「想像以上の犬豚同然の存在で、恥ずかしさもないようだ」とつづった。だが、韓国の歴史の中で、宋軼のように義理を捨てて「犬豚」呼ばわりされた人物もそうそういない。李完用(イ・ワンヨン)や朴斉純(パク・チェスン)などの乙巳五賊(いっしごぞく、1905年の第2次日韓協約締結に賛成した朝鮮の大臣ら)くらいだろう。朝鮮王朝末期のジャーナリスト・張志淵(チャン・ジヨン)は、新聞に掲載した論説『是日也放声大哭』で、乙巳五賊を「犬豚にも劣る臣下だ」とつづった。

 歴史やメディアの辛辣(しんらつ)な批判にもかかわらず、権力の懐の中で気楽な一生を送った「犬豚」もいる。実録には彼らに対する史官たちの無力感の吐露や嘆きも込められている。「王が目を覚まさず、彼らをすばらしい人物と考えているため、盛り土が崩れるような危険な状況であっても、どうしてうまくやっていけるのか」。だが史官たちは決して、王のせいにはしなかった。「ああ、王に忠告する臣下の中に、悪を憎んで、タカがスズメを追うかのような心をもって王に接することができる人もいたではないか」

 実録を作成した朝鮮の歴史家たちに、今日の韓国はどのように見えるだろうか。権力や財力にこびへつらう者、欲や利益に目がくらむ者、みだらな行為におぼれ、義理を捨てるもの…実録を読めば、頭に浮かぶ人たちが少なくない。権力を盾に、世論に対し目をつぶり、耳をふさぐ実態もよく似ている。朝鮮王朝時代の歴史家なら、きっと心配するだろう。再び乙巳五賊のような「犬豚」が現れ、国をむしばんでしまうのではないかと。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/05/2016080501833.html