高校野球・福岡の東筑と大阪の大冠の快進撃

いえもちろん、甲子園に何度も出場している古豪ですけど、東筑は福岡県屈指の公立進学校ですし、今年の福岡は福岡大大濠を筆頭に例年以上に私学の前評判が高かったので、まさかここまで来るとは思いませんでした。でも、こういうことがあり得るのが学生スポーツなわけで、それが私を含めて見る人を惹きつけられる理由の一つです。

東筑V 石田、伝説は「プレッシャーだった」/福岡
[2017年7月29日11時30分 紙面から]

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福岡大大濠対東筑 スタンドの応援団に向かって駆けだす東筑ナイン(撮影・菊川光一)

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東筑過去の選手権エース名と成績

高校野球福岡大会:東筑3-1福岡大大濠>◇28日◇決勝◇小郡市野球場

 元オリックス監督の故仰木彬氏の母校で県内屈指の公立進学校、東筑(福岡)が古豪復活を果たした。次々と私学強豪を倒し、最後は今春センバツ8強で優勝候補筆頭の福岡大大濠に3-1で競り勝ち96年以来、6度目の夏切符をつかんだ。過去5度ある夏の甲子園出場のうち、3度は石田姓のエースで達成。そして今夏、4代目となる2年生の右横手投げエース石田旭昇(あきのり)投手が偉業を成し遂げた。

 「石田伝説」は本物だった! 最後の打者をこん身の内角直球で打ち取ると、2年生エースの石田は両手を天に突き上げ喜びを一気に爆発させた。決勝前、疲労から腰に痛みがあったという。それでも「試合に入ったら気持ちで投げた」。元々、中学時に駅伝部に借り出されるほどスタミナは自信がある。魂を込め2回戦から全7試合、計836球を1人で投げ抜いた。

 1回、先頭打者の三塁打に失策が絡んで1点を先制されたが「(東筑は)挑戦者。打たれて元々」と落ち着いていた。自らの暴投で傷口を広げた5回2死二、三塁では、プロ注目の4番・古賀をチェンジアップで空振り三振に打ち取った。投げ終えて「余力はない。力を出しも尽くしました」と話すほど全力を注いだ。

 過去3度、夏の甲子園に出場したエースが石田姓だったことから期待されてきた。入学後にその伝説を伝え聞き、初めは「周りのOBから言われプレッシャーだった」と言う。だが、伝説の継承に成功して「達成できて良かったです」。ようやく重圧から解放された。

 27日の準決勝後、疲労回復のため整骨院で初めて1時間、酸素カプセルに入った。自宅では冷水を浴びるなど長風呂でリフレッシュ。決勝では趣味は読書という秀才ならではの集中力がさえた。福岡で公立校の夏の甲子園出場は、同校が96年に出場したのが最後。中3の時、センバツを甲子園で観戦し「自分も立ってみたい」と思いをはせた聖地へ「あこがれの甲子園でドキドキですが、打ち取る投球で1戦1戦大事に戦いたい」と声をはずませた。

 名前の旭昇(あきのり)には両親の「朝日が昇る勢いのようにたくましく育ってほしい」との願いが込められている。5月下旬の招待試合で今春センバツ出場の日大三を完封するなど、成長著しい石田。戦国福岡を制した自信を武器に、「日の出の勢い」で鉄腕伝説をつくる。【菊川光一】

 ◆石田旭昇(いしだ・あきのり)2000年(平12)7月31日、福岡県鞍手町出身。野球は小2から軟式の鞍手ベアーズで投手として始める。鞍手中では軟式野球部。東筑進学後、上手から横手投げに転向。1年秋からベンチ入りし5月の日大三との招待試合からエース。最速137キロ。直球、シュート、スライダー、ツーシーム、チェンジアップ。国立大進学希望。173センチ、67キロ。右投げ右打ち。

https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1863925.html

東筑に比べれば、大冠は創立30年そこそこ。島上高校大冠分校として始まった普通科のみの後発の公立校ですけど、この記事を見ると、毎年上位をうかがう成績を挙げているのには、「大冠で野球をしたい」と思わせるような相応の基礎があるんですね。

勝戦の相手はセンバツ勝戦の再現となった対決で履正社を返り討ちにした大阪桐蔭。日本一の強豪を相手にしても、今まで通り全力で立ち向かってほしいです。ベストゲームを展開すれば、何があるかはわかりません。

【大阪】大冠、公立19年ぶり決勝進出 無名左腕が波乱の夏の主役

第99回全国高校野球選手権大阪大会準決勝 大冠3―1上宮 ( 2017年7月29日 シティ信金スタ )

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<上宮・大冠>上宮打線相手に9回1失点の投球を見せた大冠・丸山は最後の打者を打ち取りガッツポーズ Photo By スポニチ

 二ゴロで27個目のアウトを奪うと大冠(おおかんむり)の丸山は翼のように両手を広げた。1メートル83、78キロの細身のエースは大きく、そしてたくましく見えた。上宮を1失点完投。初の甲子園へ王手をかけた。

 「高めだとスタンドまで持っていかれるので、真っすぐも変化球も低めに集めた。早く追い込んでボール球を振らせ、ゴロを打たせるのが僕のスタイル」

 最速135キロの直球とカーブ、スライダー、チェンジアップで13個のゴロアウト。被安打7も、長打はゼロだった。打っても3回1死二塁で左翼線に先制二塁打を放ち、5回にも2死一塁から左前打し飯隈、寺地の連続適時打につなげた。

 「公立校だからとナメられがちだけど絶対に見返したい。ふだんのミーティングでも監督から“私立に負けるな”と言われている」

 全7試合に先発。特に3回戦から東海大仰星、北野、大阪偕星、春日丘、そしてこの日の上宮と5試合続けて過去の甲子園出場校を撃破した。「中学では最後は控えのピッチャーで背番号3をつけて一塁を守っていた。強豪私学に行くという考えもなかった」。大冠の体験練習に参加して100人を超える全部員の大きな声に身震いし、激しい練習に胸を熱くして進学を決めた。「こだわりはある」という背番号1は2年秋から付けている。高槻市の阿武山中では軟式を握っていた無名左腕が、波乱の夏の主役に躍り出た。

 大阪の公立校が夏の頂点に立ったのは1990年に中村紀(元近鉄)を擁した渋谷が最後。22年目の指揮をとる東山宏司監督は決勝戦へ「挑戦者の気持ちで食らいついて行くだけです」。主将の猪原は「打のチームなので、ここまで全試合で先攻。明日も先攻をとって僕らの形で攻めていきたい」。大きな冠を手にするまで、あと一つだ。

 ≪1代表では22年ぶり決勝≫大冠が勝ち、初の決勝進出。大阪の公立校の決勝進出は1998年桜塚以来、19年ぶり。この時は記念大会で南北大阪大会に分かれ2校代表制になっており、1代表では95年市岡以来、22年ぶり。公立校の優勝は90年渋谷が最後。 【7月29日の結果 大阪大会組み合わせ】
[ 2017年7月30日 05:30 ]

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/07/30/kiji/20170729s00001002286000c.html