済々黌→ソフトバンクホークスの大竹耕太郎が経験したという「早稲田ルール」

東京スポーツの記事ですけど、これ、マジな話ですか?

ホントなんだとしたら、「だから早稲田って嫌いやねん」という思いがまた一段階強くなりますね。私個人のことですから、そっちはどうでもいいと言えばどうでもいいんですが、「恥ずかしい」って、あの濟々黌の大竹相手に何様なんですかね。

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ソフトバンク育成入団2年目・大竹 「早稲田ルール」への反発
2019年05月30日 16時30分

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2勝目を挙げた大竹

 ようやく報われた。ソフトバンクの2年目左腕・大竹耕太郎(23)が29日のオリックス戦(京セラドーム)で6回2失点と好投。3連敗で2位に転落したチームを一夜で首位に導き、約1か月ぶりの白星となる自身の2勝目に「やっぱり勝ちはうれしいですね」と笑顔を見せた。

 この日が今季9度目の先発でクオリティースタート(6回以上、自責点3以下)は8回。防御率2・07はリーグ4位で、いまや工藤監督から千賀の次に名前を挙げられるほど頼りにされている。侍ジャパン・稲葉監督にも「代表候補に入ってくる投手」と高評価と熱視線を送られる存在だ。

 2017年ドラフトでの指名は育成4位で「原動力は反骨心。見返したい一心で投げている」。名門・早大出身。学内、球界内には「プロ入りはドラフト3位以上」という“暗黙のルール”がある。育成入団はもってのほか。早大↓育成入団は大竹が2例目で「ドラフト当日まで反対の声がほとんどだった」と左腕は振り返る。OBたちからは「恥ずかしい」とまで言われた。長い伝統とプロで足跡を残したOBを抱える早大野球部のプライドと送り出す側の親心もあったとはいえ、大竹の中には「自分の進路は何からも影響されるものではない」という確固たる思いがあった。

「プロ志望がありながら別の道を歩んだ先輩方もいる。でも僕は、それは違うと思った。同時に、絶対に失敗できないという覚悟もできた」。1年目の昨季は二軍で8勝0敗、防御率1・87の好成績を残して7月末に支配下登録をゲット。8月1日の西武戦で育成出身の新人では史上初の初登板初先発初勝利を挙げるなど3勝した。反骨心を胸に下克上ロードを歩む2年目左腕は「(入団の)経緯を考えれば、まだまだです」と目をギラつかせている。

https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1413309/

そういうしょうもないOB連中を黙らせ、後輩の進路を切り開く選手になることを期待してますよ。

貴重な記録として、消されんうちにこれ残しとこ。エンジ色なんぞ使ってやらん。

2017.10.27
プロ野球ドラフト会議 10月26日 東京・グランドプリンスホテル新高輪
大竹がソフトバンクから育成4位指名を受ける

 プロ野球ドラフト会議(ドラフト会議)が始まって3時間近くが経過。待ち続けた先に、ようやくその瞬間が訪れた。ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスソフトバンク)から育成4位指名を受けたのは大竹耕太郎(スポ4=熊本・済々黌)。一切の退路を断ち、卒業後の進路をプロ野球一本へ決めた左腕の新天地は、福岡に決まった。

 九州・熊本出身の大竹にとってソフトバンクは特別な思い入れのある球団。幼いころ、初めて観戦したソフトバンク(当時ダイエー)の試合をきっかけに、野球と出会った。その球団からの指名に、「指名していただいたことをうれしく思う」と素直に喜びを口にした。そして、ソフトバンクと言えば早大の大先輩・和田毅(平15人卒=島根・浜田)の存在を抜きにしては語れない。和田の投球について大竹は「球速が速いというわけではなくステップして投げているということで同じ点がある。グローブの使い方なども映像を見て参考にしています」。オフシーズンに早大の練習場を訪れ練習を間近で見ていた和田は、プロの世界を意識する大竹にとって理想とする一つの投手像であった。「タイプとしても似ている。和田投手をお手本にしてやっていけばいい結果が得られるんじゃないか」と髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)も和田への師事を勧めた。早大からプロ野球界屈指の左腕へと登り詰め、米大リーグの舞台も経験した大先輩は、プロに入ってからも大竹の目標だ。

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指名後の記念撮影に応じる大竹

 しかし、本当の意味では喜べない。本指名とは別の、支配下登録がされない育成選手としての指名――。指名後に会見場に現れた大竹の表情に笑みはなく、悔しさをにじませた。支配下登録される70人と違い、背番号は3桁。公式戦は2軍戦のみの出場にとどまり、原則3年目までに支配下登録を受けられなければ自由契約となる。
 とはいえ、ソフトバンクは12球団で最も育成制度の整った球団だ。ソフトバンクには2011年から導入してきた『3軍制度』が定着しつつあり、2軍以下の選手にも恵まれた練習環境と豊富な実戦の場が確保されている。実際に、千賀滉大、甲斐拓也といった育成出身選手がチームの主力となりパ・リーグ制覇を成し遂げているのが何よりの実績。入団後の取り組み次第でドラフト時の評価を覆すことは大いに可能であり、その可能性を秘めているからこその育成指名であると言えよう。

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恩師・髙橋広監督と固い握手を交わした

 「厳しい道のりが彼には待ってると思いますけど、一歩ずつ、カベを乗り越えて将来活躍できる選手になってくれたらいい」と髙橋監督が言えば、大竹も「これからの努力で支配下登録されて活躍できるように頑張っていきたい」と決意を示した。支配下選手としての評価を受けられなかったことは悔しいに違いないが、反骨心と向上心を持ってはい上がるしかない。一刻も早く支配下登録され、真の意味でプロ野球選手としてのスタートラインに立てるように。プロ野球選手・大竹耕太郎のプロ生活は、下剋上から始まる。

(記事 郡司幸耀、写真 高橋弘樹)

☆大竹略歴

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 投球センスの良さと両コーナーへの安定した投げ分けが光る軟投派左腕。球の出どころが見えにくい独特のフォームから、最速140キロの直球に加えカーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシームなど多彩な変化球を操る。早大では1年春の早慶戦東京六大学リーグ戦デビューを果たすと、1年秋は故障のエース有原航平(平27スポ卒=現北海道日本ハムファイターズ)に代わり開幕投手に抜てきされ見事初勝利。以降も全カードに先発し4勝をマークした。2年時はエースに成長しリーグ戦春秋連覇と全日本大学選手権優勝に大きく貢献。特に春は驚異の防御率0.89で最優秀防御率のタイトルを獲得し、飛躍のシーズンとなった。3年以降は調子を落としたが、この秋の明大2回戦で通算11勝目を挙げ復活を印象付けた。

コメント

大竹耕太郎(スポ4=熊本・済々黌

――福岡ソフトバンクホークスから育成4位での指名を受けました。今のお気持ちを聞かせてください

福岡ソフトバンクホークスは、自分の地元である九州の球団であり、野球を始めるきっかけを与えてくださった球団なので、指名していただいたことをうれしく思います。しかし、現状育成指名ということで、支配下登録はされていないので、これからの努力で支配下登録されて活躍できるように頑張っていきたいと思います。

――本指名ではありませんでしたが、育成でも本指名でも入団するという気で志望したのでしょうか

自分はもう何位でも行くつもりでいました。

――地元・九州の球団ということでありがたさもあるのではないでしょうか

そうですね。小さい頃に初めて見に行ったプロ野球もホークスの試合だったので、そういう意味ではその一員になれたことがうれしいです。

――ソフトバンクという球団へのイメージはいかがですか

常に優勝争いをしている強いチームなので、その中で一流選手のプレーを見て学んで積極的に質問などして、自分自身の成長につなげていけたらなと思います。

――ソフトバンクと言いますと、早大の大先輩である和田毅投手(平15人卒=島根・浜田)が在籍しています

冬場は何回かいらっしゃったので、キャッチボールなど見させていただきました。あの歳になられてもずっと走られていたり、トレーニングを入念にされている姿を見て、自分も継続してやらなければいけないなと思いました。

――ドラフト会議の始まった17時から指名されるまで3時間近く待たされました

早く呼ばれないかなという気持ちでしたね。

――なかなか自分の名前が呼ばれないことへの不安はありましたか

多少はありましたけど、選ばれなかったときは選ばれなかったときだと思うので、そういう考えでいました。

――志望はプロ一本ということでしたが

社会人は決めてはなかったです。あまり考えませんでしたね。プロのことしか考えず、選ばれなかったときにはそのときにまた考えてやろうと。

――プロ野球はいつから意識し始めていましたか。

大学に入ってくる段階から意識はしていました。意識はありましたけど、3年や4年で故障したときは「ダメかもな」。むしろ野球を続けられるかなというところだったので、でもその中でやってこられたのもプロへの思いが人一倍強かったというのはありますね。

――プロへの強い思いを感じますが、プロにこだわる理由はどこにありますか

憧れが一番ですかね。小さい頃に誰もがプロ野球選手になりたいと言うけど、みんなどこかの段階で諦めて違う道に進んでいく中で自分はいまだに野球をやらせてもらって、そこに手が届く現実味の帯びたところで野球ができている。みんなが挑戦できる舞台ではないと思うので、そういうところで自分の力をもう一回試したいと思いました。

――思うような成績が残せないとき、プロ志望が揺らぎそうになったことはありましたか

やめようかというか、厳しそうだなと思ったことは。肩が痛かったときは「もう投げられないんじゃないかな」という不安もあったので、その時は少し思いましたね。

――そんな中で最終的にプロ志望に決心がついたというのは

最終決定したのは春のリーグ戦が終わった後で、帰省して家族と話し合ったんですけど、家族の後押しが大きかったですね。親は公務員なんで、安定を求めるかなと思ったんですけど、挑戦しろと言ってもらえて、それがすごく後押しになりましたね。

――自分に興味を持ってくださる球団から具体的な話などは

自分に直接はないですね。練習を見にきたりはありましたけど、ドラフト当日にならないと分からないと言われるので、分からなかったですね。

――目標であったプロ入りを果たした今、感謝を伝えたい人はどなたですか

隣にいらっしゃる監督さん(髙橋広監督、昭52教卒=愛媛・西条)には3年間どんなに調子が悪くても気に掛けてくださったり、試合で使ってくださったりしたので、感謝してもしてもし切れないくらい感謝しています。あとは、親には熊本から東京に出してもらって経済的にも支えていただいたので、そういった意味でもこれから恩返ししていきたいなと思います。

――プロ入りに向けての課題は

まずはケガをしてしまったので、ケガをしないために何が必要なのかを今一度考え直してやっていかなければいけないなと思います。あとは自分の長所をもう一度見つめ直して、そこを伸ばせるようにやっていきたいなと思います。

――今週末に迫った最後の早慶戦に向けては

4年の最後の早慶戦になるので、絶対に2連勝して慶大の優勝を阻止したいという気持ちで臨みたいと思います。投げる機会があれば、全力で相手に向かっていきたいと思います。

髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)

――育成での指名となりましたが、いかがですか

本人の強い希望があって、ドラフト育成でもいいからプロに行きたいということで、順位関係なく私も了承したわけですけど、本人にも言ってますけど、プロ野球は入ることがゴールではないので、まして支配下選手ではないということは、今後厳しい道のりが彼には待ってると思いますけど、一歩ずつ、カベを乗り越えて将来活躍できる選手になってくれたらいいと思います。順位は上に越したことはないんですけど、結局1位で入ったところで活躍できなかったら意味のない世界なので、本人も言っているように順位は関係ないと思います。それ以上に、実力本位の世界ですから、本人も強い意志を持ってのプロ野球ということで、私もそれを認めたので、それに見合った努力をして活躍できるように頑張ってほしいと思います。

――ソフトバンクという球団の印象はいかがですか

和田投手がいますね。タイプ的にもよく似てるんじゃないかと思いますので、なかなか直接指導をされることは少ないと思いますけども、目標にして頑張ってほしいと思います。

――大竹投手がプロでやっていく上で武器になるものはどういったところだと思われますか

本来は、独特のシュート回転のあるストレートが持ち味なんですけど、最近はそのボールが影を潜めているというか、それがまた復活すれば今以上の活躍もできます。和田投手は大学の先輩でもあるし左でもあるし、プロ野球の一エースとして本当にお手本になる、和田投手を目指して和田投手をお手本にしてやっていけばいい結果が得られるんじゃないかなと思いますね。あとは本人の努力次第ですね。

http://wasedasports.com/news/20171026_79262/