【済州の風景】済州大学校我羅キャンパス・その1:在日済州人センター・在日済州人室

済州旅シリーズもようやく最終日。この日はまず、済州大学校へ。

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済州大のキャンパスは2つあるのですが、メインはこちらの我羅キャンパス。旧済州・新済州の市街地からはちょっと離れたところにあります。もっとも、バスの便は頻繁にありますから、通勤通学にそれほど不便はないでしょう。

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まずは、正門から入ってすぐ左手にあるこちらから。済州大学校歴史室・済州大学校博物館その他が入っている建物です。

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順番に見ていくことにしますが、ちょっと来るのが早すぎたのか、まだ開いていませんでした。しばらく待って、在日済州人センターから出てきた職員さんに言って開けてもらいました。

제주대학교 재일제주인센터

では、1階のこちら、「在日済州人室」から。

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済州島から日本に移り住んだ「在日済州人」の歴史について、パネルを中心に展示してあります。テーマがテーマだけに、どの説明文にも必ず日本語が併記されています。モノの陳列はあまりないのでそっちは期待しない方がいいですけど、説明文を読んで回れば、済州島と日本との人的なつながりについて一通り知ることができるようになっています。

大学の歴史室や博物館については、また記事を改めることにしましょう。

百万済州人ネットワークの産室、在日済州人センター
2011.10.04 (火) 李昌益

済州大学校在日済州人センターは、「在日済州人」という言葉を看板に掲げて、彼らのための事業を開始した世界に類例のない組織である。このセンターをつくるために約10余年に及ぶ準備期間を費やし、展示館と研究施設を収容する建物が昨年6月に着工し、現在は、来年5月の竣工を待ちわびているところである。

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▲済州大学校在日済州人センター一同。(右から)イ・チャンイク教授、キム・ボヒャン専任研究員、ヤン・ジェチョル事務長 撮影 : 趙啓垣

在日済州人センターの設立の目的は、済州出身の在日同胞がこれまで故郷済州に対して示してくれていた愛情と献身を顕彰し、済州に住む私たちと在日の彼らとの意思疎通と交流を強化することによって、次第に手を携え済州人として一体となれるように、その媒介の役割をはたすことである。

そうした設立趣旨を十分に果たすためには、以下の事業が必須である。①彼らが生きてきた過程に関する多様な研究、②彼らのうちでも故郷をよく知らない3,4世を対象に故郷に関する自負心の種を植え付け、故郷の真の姿を知らせるような文化、歴史、言語の教育実施、③済州を訪れる彼ら同胞に対する各種の情報とサービス提供、④彼らのうちでも生活の苦しい人々を物質的・精神的に援助すること、などである。さらに、上記の趣旨に基づく事業ができるように多大な支援を与えてくださった大阪の南海会館の金昌仁会長の実践哲学を若い学生たちに教え、まっとうな生の意味を考える機会を与える役割も果たしたい。

在日済州人1世は尋常ではない逆境、血と汗と涙にまみれた生活のなかにありながらも、自分自身のことよりも故郷を優先に考えて、その考えを実践してきた。そうした自己犠牲の歴史があったからこそ今の済州がある、と断言してもいいだろう。済州の60年代と70年代の日々の食事にも事欠いた頃、故郷済州の学校に金品や雑誌、書籍、楽器などを送り、人材養成に力を傾け、村の会館や道路、電気、水道の設備などにも多くの寄付をし、済州経済が発展するように助力を惜しまなかった。済州の生命の木とでも言うべきミカンの苗木を送ってくれ、その木こそが現在の済州を富裕な島にするもっとも重要な契機となった。

しかし歳月が流れ、彼らの存在は済州人の記憶から遠ざかりつつある。忘れてはならない存在なのに、次第に忘れ、無関心になってしまった。彼らの郷土愛とその実践を後続世代に知らしめるべきなのに、ついついそれを後回しにしてきた。それでもなお、彼らは済州を恨みはしなかった。現在でもなお、その後裔たちが一世の後を継いで、黙々と郷土愛を実践し続けている。

彼らは自分自身が困難の中にあっても、それを口にすることはない。ただただ、今や済州に助けの手を差し伸べることができなくなってしまった現実に苦しみ、故郷の蜘蛛の巣のように伸びる道路と各種の汚染、無分別な開発、さらには、済州の昔の温かった姿が消えていくのを見つめながら、心を痛め、悔しい思いを募らせている。そんな彼らに、済州はお決まりの「在日済州人を助ける」といった言葉を口にしながらも、実際にはほとんど何もしないままに長年が過ぎ去り、そんな美しい言葉も今では人をうんざりさせる空手形に化してしまった。そして、在日済州人は今や、済州に対して期待もしないし、信じもしない。

こうしたもどかしさと痛みに共感し、彼らの心を思いやるために、在日済州人センターが済州大学校に設立されることになったのだが、これは学校だけではなくて、100万道民全員の使命である。もちろん、大学が彼らの業績を顕彰し、本格的な研究活動と各種の事業を主導するつもりではあるが、済州道民の全員が一丸となって、彼らのための各種の事業を実践しないかぎり、何一つ成就されるはずもない。

さしあたっては、展示館のための各種の遺物と写真資料などが必要で、その確保が至急を要しており、道民の積極的な協力が求められる。この事業には多くの人々の関心が必須である。さらには、次第に困難を増している彼らのために、精神的・物質的な支援も必要となっており、それもまた、私たちが継続して取り組まねばならない課題である。

最近、日本に居住している外国人の帰化が増加している。その中でも韓国や朝鮮国籍を持った人々の帰化が1年に1万人を超えており、そう遠くない将来には、そうした国籍の意味がさらに希薄化するにちがいない。アイデンティティが次第に曖昧になっていく彼らを、私たちの同胞と考えて打ち出される政策と救いの手の必要がこれまでにもまして切実になっている。在日済州人センターはそれに応える事業を道民と手を携えて主導的に果たしたいと願っている。始まりは遅くなったが、深みのある研究と与えられた役割の着実な遂行、何よりも在日済州人を境界人でなどではなく、紛れもない済州人とみなし、その存在に照明をあてていく事業をセンターが率先して担う所存である。

<在日済州人ギャラリー>

在日済州人センターでは在日済州人の暮らしぶりを示す写真、使用されていた物品や書類などを収集している。収集、寄贈された資料は2012年5月に開館する在日済州人センター展示館にて常時、展示する計画である。

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▲1. 在日済州人は伝統文化を重視した。上の写真は日本現地で韓国式で行われた還暦祝い。2. 在日済州人が数多く住んでいた大阪生野区鶴橋駅。大人と子供が一緒に餅を搗いている。3. 観徳亭前、在日済州人が寄贈した椰子の木。現在ではその姿を見ることができない。1. 2. 3の写真の出所: 在日済州人センター

李昌益(済州大学校在日済州人センター長、日語日文学科教授)

http://www.jejujapan.com/news/articleView.html?idxno=9

"在日済州人1世 研究 一刻を争う"
登録 : 2012.12.06 22:11

済州(チェジュ)大、明日 国際学術大会 開催
チョ・ソンユン教授 "年齢80~90代に達す"

 日帝強制占領期間に多くの済州道民は‘生計’のために日本に行った。1930年代中盤、その数が多い時は5万人余りに達した。 済州道内の世帯当り1人の割合であるわけだ。 彼らは大阪や神戸・京都などの地で労働に従事し、故郷の家族と親戚を助けた。 解放後に一部は帰ってきたが相当数は居残った。 これが‘在日済州人’のルーツだ。

 済州大在日済州人センター(センター長 イ・チャンイク)が8日‘ディアスポラ在日韓国人’を主題に開く開館記念国際学術大会は‘在日済州人’と関連した研究発表が続く。 チョ・ソンユン済州大教授(社会学)は‘在日済州人ディアスポラ研究の方向’主題発表を通じて在日済州人研究の必要性を強調する計画だ。

 チョ教授は‘在日済州人’を済州で生まれて生活し、日本に渡って行き生活する人々と彼らが日本で産んだ2,3世の子供たちを纏めて呼ぶ呼称と規定した。 彼は‘在日済州人’を△1920年代から解放前までに日本に渡って行き労働者や自営業者として定着した集団△徴用・徴兵など強制動員集団△解放以後に故郷に定着できず再び日本行きを選んだ密航集団△1986年韓国の海外旅行自由化措置以後に渡って行ったいわゆる‘ニューカマー’(New Comer)集団など4集団に分類した。

 彼は‘在日済州人’の特性として他の地域出身より日本社会内での強い相互結集力を挙げたが、その歴史的根源を耽羅国時代に拡大した。 古代耽羅では海上を通って日本と中国を往来していたが、他の地方への移動を遮った‘出陸禁止令’のために島内に閉じ込められた済州の人々が日帝時には長期にわたる抑圧の鎖から抜け出して自由に活動舞台を見つけて島を離れ、そちらでもう一つの‘済州島’を作ることによって強い結集力が生じたということだ。 彼は「在日済州人研究で最も急がれるのが1世代の日本移住および定着関連資料を収集し整理すること」と強調した。

 チョ教授は「1世代に対する研究は在日済州人研究の基礎となる。 特に1世代の年齢が80~90代に達しており、彼らの口述資料を集めて整理する作業は遅滞させられない」と話した。

 現在日本には済州出身同胞居住者が12万人余りがいると推定される。 今回の学術大会を開く在日済州人センターも、済州出身の在日同胞事業家であるキム・チャンイン(82)氏が基金を出して設立された。

ホ・ホジュン記者

韓国語原文入力:2012/12/06 20:46
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/564220.html 訳J.S(1160字)

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/13496.html

www.youtube.com

あ、徐勝さんがこちらに客員教授で来られてるんですか。その時には、それは知りませんでした。

もっとも、私が訪れたのは2月なので、時期的にはかぶってませんね。

www.hani.co.kr