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神社の納骨堂

気になるニュース

この朝日新聞の記事。こういう話を聞いたのは初めてではないように思うのですが、それをどこで聞いたのか、いまちょっと思い出せません。

神社の納骨堂、なぜ増加? 死をけがれと避けてきたが…
水田道雄 2017年3月18日19時01分

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防府天満宮第二納骨殿の入り口=山口県防府市

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防府天満宮第二納骨殿の内部

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納骨壇でお参りをする利用者

 境内の近隣に墓地や納骨堂を設ける神社が出てきている。これまで、死を「けがれ」と嫌ってきたが、氏子との関係の変化が背景にあるようだ。神社はどのように施設を運営し、どんな人たちが利用しているのか。中国地方の実例を紹介します。

 学問の神様、菅原道真をまつる山口県防府市防府天満宮。その社殿から約500メートル離れた山のふもとに二つの納骨殿が並ぶ。2008年に完成した第一納骨殿には123基の、15年に完成した第二納骨殿には393基の納骨壇が設けられている。

 建物は鉄筋コンクリートの円筒状で、内部には納骨壇が「皆が永遠に平等であるように」との願いを込めて、建物の中心部を囲むように円形に並べられている。大きな窓からは木立が見え、落ち着いた雰囲気だ。

 防府市の自営業、宮本厚子さん(61)は近くの寺にあった親族の墓を整理して、納骨殿を利用するようになった。息子は県外に就職し、将来、墓を守ってくれる人のあてはない。「墓の面倒で悩まないように、息子を自由にしてあげたかった」と、納骨殿の永代使用権を得た。

 現在は夫の姉が眠り、月命日などに訪れる。「複数の友人が隣近所の納骨壇を利用していて、寂しくない」。利用者同士の親睦会もあり、一緒に旅行に出かけることもあるという。

 川本重雄さん(76)は会社を定年退職後、故郷の山口県平生町に妻と移り住んだ。子どもはなく、将来のお墓をどうするか妻と相談していたころ、天満宮に納骨殿ができると聞いて、社務所を訪れた。先祖が眠る墓も地元にあるが兄弟と相談し、夫婦で納骨殿に入ることを決めた。

 天満宮の納骨殿の利用は、自身の葬儀を神道で行う神道家であることが条件になっている。それ以前の宗派は問わず、仏教などの葬儀に参列するのも構わない。永代使用料は170万円~180万円だ。すでに第一納骨殿の8割、第二納骨殿の4割強が埋まっているという。

 天満宮鈴木宏宮司(59)は「『神社でも葬式はするんですね』と言われたことがある。これまでは知られていなかったが、納骨の場を探している人たちへの選択肢が増えたということです」と話している。(水田道雄)

■氏子との関係変化

 岡山県津山市の徳守神社は、聖武天皇の時代、733(天平5)年創建と伝えられる。この神社から3~4キロ離れた山の高台に、約40基の墓地と14年に完成した納骨堂がある。

 「神道の墓地を建立してほしい」と氏子から要望を受け、昭和40年代に墓地が整備されたという。利用するには永代祭祀(さいし)料が必要だが、年会費などはなく、地元の自治会が管理している。

 徳守神社神職の牧博嗣さん(65)は「施設を利用するには、改宗していただく必要はあるが、他宗派の葬儀などに出席することは全く問題ありません」と話す。

 神道は死やけがれを嫌う傾向にあり、境内に墓地や納骨堂などを造ることはない。徳守神社でも氏子が所有していた土地を買い上げて墓地にした。利用者は年に1人程度増えているが「営利目的ではないので、施設の拡張などは考えていない」という。

 「神道と死の距離」について研究している住吉神社(東京都中央区)の神職、柴田良一さん(35)によると、境内の近くで墓地や納骨施設を管理運営している神社は全国で約80カ所確認した。00年代ごろから、墓地や納骨堂を設ける神社が増えていったという。

 柴田さんは「神社は死をけがれとして避けてきた。しかし現代では、氏神と氏子という関係だけでなく、他のつながりも求められるようになった。その一つとして墓地や納骨施設の運営という選択肢が広がった」と分析している。

http://digital.asahi.com/articles/ASK3H6WKJK3HTZNB01C.html

イマイチはっきり思い出せないのですが、太宰府天満宮を訪れた時に、そんなのを見聞きしたようなしてないような…。

www.dazaifutenmangu.or.jp

息子と同じ場所で眠りたい 菅原文太さん、太宰府天満宮に納骨
2014.12.04 16:00

 11月28日に肝不全で亡くなった菅原文太さん(享年81)。彼は晩年、妻(72才)とともに、山梨県にある小さな家で暮らし、自宅前のビニールハウスで唐辛子や大根などの野菜作りに精を出す日々を送っていた。

 文太さんは2001年10月、当時31才で俳優として活動していた長男・加織さんを踏切事故に遭って亡くしている。最愛の息子を亡くした文太さんの悲しみは、想像を絶するほど深いものだった。「おれはもう、仕事はできない」と繰り返すようになり、自宅にこもることが多くなっていった。

「自宅の神棚に息子さんの霊璽をまつり、彼の愛用のギターを並べて、それをじっと見つめてばかりいるんです。あの頃の文太さんは、24時間、亡くなった息子さんのことしか考えていませんでした」(文太さんの知人)

 加織さんは生前、神道を信仰しており、文太さんは彼の遺骨を神道の聖地に納骨することにした。それが、福岡県の太宰府天満宮だった。同じ“菅原”姓の菅原道真を祭神としてまつり、全国天満宮の総本社であるこの地に、息子を眠らせたのだ。

「納骨からまもなく、文太さんは天満宮の近くにマンションを購入しました。“息子の側にいたいから”って、仕事がないときはここで暮らし始めたんです。息子さんの眠る祖霊殿にも、夫婦でよく参拝されていました」(前出・文太さんの知人)

 毎年紅葉の季節になると、全国各地から大勢の参拝客が絶えず訪れる天満宮だが、本殿から500mほど離れた祖霊殿は人気も少なく、ひっそりとたたずんでいる。今年の10月初旬、静寂の中、この祖霊殿の納骨堂に、文太さんと妻の姿があった。

「白木の祭壇の前で、息子さんの遺骨に長い間じっと手を合わせていました…」(居合わせた参拝客)

 その日文太さんは、加織さんの御霊に特別な思いを込めて祈りを捧げていたのかもしれない。今回、文太さんの葬儀は同じく天満宮の祖霊殿で営まれたが、これも生前の彼の強い意志だった。

「“先立った息子と同じ場所で眠りたい”って、ずっと言っていましたから。納骨もこちらで済ます予定だそうです。文太さん、息子さんが亡くなってからは、天満宮の神徒会に入会されていたんですよ。奥さんもまた、元々はクリスチャンだったんですが、息子さんの死をきっかけに神道に転宗されています。ご夫婦にとって、ここは息子さんとの“約束の地”となっていたんです」(前出・文太さんの知人)

 何度も通った太宰府の森。お骨となった父・文太さんはきっと天に向かって穏やかに語りかけたことだろう。「息子よ、見てるか」と。

※女性セブン2014年12月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20141204_290472.html