南海郡を訪れた第2の目的地(第1は鶯江休憩所、第3は淑伊公園)である南海追慕ヌリ。
定点観測ポイントなわけですが、全体を見る概観は昨年やったので、今回は注目ポイントを絞って見ていきます。
まずは入り口近くの右山手にある平峴平里自然葬追慕墓域。伝統的な土葬の共同墓地を自然葬地へとリノベーションした、全国でも最先端を行く墓域です。
うん、順調にお墓の数も増えていますね。基本的には、新規のお墓よりも改葬されたものが大多数を占めています。
比較的大きな墓碑は、おそらく旧来の土葬共同墓にお墓を持っていた人たちが改葬した家族墓地です。この墓碑の大きさは、南海追慕ヌリの納骨平葬墓域のそれに準じたものです。
他方、同心円状の植え込みの周辺には、それよりもう二回り小さい墓碑のお墓もあります。こちらは、南海追慕ヌリの別の自然葬地「追慕庭園」で見られるものとほぼ同サイズです。
つまり、この自然葬地には、「納骨平葬」サイズと「自然葬」サイズの2種類の墓碑が混在していることになります。土地効率的には後者の方が望ましいと言えますが、選択できるのであれば前者の墓碑サイズを望む方が少なくないのだと思われます。
とりあえず、現在かなりの勢いで増えていると思われる、「納骨平葬」サイズの墓碑が並ぶ家族墓域に注目してみましょう。
よく見ると、どさくさ紛れにかなり無茶なことをしています。
この墓域の前身である「平峴平里共同墓地」は、1921年に開場したものですから(こちら参照)、それ以降に亡くなった方の改葬墓があるのはまあ、納得できます。しかしこれ、19世紀とか18世紀とか17世紀とかの生没年が刻まれたものが、そこら中にあります。
いや、心情的にはわかりますよ。この自然葬地が造成されたのを機に、祖先のものを含めた一族の墓地全体を自然葬化して、ここに移したわけです。
でも、現在の葬事法がこうした墓域の使用期限を最長60年と定めているのは周知の事実です。その期限を迎えた時、こうした墓地群はどうなるんでしょう…?
ま、そうは言いながら、あまり悲観はしてませんけどね。2、3世代分の猶予があるわけですし、その時々の条件に対応した何らかの方策が考え出され、その中で人々に受け入れられたモデルが普及するということになるでしょう。
ところで、この自然葬地には、一つだけ例外があります。
斜面の中腹にあるこの土葬墓、明らかに旧来の共同墓地にあったそのままの姿をとどめています。取り立てて特別な人物の墓地である感じはしませんし、何故にこれだけが残されているのか、現地で見る限りではその理由は不明です。