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【昌原の風景】昌原大学校・その1:名称とキャンパスの変遷をめぐるややこしさ

日常の事々

慶南大学校を出た後、大学前のバス停から704番のバスに乗り込んで移動です。

同じ昌原市内とは言え、統合前は馬山と昌原という別々の都市だったところの移動ですし、市内バスで小一時間かかります。

昌原市域に降り立ったのは、これが初めてだと思います。まあ市街地のだいぶ端っこの方ですけど。

昌原大学校。慶南大は私立でしたが、こちらは国立大学です。

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山を背景にしながらも平坦なキャンパスに立ち並ぶ校舎群の中には、やや前時代的な姿を見せているものが少なからずありますが、実際にはさほど古いわけではありません。せいぜいが1980年代半ば以降の建物ばかりです。

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その理由は、こちらで明らかになります。

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うむ。やはり大学の歴史を紹介する施設はこうでなくては。開館してなければ、あってもないのと同じことです。

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で、そこで紹介されている昌原大学校の歴史なのですが、実はけっこうややこしいというか、紛らわしいのです。

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ここではこうしてわかりやすくパネル展示されているので助かります。

まとめると、1969年から1977年までは「馬山教育大学」、1978年には「馬山初級大学」と改称し、翌1979年から1984年までは「馬山大学」となっています。ここまでは昌原ではなく馬山にあったことがわかります。

そして、1985年に馬山から昌原に移転して「昌原大学」となり、1991年に総合大学(大学校/University)に昇格を果たして「昌原大学校」となった、というわけです。

昌原大学校 - Wikipedia
창원대학교 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전
창원대학교 - 나무위키

なので、大学校としてはかなり歴史の浅い大学ですし、そもそも1980年代前半までは馬山にありましたので、例えば1979年の釜馬事態の当時には「馬山大学」というまったく別大学と言っていい名前(しかも改称されたばかりでほとんど馴染みのない状態)で存在していたことになります。

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ただし、昌原大学校をめぐるややこしさ・紛らわしさは、これにとどまるものではありません。

先に見た慶南大学校ですが、あそこは1961年から1971年まで「馬山大学」を名乗った後、「慶南大学」と改称しています。

경남대학교 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

さらに、馬山にはもう一つ、「馬山看護高等技術学校」(1956)→「馬山看護専門学校」(1972)→「馬山看護保健専門大学」(1983)→「馬山専門大学」(1992)→「馬山大学」(1998)という変遷を経て、2011年からは「馬山大学校」を名乗っている私立専門大学(=一部に3年制・4年制学科はあるものの、原則的には2年制)が存在します。

마산대학교 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

つまり、1960年代・1980年代前半・1990年代末以降という3つの時代において、それぞれ別の学校なのに同じ名前の「馬山大学」があったということになるわけです。

しかも、現在「生き残って」いる「馬山大学校」は、実際には看護医療系学科が看板の実業系専門大学で、しかも1985年に移転したキャンパスが馬山の市街地からは遠く離れたところにあって市内での存在感がいささか希薄だという…。

마산대학교

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現在だけを見るならばややこしさはないのですが、少しさかのぼると途端にこんがらがってしまいがちになるのが、この地域の高等教育の来歴の特徴です。

別の角度から見れば、これだけの学校が名乗ろうとしたくらい、「馬山」という地名にはブランド力があった、ということになるのだと思います。昌原・鎮海との統合を経て「昌原市」になったために、市の名前としてはなくなってしまったのですけど、もったいなかったんとちゃうのかな、と個人的には今でもちょっと思っています。

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