釜山編の続き。「釜山の共同墓地めぐり」は完了しましたが、釜山歩きはもう少し続きます。
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伽倻共同墓地から東義大学校に戻ってきました。
キャンパス内にある庭園に立つこの銅像、東義大の設立者・金任植のものです。
で、図書館です。以前の訪問記でも同じ建物を撮っていますが、ここはかの東義大事件の現場なので、やはり気になります。
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ただ、興味はそれだけでなく、この建物の上階にある博物館の見学が訪問のいちばんの目的です。
10年前に来た時とはずいぶんと様相が変わっています。
10年前の写真を確認してみましたが、かつては収蔵庫などがあったところを改装して、展示室を倍以上に拡大しています。
ただし、「博物館」そのものはたぶん以前とほとんど変わっていないと思います。今回は閉まっていて見学できませんでしたが。
見学できたのは、拡張された新設エリア、「碩堂記念館」と「東義大学校歴史館」の方です。「碩堂」というのは先に見た金任植の号です。
で、その展示なんですが、けっこう面白いんですよ。大学創設者の展示って、下手すると自慢話・持ち上げ話に終始してつまらんものだったりすることもないことはないんですけど、この金任植という人物の歩みはなかなか興味を惹くところがあります。
植民地期に日本に留学し、解放後は電気工を経て教師となり、釜山の中等教育界で数々の学校の設立にも関わったのち、政治家に転じて朴正煕政権下で与党政治家として活躍、1980年に政界引退した後は自らが設立した学校法人東義学園の発展に尽力する、という彼の人生が、パネルと資料を駆使して展示されています。
で、学校記念館は、それと一続きになっていて、そのまま続けて見学できます。両記念館は、形として背中合わせに表裏一体になっています。
個人的には特に関わりのない他所様の大学ではありますが、ここの展示からは釜山や韓国の現代史の一端を感じることができます。まだあまり知られていない穴場スポットだと思います。もちろん観覧無料です。
ただし、東義大事件については特に言及はありません。大学としてそこにどう関わり、位置づけていくかは、極めて難しい問題ですから、うかつに言及できる話ではありません。それを無理に求めるつもりはありません。
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そのあたりの大学サイドの苦悩の立場は、金任植の回顧録からも多少はうかがい知ることができます。
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