「お墓としての納骨堂」と税金(固定資産税)との関係

日本における都市部での「納骨堂ビジネス」については、以前に一度取り上げたことがあります。

日本の納骨堂ビジネス - 大塚愛と死の哲学

個人的な感想を言わせてもらえるなら、どちら様の言い分にも一理はあります。が、どちらにも手放しの賛意を表明することはできません。

上の過去記事でも書いているように、こうした納骨堂の建設・販売には紛れもないビジネスの側面があり、その意味で課税しようとする側の主張には説得力があります。ビジネスであるとすれば、その宗教的側面についての主張はともかく、設置者としての宗教法人は、その事業について何らかの形で課税を受け入れざるを得ないように思います。

ただし、「だったら堂々と税を払えばいい」で話が済むかと言えば、それは否です。

この記事は出だしの一文からして明らかに混乱しているのですが、問題になっている「納骨堂」は「お寺」ではなく「お墓」の一種と位置づけられるべきでしょう。そこを何故か「お寺」として議論するから、その議論がなんだか明後日な方向に向いてしまっていると思うのですよ。

宗教法人や宗教活動への非課税措置についてあーだこーだ言う前に、ここで問題にされるべきなのは、「墓地について固定資産税を非課税」と定められているのは何故か、そこへ課税するとしたら、果たしてどのような事態を呼ぶことになるのか、ということです。

直接的に檀家だったりしない限り、「お寺」が廃寺になろうがなるまいが、「多くの国民」からすれば知ったことではないでしょう。でも、自分や身内や周囲の人が入るかもしれない「お墓」が、税金の滞納によって差し押さえられ、競売にかけられて売り飛ばされるとしたら、どうでしょう。他人事ではなくなるのではないですか?

念押しして確認しておきますが、ここで議論になっている「納骨堂」は、一時的な仮安置所としてではなく、ある程度永続的な性格を有する墓地として位置づけられるものだと思われます。そこに「固定資産税をかける」というのは、一般的な不動産と同様の扱いで売り飛ばされてしまう可能性を受け入れるということです。永続性を棄損するそうした可能性を「それでいい」と判断するのが国民的な意見なのであれば、まあそれもいいでしょう。

でもね、ホントにそれでええのん?

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結論から言えばこの長文記事、論点を適切に絞り込めていないが故に、ピントの合ってないボケボケな記事になってしまっています(そうなった責任はおそらく、全体の筆者である朝日新聞の記者さんにあります)。『月刊住職』の矢澤さん、編集されてあがってきたこの記事を読んで、さぞ歯がゆい思いをしたのではないでしょうか。核心的な主張だったはずの部分が、あまり理解されていないですもんね。

都心一等地に「ビル型納骨堂」続々 東京都が課税し波紋
佐藤秀男 2016年8月13日04時00分

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中央の建物が、宗教法人が3年前に開設した納骨堂。その右隣で別の宗教法人が納骨堂を建設中だ。都心の一等地に納骨堂が並び立つ予定だ=東京都港区

 「新しいお寺」として最近、広がりをみせているのがビル型の納骨堂です。立体駐車場さながらに遺骨が運ばれてくる現代的なシステムで、お寺側は販売を代行する民間企業と二人三脚でPRに努めます。ところがこの納骨堂に思わぬ固定資産税がかけられたことで、仏教界に波紋が広がっています。

 狭い路地を、資材を積んだ大型トラックが音を立てていく。東京・赤坂の繁華街で、お寺が運営する納骨堂の建設が進んでいる。もともとあった墓地を縮小し、本堂と約8千基の納骨スペースを備えた地上6階建てのビル型納骨堂が、年内にもお目見えする。区画の募集は来春ごろの見込みで、首都圏を中心に霊園開発を手がけるニチリョク(東京)が販売を代行する予定だ。

 建設中の納骨堂の隣には3年前、金沢市宗教法人「伝燈(でんとう)院」が「新しいスタイルのお寺」をコンセプトに地上5階建てで約3700基収容できる納骨堂をオープンさせた。近い将来、都心の一等地に納骨堂が並び立つ。

 限られた敷地に多くの遺骨の安置を可能にさせるのが、立体駐車場や倉庫で使われる「自動搬送式」というシステムだ。利用者が参拝所で個人情報入りのカードをかざすと、ベルトコンベヤーで遺骨が運ばれてくる。人口集中と墓地不足を背景に、都市部に「新しいお寺」の建設が相次ぐ。だが思わぬ落とし穴があった。税金だ。

 伝燈院が、東京都による納骨堂への固定資産税の課税は違法だとして、課税取り消しを求める訴えを東京地裁に起こした。新たな納骨堂の建設を始めた住職がそれを知ったのは今から約1年前。「どの寺も墓地と同じで当然、非課税と思って納骨堂を建てている。課税されるかもしれないなんて、考えもしなかった」

 遺骨を納める点で、納骨堂は墓地と一緒だ。だが地方税法は、墓地について固定資産税を非課税と定める一方、納骨堂に非課税の定めはない。そこに課税の余地があると都は踏んだ。やはり地方税法に、宗教法人がもっぱら本来の目的に使う境内地や建物は非課税とする決まりがある。

 都は、伝燈院が宗旨・宗派を問わず受け入れ、仏壇・仏具の「はせがわ」に5割の手数料を払って販売を委託する契約を結んでいた点を指摘。納骨堂が宗派の教義を広める本来の目的に使われているとは言えない、と課税に踏み切った。

 今年5月の東京地裁判決も都の主張を支持。伝燈院が控訴しなかったため判決が確定した。都は「課税するかどうかは実態に応じて判断する」(固定資産税課)と、今後も同様の課税があるとにおわせる。

 仏教界には懸念と反発が広がる。住職向け専門誌「月刊住職」は「宗旨不問で業者と組んだがために当局の勝訴」(今年7月号)「納骨堂課税は行政の宗教弾圧だ」(同8月号)と、この問題に関する記事を相次ぎ掲載。判決を契機に、納骨堂を非課税にしてきた全国の自治体に課税が波及する可能性を伝えた。

 納骨堂は、自治体以外では公益法人宗教法人しか運営できない。運営するお寺は経営面や建物の安全、衛生面など自治体が定めた設置基準を満たして初めて経営できる。

 現役住職でもある編集発行人の矢澤澄道(ちょうどう)(67)は「厳しい基準をクリアさせ、本来自らやるべき公益事業を寺に担わせておきながら、一方で税を課すのは矛盾している」と訴える。

 自動搬送式の維持にはコストがかかり、寺が単独で売りさばく営業力もない。永代にわたって供養するため、業者との「共同経営」も許容されるという。

 課税は妥当だとの声もある。寺の経営に詳しい慶応大学教授の中島隆信(応用経済学)は「料金を設定して販売する時点で宗教行為というよりビジネス。数多く販売するには宗派を問わないのが合理的だろうが、宗派の教えとはそんなに軽いものなのか」と話す。

 納骨堂への課税について、ニチリョクやはせがわは「運営主体は宗教法人でコメントする立場にない」と答えた。

 ビル型納骨堂をめぐっては、東京都墨田区千葉市稲毛区で「宗教法人の活動実績が乏しく、実態は宗教法人の名を借りた納骨堂ビジネスではないか」と、住民らが建設に反対している。いずれも区や市が計画を審査中だ。=敬称略(佐藤秀男)

■「あいまいな基準での課税は宗教弾圧」

 お寺と税やビジネスとの関係はどう考えたらいいでしょう。寺院向け専門誌「月刊住職」の矢澤澄道(ちょうどう)・編集発行人に聞きました。

 ――都市部を中心にビル型の納骨堂が増えています。

 「人口が集中した結果、マンションが高層化するのと同じです。首都圏では人口に比べてお寺の数が圧倒的に少なく、ひとつひとつの施設が大規模にならざるを得ない面もある。ただ私は、いわゆる自動搬送式の納骨堂は日本人の宗教観から言って非常に問題があると思っています」

 ――なぜですか。

 「遺骨は崇敬の念を持って人の手で取り扱い、安置するのが社会的慣習です。それを駐車場のように機械でぐるぐる移動させるわけですから。ですが個人的な思いは別にして、納骨堂を設置するには自治体が定めた厳しい基準をクリアする必要がある。その公益性や永続性の基準を満たしていると自治体が認めたわけです。遺骨の埋葬施設を整備するのは本来、自治体の役目でもある。自ら担うべき公益事業をお寺に許可し、担わせておきながら、一方で税を課すのは矛盾しています」

 ――宗教弾圧とまで言っていますね。

 「判決を読んでも課税基準がはっきりしない。基準があいまいなのに公益的な宗教法人の施設そのものに固定資産税を課税するのですから宗教弾圧でしょう」

 ――なぜ非課税でないといけないのですか。

 「遺骨を永代にわたって供養する永続性が求められるからです。特に自動搬送式の維持にはコストがかかる。利用者の金銭的な負担が増えかねませんから、利用者が課税されているとも言える。機能は墓地と一緒ですから、早急に税法を改正して納骨堂も墓地と同じく非課税にすべきです」

 ――裁判では、宗旨や宗派を問わず遺骨を受け入れている点が争点になりました。

 「各宗教法人の法人規則の目的欄には、たとえば真言宗だったら真言宗の布教、儀式をすると書いてあります。これがために、それ以外の宗派の布教は法人本来の目的でないと独断的に解釈されたのです。しかし、弘法大師にせよ親鸞にせよ道元にせよ、みなお釈迦様の弟子、同じ仏教です。あえていえば、『仏教及び○○宗の布教』とすればいいだけの話。そうなっていないのは、戦後のGHQの占領政策の影響があると思います」

 ――どういうことですか。

 「仏教勢力を分断するために各寺院を孤立化、弱体化させるためです。日本人が戦争に突き進んだ精神的な基礎が宗教にあると彼らは考えた。だから戦後、宗教法人法ができて各寺に法人登記をさせるとき、そのような指導をしたと私は見ています。また、それぞれの寺を独立した存在と規定させられたことで本山とお寺の関係は対等になり、本山の力は弱まったのです」

 ――宗派の教えの違いこそ、その宗派の本質ではないのですか。

 「いえ、違います。本質はお釈迦様の悟りのほうです。お釈迦様の悟りに近づくためにいろんな人が出てきて、さまざまな教義の解釈や修行をした。それによって日本の仏教は発展したわけです」

 ――永代使用料、つまり料金を明示した区画販売は商行為、ビジネスと言えないですか。

 「料金を目安として提示することは慣習として認められています。よく寄付でも一口いくらと募ったりしますよね。大事なのはおカネの趣旨と使途です。とくに永代使用料は対価ではなく、建物の運営維持費そのものです。永続性が認められない施設なら、誰も買いませんよ。法人は所轄庁に毎年きちんと会計報告もしています」

 ――よく高級車に乗っているとか「坊主丸もうけ」なんて言われますが。

 「それはまったく別次元の話です。でもウチの和尚は安全性の高いベンツに乗っていいよと檀家(だんか)が認めれば、それでいいでしょう。もちろん我々に自己規制が求められるのは当然です」

 ――いわゆる「名義貸し」の問題など、ビジネスにお寺が利用される懸念はありませんか。

 「お寺がビジネスに利用されている面は確かにあります。ただ、企業は赤字ならつぶれてもいいが、人々の信仰の対象であるお寺がつぶれては困る。納骨堂のために寺があるのでなく、寺を維持、運営していくために納骨堂があると言ってもいい。宗教法人であっても、何事も赤字でやっていける事業など現実にはありません。仏教の拠点としての寺がなくなれば、この世の中を善導する仏教の倫理、教えが滅び、社会はもっと荒廃してしまうと我々は信じています。もちろんキリスト教でも神道でもいいけれど、国は最低限、非課税の恩典で宗教法人を守っていくべきです」(聞き手・佐藤秀男)

■「仏教界が仕事をしてこなかったツケ」

 お寺と税の問題をどう考えればいいか。「お寺の経済学」の著書がある慶応大学の中島隆信教授(応用経済学)に聞きました。

 ――都市部を中心に納骨堂の建設が相次ぎ、固定資産税の問題がクローズアップされました。

 「本来の宗教活動に使っていれば非課税で、そうでなければ課税対象になるといいますが、そもそも本来の宗教活動とは何か、法律に明確な定義はない。そこで論争してもどこまで行っても平行線です。私自身には宗教活動について厳密な定義がありますが」

 ――どんなものですか?

 「料金を提示したやり取りをしていれば、それは宗教活動でなくビジネスです。欲望を捨てることで心の安寧を得るのが宗教の原点で、そこに値段の概念はないからです。宗派を問わずだれでも受け入れるなら、さらにビジネス的と言えるでしょう。墓地や納骨堂の区画を宗旨・宗派を問わずに販売することは営利事業、ビジネスだと思います」

 ――宗派を問わないのは、広く布教するためでは。

 「それは後付けの理屈という気がします。仏の道を目指すのは同じでも、各宗派の教えは過去の偉人たちが血のにじむ思いで練り上げてきたはず。そこにこだわらないなら、なんでもありになっちゃう。宗派は問わなくたって、仏の道に到達できる。もし本当にそう言い切れるお寺の住職がいたら、その人は過去の偉人を超える歴史的な宗教家ではないですか。宗派の違いって、そんなに軽いものですかと言いたい」

 ――宗派の違いなんてわからない、こだわりもない人も多いのでは。

 「確かに国民の側がドライな付き合いを求めている面はあります。だからといって仏教が嫌いかといえば、そんなことはない。仏様の前では自然に手を合わせるし、仏像展があれば大勢の人が見に行く。多くのお寺が、そういう人たちを上手に取り込めていない」

 ――今日の事態を招いたのはお寺の側だと。

 「アマゾンのお坊さん便問題しかり、檀(だん)信徒の宗教心を育むという、すべき仕事をしてこなかったツケが回っていると思います。仏教行事の本来の意味が形骸化してしまった。だからお互い、その場限りの付き合いで、サービスを単発的にやりとりする。レストランに行って食事してお金を払って終わり、と一緒。これは営利事業でしょう。だったら堂々と税を払えばいい。税を払うことは恥ずかしいことでもなんでもないんですから」

 ――課税強化は宗教弾圧ではないか、と反発の声があります。

 「信者に信仰を捨てろというのが宗教弾圧です。お寺の側から言うのはおかしい。国民の側が納骨堂への課税はけしからんと言うならわかる。ただ多くの国民は課税されても仕方がないと思うんじゃないでしょうか。包括宗教法人の責任も大きいと思います」

 ――それぞれのお寺が属する教団・宗派のことですね。

 「税の問題で対応を個々のお寺任せにせず、各宗派として譲れない線、守るべき線はどこにあるか方針を示すべきです。また人口が減るなかでお寺の数も当然減るわけですから、全体最適を考えた資源の再配分、経営が難しくなった寺の支援や寺じまいも考えないと」

 ――もっとガバナンスを発揮せよと。

 「個々のお寺は独立していて、包括法人が資本や人事権で支配できない関係になっていますが、税務当局や行政の介入が嫌なら、もっと自分たちで律しないと。税をどこまでお寺に負担してもらうか最終的には国民が決めるべき話ですが、お寺の応援団はどれだけいるの?って話です。いまだったら、お寺に税金かけるよって言って反対する人はあまりいないんじゃないですか」(聞き手・佐藤秀男)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ8B5S3KJ8BULFA01Y.html

もっとも、「行政の宗教弾圧」だのなんだのという『月刊住職』の煽り方がそうした取り上げられ方を招いた、とも言えますよ。

その意味では、宗教者の側に自業自得な面もあります。

2016年8月号の主な内容 (Vol.505)

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墓地は非課税だが納骨堂には課税するというのは行政と司法の宗教弾圧だ

納骨堂を経営できるのは民間では宗教法人公益法人であり、かつ所轄庁の厳しい条件をクリアしなければ許可されない。が、許可されれば墓地と同様に非課税。そう思っていたのに東京都は都内で曹洞宗寺院が営む納骨堂に対して課税し、この5月には司法もそれを認めた。だが、全国の自治体に聞くと非課税のところが多いのだ。判断が間違っていないか検証しよう。

http://www.kohzansha.com/jimon.html


それにしてもやっぱり、「永続性」を謳うのであれば、自動搬送式というか、機械式の導入は筋が悪いよなあ…。「永続的なメンテナンスを保証」なんてできないでしょう?

類似したシステムであるマンションの機械式駐車場も、何かと問題になってます。

smile-mansion.com

なので、この仕組みはやめといた方がええと思いますよー。

www.youtube.com