こちらの続き、場所的には白水小学校から道路を挟んですぐの向かい側です。
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ここの敷地内にある明神そばは美味いのです。大津の文化ラーメンの定休日に阿蘇に来てしまったこともあり、ここで食べるのは必須のミッションです。
で、それはともかく、今回ここに来たいちばんの目的は、こちらです。この明神池には何度か足を運んだことがありますけど、2017年に建立されたばかりの「佐川官兵衛顕彰碑」は初めて見ます。
建立の経緯は碑に刻まれている通りで、熊本地震による高野原の西南の役公園の崩落と「佐川官兵衛討死之碑」の倒壊を受けて、こちらに新たな建碑を行なった、という流れになります。
こちらの説明看板は、目の前にある碑ではなく、かつて高野原に立っていた碑の解説になっていますが、現地にあった看板そのものではないようです。作り直したと思われます。
ともあれ、この明神池には、佐川官兵衛が身を清めたという謂れもあり、関連する様々な碑や施設も集まっていますので、ここに顕彰碑が再建されるというのはまあ、当然と言えば当然でしょう。
ちなみに、今は公園として定着していますが、これらはもともと個人の寄付と努力とによって成立したものです。資料展示と図書館の機能を兼ね備えている鬼官兵衛記念館も、これは私設のものです。
今は「まったくないわけではない」ようですが、以前は図書館も書店も南郷谷にはありませんでしたからね…。
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この方が、南阿蘇における佐川官兵衛顕彰の中心的役割を果たしてきました。
憂楽帳 鬼の官兵衛
毎日新聞 2017年5月27日 西部夕刊熊本地震の被災地でまた一つ、新たな縁が生まれた。福島県会津若松市と熊本県南阿蘇村で、縁結びをしたのは旧会津藩家老の佐川官兵衛だ。
官兵衛は西南戦争の際に官軍として阿蘇で戦い、薩軍に狙撃されて死亡した。戊辰戦争以来、勇猛な戦いぶりで知られたが、阿蘇では略奪などの非道な行為を禁じて村民の尊敬を集めた。旧長陽村(現南阿蘇村)は1965年から官兵衛をたたえる石碑7基を相次いで建立し、公園として整備した。だが熊本地震で石碑は倒壊し、公園も再建不能になった。
「新たな地に顕彰碑を」。会津若松の顕彰会員らが昨夏以降、製作費約300万円のうち約200万円を集めた。両地の顕彰会が4月に南阿蘇村吉田に新たな顕彰碑を建て、除幕式を開いた。
南阿蘇顕彰会の興梠二雄(こうろぎつぐお)会長(88)は「会津の支援がありがたかった。官兵衛の勇敢な精神を福島と南阿蘇の復興の活力にしたい」と語る。いにしえの武人の遺徳を忘れない人々とさらに強まった絆。一時期は逆賊となった「鬼の官兵衛」は今、草葉の陰でどんな顔をしているだろうか。【中山裕司】