比治山のお墓参りの続きです。
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比治山墓地から戻ってきて、陸軍墓地に移動します。放射線影響研究所を越えていかないといけませんが、敷地内の通り抜けが可能です。
こちらですね。
お、そこに目が行きますか。さすがです。
綺麗に整備されたこの入口は、放射線影響研究所と向き合う形であります。
そこには、墓地の由来を書いた説明版があります。元来は現在の放射線影響研究所の場所が陸軍墓地であったこと、集約・原爆被害・移設を経て現在の姿になっていることなどがわかります。前回記事で引用した沼正也氏の研究ノートで述べられているように、これらの敷地は比治山の山頂部に当たる高台です。
なお、入り口がこの状態になったのは最近のことで、この説明版も新たに掲げられたものです。これ以前の状況についてはネット上で多数の記事を見ることができます。以前掲げられていた説明板を文字起こしした方もおられますし、墓地成立に至る経緯についての詳細はそちらをご覧ください。
masuda901.web.fc2.com
tomura.lolipop.jp
www.akinokuni.jp
nippon-gokoku.sakura.ne.jp
www.geocities.jp
では、中に入っていきます。
そもそも、集約して移葬する過程では、個人墓を「整理」して合葬墓とするのが自然の流れだと思うのですが、そこに原爆による倒壊被害や敗戦にともなう混乱が重なったため、この軍人墓地は紆余曲折を経て今の形になっています。
原爆と戦後のどさくさで散逸しかかったものをこうした形に再構成する、というのは自然にできることではありません。不明墓碑の供養碑と合葬墓碑を立てたうえで、ある限りの個人墓碑の一基一基を疎かにせず並べているところに、「そうしなければならない」という生者の明確で強い意思を感じます。
この奥にもいろいろあるのですが、長くなりそうなので、向かって右手の並び、この将校墓碑群のところでいったん切るとします。