朝鮮人労働者の遺骨を南北朝鮮へ返還しようという動き

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それぞれが異なる場所での異なる動きであることは、総体としての把握がいかに難しいかということを示しています。軍人軍属に比べて政府の関与の度合いも小さいですし、基本的にはどこも民間有志の活動です。

徴用工らの無縁仏74柱、祖国へ 大阪の寺院から韓国に
毎日新聞2019年2月16日 08時00分(最終更新 2月16日 08時01分)

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大隅実山さん=遺族提供

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統国寺

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「こういうお骨(こつ)が出ちゃいかんのです」。崔住職は遺骨の前で毎朝読経し、供養してきた=大阪市天王寺区茶臼山町で2019年2月11日、松倉展人撮影

 戦時中に旧植民地の朝鮮半島から徴用されて強制労働に従事し、死亡した労働者や家族の遺骨74柱が今月末、韓国側に引き渡される。引き取り手がない無縁仏で、岡山県内に残された遺骨を地元僧侶らが戦後集め、大阪市天王寺区の統国寺(崔無碍=チェ・ムエ=住職)に安置されてきた。南北融和の機運を受けて昨夏に韓国、北朝鮮の団体が民間レベルで共同返還事業を始めており、団体によると、初の本格的な返還ケースとなる。

 遺骨は岡山県仏教会などが1958年から70年代まで行った収集調査で、同県玉野、倉敷、津山各市などの寺を中心に約20カ所で発見された。約200柱のうち、引き取り手がなかった遺骨が74年、朝鮮半島ゆかりの「民族寺院」である統国寺へ移された。遺骨には現在の北朝鮮地域の出身者を含む可能性がある。

 労働者は県内の造船所や鉱山などで働いていた際、空襲や事故、病気などで死亡したとみられる。家族らしい子供の遺骨、氏名不詳の遺骨も含まれている。骨つぼ入りの火葬骨がある一方で、氏名を記した紙片や土、砂だけが残されていた例もあった。

 調査の中心となったのは岡山市の僧侶、大隅実山(じつざん)さん(2000年に95歳で死去)。大隅さんらが当時作成した調査表には「鉱山事故で遺体が収容できず、土を採ってポリ袋に納めたものらしい」「幼児のものか 『日東紅茶』の角形のブリキ罐(かん)に入れる」など痛ましい記述が見える。

 詳細な調査が後年、身元判明に結び付いたケースもあった。00年に玉野市保管の造船所労働者16人の埋火葬許可証が発見され、いずれも現在の北朝鮮地域が本籍地と判明し、うち男性1人(当時22歳)が統国寺の遺骨と日本名と死亡日が一致。今回の返還とは別に北朝鮮での調査を待っている。

 大隅さんは戦前にソウルなどで布教活動に携わり、皇民化政策に関わった悔悟と自責から長く遺骨返還に取り組んだ。長女の佐々木妙子さん(67)と次女大隅経子(きょうこ)さん(65)は「父は朝夕のお経に返還への思いをいつも込めていた」と振り返る。

 27日に統国寺で韓国、北朝鮮の団体と寺の共催で遺骨の「奉還式」があり、その後は韓国・済州島の寺院に仮安置される予定。崔住職は「調査を重ね、手厚く葬ってくれた岡山の皆さんには本当に感謝したい。(38度線の)非武装地帯が『平和地帯』となれば、そこに遺骨を安置して平和の象徴にしてほしい」と話している。【松倉展人】

南北融和で実現

井上厚史・島根県立大教授(日韓関係史)の話 今回の遺骨返還が南北の歩み寄りで実現したことを評価し、過酷な生活を強いられた人々の名誉回復のきっかけになることを期待したい。元徴用工や元従軍慰安婦の問題は政治や金銭の問題として捉えられがちだが、彼ら、彼女らがどこでどのような生活をしていたのかをきちんと調査し、記録することが大切だ。

朝鮮半島出身者の遺骨返還

 朝鮮半島出身の旧日本軍人・軍属の戦没者は2万人以上とされるが、工場などに徴用されて死没した労働者らの実態は不明で、各地の寺院などに遺骨が散在している。旧軍人・軍属の遺骨は日韓政府の合意に基づき、2008年1月に東京・祐天寺に安置された101柱が返還されるなどした。ただ、無縁仏が数多く残る徴用工らの遺骨の返還や、国交がない北朝鮮への返還は進んでいない。韓国の民間団体「民族和解協力汎(はん)国民協議会」が昨夏、北朝鮮の団体と委員会を作り、日本側と連携して返還事業を進める方針を表明した。

https://mainichi.jp/articles/20190216/k00/00m/040/005000c