昨日の記事の続きです。
blue-black-osaka.hatenablog.com
この写真を覚えてもらっていたと思います。
それはとりあえずそれとして、桜が丘聖地のすぐ隣にある天神社にお参りします。大分陸軍墓地ができる前からこの地にあったはずのこの神社、これの存在を意識して陸軍墓地の場所が決められたとも考えられます。
で、この天神社境内から東を望むと、高台に何かが立っているのが見えます。
寄っていくと、こんな感じです。何とか登れる道筋がいちおうついていて、上の方には見えていたもの以外にも何やかやとあります。
その上で、中心部のこれです。天神社(桜ヶ丘聖地/大分陸軍墓地)の側から見えていたのは、実は裏面です。
表面はこっち側、東を向いています。上部に掲げられた銅板には大正天皇の「お言葉」が記されており、「田中支隊記念碑」の題字には「田所成恭謹書」とあります。田所成恭(1875-1954)は、田中支隊がシベリア出兵で全滅した当時の歩兵第72連隊長です。
ちなみに、田所には何冊か著作があり、そのうち田中支隊全滅に言及したものが二冊確認できます。これらは国立国会図書館デジタルライブラリーで読むことができます。
webcatplus.nii.ac.jp
dl.ndl.go.jp
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熟読したわけではありませんが、当時、この田中支隊全滅が「戦術上の失敗」だとか「犬死に」だとか言われ、重大事件として世の耳目を集めていたことは確かな事実のようです。だからこそ、部隊責任者であった田所は、これに弁明する必要があったのでしょうし、靖国神社と地元とにこれだけたいそうな慰霊のための記念碑を設置する必要もあったのでしょう。
さらに言えば、事件後の事件イメージを形成したと言われるこの田所連隊長の記述には虚構が多く、真相の隠蔽が行われていることがすでに指摘されています。これは、前回記事でもリンクを貼った郷土史家・柴田秀吉氏の考証によるものです。
- 作者: 柴田秀吉
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- 発売日: 2005
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また、このことは広岩近広氏が毎日新聞の連載で紹介しており、この連載をもとにした単行本も出ています。
mainichi.jp
mainichi.jp
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- 作者: 広岩近広
- 出版社/メーカー: 花伝社
- 発売日: 2019/01/25
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ともあれ、こっち側が表面で、こちら側に通じる参道が、こんな形で付けられています。
この道こそがまさに、この記事のいちばん上の写真の右側の道だというわけです。
「田中支隊の記念碑」というと、靖国神社境内にある碑ばかりが取り上げられることが多く、こちらの碑に気に留める人はほとんどいなさそうなので、独立記事として心持ち少ししつこく、取り上げてみました。