【津山の風景】作陽音楽大学があった場所

まだ訪れたことのなかった津山という都市をふと意識した時、蘇ってきた昔の記憶。

津山の音大にいた知り合いのこと。

その人は、遠方から津山に出て来て、学生寮に入っていた。

音大が倉敷に移転する前のこと。あれからもうずいぶん経つ。

話で聞いたことしかないその場所に、初めて来てみた。



そう、ここだったはず。テレホンカード片手に寮生が電話に並んでいた時代の痕跡。

人生の一時期をそこで過ごした人たちが確かにいたこと、忘れていたようでも私は覚えていた。

その記憶の痕跡が、跡形なく消えていたとしたら、きっと寂しかった。けれども、こうして廃墟になって残っているのもまた切ない。

見るのも辛いが、来たからには見ておかないといけない。いつ消えてしまってもおかしくはない。


思い入れのある場所や記憶が朽ちていく。そのことを受け入れて抱えて、ここからまた歩いていく。

あの人は、元気でいるだろうか。

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