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PL学園硬式野球部「最後の12人」の引退試合

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朝日新聞の夕刊一面を飾っていましたね。他の地域の紙面のことは知りませんが。

ここで予告されていた通りに行われたようです。お疲れさまでした。

PL学園硬式野球部のラストゲーム - 大塚愛と死の哲学

おそらく、他ではないような辛いことの多い高校野球生活だったと思います。皆さんの人生のどこかでその経験が生きることを願っています。

PLの12人、笑顔のさよなら 球場で初めて歌えた校歌
2016年11月17日13時31分

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引退試合を終え、グラウンドで記念撮影に応じるPL学園硬式野球部の12人=3日、大阪府富田林市(関係者提供)

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PL学園の硬式野球部グラウンド。多くのプロ選手がここから巣立っていった=今年7月、大阪府富田林市

 休部となったPL学園高校(大阪府富田林市)硬式野球部の3年生12人が今月、引退試合を終えた。満員の客席、吹奏楽での応援歌、勝って口ずさんだ校歌――。最後は「幸せでした」と笑顔だった。

 11月3日、硬式野球部のグラウンドは温かい歓声に包まれた。

 例年なら硬式野球部員が分かれて対戦するが、今年は3年生が12人だけのため、軟式野球部が対戦相手を引き受けてくれ、軟式球で七回までの特別ルールで行われた。

 客席には保護者やOBらがいっぱい。女子生徒がアナウンスで盛り上げ、赤のジャンパーでそろえた吹奏楽部員らの奏でる応援歌が秋空に響いた。「ブラスバンドが鳴る中での試合は初めて。やっぱりいい!」と4番藤原光希君(18)。谷口大虎(だいご)君(18)は「最後に楽しくて幸せな思い出を作れた」と語った。

 この夏の大阪大会初戦前日の練習で左大腿(だいたい)骨を骨折した河野友哉君(17)を除く11人が11番打者までの打線を組み、9人が交代で守備についた。

 「泣いても笑っても最終回」とのアナウンスで客席から惜しむ声が上がった七回。「ファーストならいける」と河野君も守備につき、6―4で勝利。「グラウンドで初めて」という校歌を、手拍子の中で歌った。河野君は、「みんなと一緒に最後に試合ができてよかった」と話した。

 最後の試合を土井塁人君(19)は特別な思いをもって迎えた。実は、11人の仲間と試合に出たのはこの日が初めてだった。白血病と闘い、1年留年した土井君は、最後の夏は規定で公式戦に出られなかったため、この1年は練習試合も含めて試合では裏方に徹した。

 土井君は2013年春、あこがれだったPLに入学。だが、その直後に、2月にあった暴力事件の責任を取って監督が退任した。そのうち新監督がくると思っていたが、不在のまま秋に。その頃、発熱に襲われるようになり、白血病と診断され入院した。

 闘病生活を経て翌14年2月に退院。1歳下の11人と一緒に、1年生から復帰を目指した。だが、病気で体力が落ち、思うように体が動かない。そんな土井君を、11人が気に掛けてくれ、自主練習では打撃投手も買って出てくれた。

 ただ、復帰してからも野球経験のある監督が来ることはなかった。学校は部員受け入れ停止を決め、下級生が入ってこない中で3年間を過ごした。

■ユニホーム返却

 12人だけのチームで挑んだこの1年、時にぶつかり合うくらい、仲間とも野球とも真剣に向き合った。OBらは「野球部の将来を君たちが背負わなくてもいい」と言ってくれたが、ミーティングでは「俺たちが勝つことで絶対に何かが変わる」と何度も話し合った。実力ではなく、「伝統校の休部」ばかりが注目されたが、「与えてもらった環境で、どれだけ一生懸命やって結果を残すかが大事」とみんなで前を向いた。

 3日の引退試合は、みんなではしゃぐようにバットを振り、ボールを追いかけた。土井君は「ニコニコしながら野球をやるのが新鮮だった。この12人で同じユニホームで試合ができて楽しかった」と話した。

 思い描いた高校野球とは違ったが、他ではできない経験ができた。PLでは、ユニホームは個人ではなく学校のもの。文字通り、先輩たちの汗と涙が染みこんだユニホームが、古くなるまで受け継がれている。62期生も引退試合を終えて返却した。次につながりますように、と。(荻原千明)

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PL学園のユニホーム(一部にモザイクをかけています)=今年7月、大阪府富田林市

http://digital.asahi.com/koshien/articles/ASJCG3TK9JCGPTIL00K.html