「内定取り消し」に対抗する方法

新型コロナウイルスの感染拡大がどこまでの事態になるか読めない中、「内定取り消し」への不安も増していますが、参照に値するいい記事が日経新聞に出ています。コンパクトに要点がまとめられていますね。

まず、「内定」は法的に「労働契約」が交わされた状態であること(→契約は守られなければならない)。企業が内定取り消し(「契約」の破棄)を行なうにはかなり高いハードルがあること。どのような状況であっても、内定者から辞退を申し出る必要はないこと。一人で悩まず、専門家に相談すること。

どれも大事で必要な、知っておくべきことです。こうしたケースで自分だけ泣き寝入りすると、それが悪しき先例となって他人にも影響が及ぼします。もし当事者になってしまった時には、あらゆる可能性を探って対抗してください。それが、仲間や後輩たちへの安易な内定取り消しを抑止する力にもなります。

新型コロナで「内定取り消し」 実は簡単にできず
2020/3/27 2:00 日本経済新聞 電子版

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コロナショックで苦境に陥った企業が新卒学生らの内定取り消しに及ぶ可能性が懸念されている(2019年3月の合同企業説明会)

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、4月入社予定の新卒学生らの待遇が不安定になっている。入社予定の会社に内定を取り消されたり、当面の自宅待機を指示されたりした場合、法的にはどう理解し、どう対応すればいいのだろうか。

■内定は法的には「労働契約」

厚生労働省によると、3月25日時点で新型コロナの影響で学生の内定を取り消した会社は20社、計30名が確認されたという。新型コロナの世界的な流行で需要が急減し、対応に追われる企業が増えており、業績の急激な悪化も懸念され始めた。様々な会社で内定取り消しが発生する可能性がある。

内定取り消しに直面した人は、事態を法的にとらえることで、適切な対応をとりやすくなる。

内定は、法的には企業と入社予定者の間に労働契約が交わされた状態を指す。だから「入社予定者の内定取り消しは解雇に準じて考えるべきだ」(企業の労務に詳しい木下潮音弁護士)。労働契約法が定める「解雇権の乱用」の規定が適用されるため、合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない内定取り消しは無効だ。

全国コミュニティ・ユニオン連合会全国ユニオン)によると、ある男性は2月下旬、中途採用で3月中旬に入社予定だった会社から電話で「仕事がなくなったので雇えなくなった」と告げられた。その会社の取引先は韓国や中国に多かったという。

■整理・解雇の4要件は

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こうした事態に直面した際に確認しておきたいのは、整理・解雇の要件だ。

企業が深刻な経営悪化などを理由として内定を取り消すことは整理解雇として認められる。ただし、▽人員整理の必要性がある▽解雇回避のために最大限の努力をした▽解雇対象者の選定が合理的▽手続きが妥当――の4つの条件をすべて満たすことが必要だ。

この4条件に当てはまる企業が内定取り消しをする場合も、厚労省の指針に基づき、▽ハローワークと学生の出身校に通知する▽就職先の確保について最大限の努力を行う▽補償などの要求に誠意をもって対応する――などが課せられ、社名も公表される。

つまり企業が内定を取り消すのは非常にハードルが高く、業績見通しが厳しいといった程度では認められない。労働問題に詳しい嶋崎量弁護士によると、内定取り消しが有効になるのは、倒産が不可避だったり倒産を避けるため整理解雇が欠かせなかったりする場合に限られる。

では、内定取り消しを言い渡された人はどうすべきか。嶋崎弁護士は「学校の就職課やハローワークの専門窓口に相談すると良い。厚労省の指針に基づき企業に補償などを要求できる可能性もあるので、弁護士や連合などの労働組合に相談するのも有効だ」と話す。労働組合は労働問題に関する無料の電話相談を行っている。

実は内定取り消しより可能性が高いとみられているのは、企業が内定者に4月以降に自宅待機を命じるケースだ。企業側の責任で社員を休業させた場合は、労働基準法に基づき社員に平均賃金の60%の休業手当を払わねばならない。内定者は、自宅待機の間の休業手当が支払われるか、会社に確認した方がいいだろう。

■入社辞退を求められても「応じない」

専門家が今後増えると予想しているのが「内定者に対する入社辞退の強要」だ。内定取り消しによるトラブルを避けるため、例えば学生を呼び出して、「会社の業績が厳しい」「入社しても仕事がない」「あなたがやりたいといっていた希望の仕事につけられない」などと説明して、内定辞退を促す場面が増える可能性があるという。

嶋崎量弁護士は「立場の弱い学生などは、企業側の働きかけに応じてしまうケースも考えられるが、応じる必要はない。会社側が事実上、一方的に内定を取り消す権利はないので、簡単に応じてはいけない」と話す。

企業から内定取り消しを示唆された場合、学生らは「この会社に抗議するより、早く次の就職先を探さなければいけない」、「相手を訴えたりすれば今後の就職に不利になるのではないか」と考えがちだ。被害に遭っても泣き寝入りしてしまい、問題が表面化しにくいという実態がある。

誰も予想しなかったコロナショック。だが企業にとって事実上の整理解雇に相当する内定取り消しのハードルは高い。学生側も友人の噂話やSNSなどの情報に惑わされず、まずは大学就職課など専門家に相談してほしい。

編集委員 渋谷高弘、渋谷江里子)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57230850V20C20A3000000/

【大邱の風景】鳩岩駅から大邱市立公園墓地へ

移動した先の続きです。

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北区庁から3号線で移動して降り立ったのは鳩岩(구암)駅。「科学大・保健大入口」という副題がついています。

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ここから目的地までの道のりは3キロ弱、途中の中央高速道路・漆谷ICあたりまではバスも通っているのですが、とりあえずはNAVER地図を頼りに歩きます。同一法人である大邱科学大学校・大邱保健大学校・江北高等学校*1に至る途中の道は、食べ物屋さんもそこそこあって賑やかな雰囲気です。

寂しくなるのは、人の横断を碌に想定していない大きな交差点を越えて、中央高速の高架道をくぐったあたりからです。

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くぐった直後に、大邱広域市から慶尚北道漆谷郡に入ります。このへんの道路沿いには、どっちかと言えば生花よりも圧倒的に造花がメインの花屋さんが並んでいます。前回来た時にもやっていた新しい高架道の工事も、ちょっとだけ進んでいました。

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前回はこの三叉路を右に曲がりましたが、今回は左に曲がります。歩道はないように見えてあるような、そんな感じですが、細かいことを気にする必要はありません。歩けるところを見つけて歩いていきましょう。

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大きく回り込んだ道路の先に見えている目的地を眺めながら、正門まで歩きます。

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とりあえず今回は、大邱市立公園墓地への道のご紹介まで。中身についてはまた改めて。

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*1:防弾少年団のメンバーの一人の出身校らしいですけど、誰だかよく知りません。

【大邱の風景】市民運動場から北区庁駅までの間

前回の続きです。

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DGB大邱銀行パークや市民野球場のある市民運動場から移動するのに、3号線の北区庁駅まで歩きます。以前、これを逆に歩いたことがあります。

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こうした市街地の古い町並みは、いずれ姿を消すこと必定なので、通過するだけではありますが、いろいろ眺めながら歩きます。せっかくなので、前回とは違う道を辿って。

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こんな壁画マウル的なこともやってたんですね。小規模なものなので、検索してもなかなか引っかかってこないと思います。

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古さはあってもかなり立派な建売(たぶん)住宅と高層アパートとの対比。さっき見てきた野外バザールのポスターが貼ってあります。ちなみにこの高層アパート、前回この界隈を歩いた時(3年前)には存在してませんでした。

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高層アパートを背負って並ぶ5階建て「マンション」のコントラスト。こういうの、好きな人はお好きでしょう?

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ということで、北区庁駅到着。大邱FC一色です。これだけ大邱市民の目に触れ、注目されるようになってきたのは嬉しい限りです。ちなみに三星ライオンズ色は(移転したので当然ですが)まったくありません。

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では、モノレールの3号線に乗ってホントに移動します。

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奈良県公立高校の「心なき」再編計画への賠償命令

これ、そもそもは、平城高校を統合で廃校にして、その跡地と校舎を丸ごと居抜きで奈良高校にするという、かなり無茶苦茶な再編計画が発端なんですよね。とはいえ、県教委が推進する計画に対して損害賠償を命じる判決を奈良地裁が出すとも思っていなかったので、ちょっと驚きました。

しかしまあ、いくら必要があったとしても、学校の統廃合は当事者関係者卒業生を巻き込んで極めてセンシティブな話になるものなのに*1、そんな無神経な発言ができる人間が関わってたと思うと、やりきれませんわ。この記事を読む限り、基本的に謝っとらんし。悪気なく更迭してもええくらいや。

せめてこの裁判では、平城高校関係者の無念を少しでも晴らせるような、筋の通った判決が確定することを祈っています。

奈良県立高再編 県に44万円賠償命令 閉校取り消し請求は棄却 地裁判決
毎日新聞 2020年3月25日 13時25分(最終更新 3月25日 13時25分)

 奈良県立高校の再編計画で2021年度末の閉校が決まっている平城高(奈良市)の一部生徒が、再編を定めた県条例の取り消しを求めた訴訟の判決が24日、奈良地裁であった。島岡大雄裁判長は「廃校に伴う生徒募集の停止で3学年がそろわなくなる可能性があるなどの情報提供を、県教委が怠った」として、県に計44万円の損害賠償を命じた。

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奈良県

 判決で島岡裁判長は「再編計画に関する情報提供は、県教委の会議における決定の有無にかかわらずできる」と指摘。県から十分な情報提供がなかったため、生徒らの「出願する学校を選択する権利が侵害された」として、原告側の精神的な損害を認定した。

 ただ原告が求めていた平城高の廃止処分の取り消しについては、島岡裁判長は「廃止により原告らの権利、法的利益が変動することにはならない」として、請求を棄却した。県教委事務局は「判決内容を精査の上、今後の対応を検討していく」とのコメントを発表した。【小宅洋介】

県教委教育次長「廃校になっても平気」保護者に発言

 奈良県教委の塩見浩之教育次長が、2021年度末での閉校が決まっている平城高校(奈良市)とその校舎に移転する奈良高校(同)の一部保護者との面談の場で、「僕は高校は大阪の私学。(出身)高校がなくなっても全く平気」と発言していたことが24日、分かった。同席した保護者は「寄り添おうとする気持ちが感じられず、許せない発言だ」と憤っている。取材に塩見次長は「配慮が足りなかった」と釈明している。

 県教委によると、2月26日に吉田育弘(やすひろ)教育長と塩見次長、両高の保護者4人と仲介した自民党県議が県議会棟で約40分面談した。

 吉田教育長が退室した後、保護者側が吉田教育長が保護者や生徒らへの説明を避けていると指摘したのに対し、塩見次長は「僕は高校は大阪の私学なので、高校なくなっても全く平気。そういう意見もあるんです。廃校になっても平気」と主張した。また、「僕は行政職なので学校現場の経験は全くない。学校のことは知りません」とも発言していた。

 取材に塩見次長は「(出身の)高校はマンモス校で人間関係も希薄だったので思い入れがなく、悪気なく話してしまった」と話した。【新宮達】

https://mainichi.jp/articles/20200325/k00/00m/040/147000c

*1:ましてやこの計画、「奈良高ありき」が傍目にもあまりに露骨で、御三家(奈良・郡山・畝傍)に次ぐ人気校である平城高校の扱いの悪さには同情を禁じえません。今回の再編計画では、現地建て替えを断念して平城高校乗っ取りみたいな無理をするより、「奈良高校廃校」というのが筋やし、すっきりしたものになったはずです(もちろん、そういうわけにはいかんやろな、というのは分かって言ってます)。

【大邱の風景】DGB大邱銀行パークと市民野球場再訪

南海編が終わったので、次は大邱です。釜山から大邱へはKTXが速いのはわかりきってるんですけど、個人的にはITXセマウルで大邱駅に降り立つのが好きです。

さて、まずは大邱駅から近いこちらを見に行きます。前回は完成直前でしたからね。完成体のスタジアムを見るのは初めてです。

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オフシーズンだったので、オフィシャルグッズショップはやってません。

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京都のサンガスタジアムみたいに上層からのぞき込めたり、仁川のスタジアムのようにアウェイ側のバックスタンドが低く切り欠いたようになったりしているわけではないので、閉まってるときに中を覗くのはこれくらいが限界ですかね。まあ、ピッチとスタンドとの近さやスタジアム全体のコンパクトさくらいはわかります。

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ここは市街地ということもあってか、バックスタンド下のフードコートやコンビニは普通に営業してました。さらにその奥では冬物衣料の屋外バザールもやってましたね。

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ここでKリーグの試合を観るのももちろんいいんですが、ここはやっぱり、ガンバ大阪ACLの試合を観に来たいよなあ。まずは出場権奪還、そしてその前に、今現在の新型コロナウイルス禍の克服ですね…。

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ちなみに、隣の市民野球場は相変わらすそこにあります。イスンヨプの記念碑も左中間スタンドに。

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では、ここはこのくらいにして移動します。

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「ダイエーオレンジアタッカーズ Vリーグ決勝Tへの軌跡」(たぶんサンテレビ)

うわー、こんな動画、どこに残ってたんや!1995年、第1回Vリーグで初代王者に輝いたダイエーオレンジアタッカーズを追ったサンテレビの特集番組*1

オレンジアタッカーズの第2期黄金時代を、25年後にこれだけたっぷり見られるとは…。

www.youtube.com

名将・セリンジャーのもとで、山内・名取・松川の同級生トリオに、ハイマン・クロケット時代を知るベテラン・椿本とワイショフ・ルイスがスタメンを張り、ピンチサーバーで必ず出てくる主将・夏田、坂本・小川・勝田あたりがサブで控えてたなあ…。

ja.wikipedia.org

いま見て改めて思うのは、ダイエーが当時、強いだけでなくいろんな意味で最先端を行っていたチームだったこと。わかりやすいのがユニフォーム。

確か、この前年だったか、ユニフォーム改革が試みられて、いろんな形のが出たんですよね。ユニチカラグビージャージとか、日立のレオタードとか、けっこう話題になりました。ダイエーはキュロットタイプのユニフォームでした。

ただまあ、いろんな不具合もあったみたいで、この年には多くのチームがそれ以前のブルマに戻しています。それでも戻さずに踏ん張ったのがユニチカ、そしてさらに進化させたのがダイエーでした。この時代のユニフォーム、強かったのもありますが、黒基調のデザインがスマートで、他と比べて圧倒的にカッコよかったんです。いま見ても古さを感じさせない先進的なものでした。

このシリーズのテレカ、まだ何枚か持ってるはず。


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その後、日本のバレー界は企業の撤退などで激動の時代を経て今に至るわけですが、あの前後の数年間は間違いなく、日本バレーにとって古き良き時代でした*2

*1:当時サンテレビは、ダイエーオレンジアタッカーズの試合を毎回放送していました。

*2:もちろんこれは国内リーグの話で、全日本レベルの国際的な競争力の話はとりあえず措いておきます。

【丹後の風景】与謝野町・加悦SL広場を惜しむ。

ここを初めて訪れたのはいつだったか、正確なことは忘れてしまいました。たまたまドライブで通りかかって、気になって立ち寄ってみた、といった感じでした。

それ以来、こちら方面に来るたびに立ち寄っていたのですけど、いよいよ今月末で閉園となって、どうしてももう一度ということで、しばらくぶりにやって来ました。

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www.kyt-net.jp
ja.wikipedia.org

何度でも書きますけどねえ、ここはホントに楽しいんですよ。

SLに萌えるのはまあ当たり前としても。

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ディーゼルカーや貨物室付き客車や車掌車を愛でるのは人として常識だとしても。

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私がここでとりわけ好きなのが、ラッセル車なんですよ。いつ来ても何度乗っても飽きません。

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お金がかかるのは百も承知なんですが、何とかリストアして、屋根のある所で保存展示できませんかねえ。

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また、この施設があればこそ、その目の前の道路がかつての加悦鉄道跡であることが記憶に留められているわけですし、ここが大江山ニッケル鉱山と鉱山駅があった場所であると見て知れるわけで。

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加悦SL広場がなくなってしまえば、この記念碑がここに建てられた経緯を想像することも今以上に難しくなるでしょう。やむを得ないのかもしれませんが、残念なことです。

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強制連行中国人殉難労働者慰霊碑資料集

強制連行中国人殉難労働者慰霊碑資料集

  • 発売日: 2016/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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韓国の性的少数者と2020年という年

陸軍での強制予備役編入と淑明女子大での入学断念という、続けざまに起きた二つの事件は、当人たちにとっては不本意な結果になったものでした。ただ、そこで提起された議論の渦は、ことによるとトランスジェンダーをはじめとするセクシャルマイノリティへの韓国社会の相対し方について、一つの画期となるかもしれない。

根拠が特にあるわけではないのですが、そんな気がしています。

변희수와 숙대 합격생이 서로에게 쓴 희망 “나를 드러내 사회 바뀌길”
등록 :2020-03-17 05:00 수정 :2020-03-17 08:02

[차별금지법은 함께살기법] ② 성소수자 차별
숙대 합격생 한주연 “두려움이 포용으로 변하길”
예비역 하사 변희수 “결코 혐오에 지지 않겠다”

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예비역 하사 변희수가 법학도 지망생 한주연(가명)에게 쓴 손편지. 변희수 제공.

“조금씩 깎이던 마음이 결국 스스로를 찌르는 칼이 되었습니다. 이런 제가 망망대해에 아무도 없이 홀로 내던져진 것 같다는 느낌을 많이 받았습니다.” 22살 한주연(가명)이 편지를 썼다. “우리 모두 서로 힘내도록 합시다. 죽지 맙시다. 꼭 살아남아서 이 사회가 바뀌는 것을 같이 보았으면 좋겠습니다.” 22살 변희수가 응답했다.

예비역 하사 변희수와 법학도 지망생 한주연. 한번도 만난 적이 없는 두 사람이지만 이들이 겪어온 고통의 길과 앞으로 그려나갈 희망의 풍경은 겹친다. 둘은 모두 ‘남성의 몸에 갇힌 여성’으로 오랜 시간 내면의 고통을 겪었다. 트랜스젠더에 대한 한국 사회의 ‘금단’을 깨기 위해 스스로를 드러냈으며, 혐오에 부딪혀 넘어졌다. 한주연은 숙명여대 법학부의 2020년 신입생으로 합격했다가 반대 여론에 떠밀려 지난달 입학을 포기했다. 변희수는 지난 1월 “대한민국의 군인이 될 기회를 달라”며 눈물의 거수경례를 했으나 군에 의해 강제전역됐다.
그러나 이들이 만든 ‘균열’은 유효하다. 변희수가 눈물을 흘린 그날, 군은 군대 내 성소수자의 공존을 위한 고민을 시작했고 한주연이 입학 포기를 선언한 그날, 대한민국은 성소수자와 더불어 사는 삶에 대해 논쟁하기 시작했다. <한겨레>는 산산조각 난 마음을 이어붙이고 있는 두 사람을 설득해 서로를 위한 편지를 부탁했다. 한주연과 변희수는 단단했다. 두 사람은 서로를 위한 희망을 넘어, 우리 사회를 위한 희망의 메시지를 보내왔다.
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“차가운 시선…그럼에도 앞장서준 희수님께 감사”

“내가 커밍아웃하지 않았더라면, 내가 나의 존재를 드러내지 않았더라면 주연님도 자신이 지망했던 학교를 조용히, 그리고 아무 일 없이 다닐 수 있지 않았을까. 내가 들었던 욕설과 비난을 들을 필요가 없지 않았을까. 여러가지로 복잡한 심경이었습니다.” 육군훈련소를 나온 뒤 처음 손편지를 써본다던 변희수가 전한 첫마디엔 한주연을 향한 걱정이 담겨 있었다.

1월30일 한 언론을 통해 숙명여대에 성전환 여성이 입학한다는 사실이 알려진 뒤 변희수는 “‘드디어 올 것이 왔구나’라는 심정이 들었다”고 했다. “불과 며칠 전까지만 해도 저를 향해 쏟아졌던 비난, 악플, 욕설, 조롱, 혐오의 화살들이 주연님에게도 똑같이 향할 것이라는 걸 너무 잘 알고 있었거든요.” 변희수가 실명과 얼굴을 드러내고 카메라 앞에 선 건 1월22일이었다. 그의 강제전역 사실을 알리는 뉴스 댓글엔 조롱과 비난이 난무했다.
사람들은 변희수의 성전환이 ‘선택’이라고 쏘아붙였다. “자신의 선택에 의한 결과이므로 차별은 아니네요.” 그러나 변희수의 결심은 ‘선택’이 아니었다. 대부분의 트랜스젠더들은 죽음 충동 끝에 성전환 수술을 받는다. “신께서 제 몸을 만드실 때 실수한 게 아닐까. 내가 전생에 어떤 잘못을 했길래 이런 일들이 생긴 것일까. 초등학생 시절 아파트 옥상을 올려다보며 뛰어내리고 싶은 충동도 매일 들었었죠.” 그렇게 성전환 수술을 받고 최초의 트랜스젠더 군인이 되고자 했지만 거부당했을 때, 변희수는 극단적인 생각까지 할 수밖에 없었다. “정말 만에 하나 전역 처분이 나더라도 재입대를 하자, 재입대가 안 되면 군무원으로라도 군에 남고 싶다(고 생각했습니다). 막상 전역 명령이 떨어지니, 제가 죽어서라도 이 사회에 경종을 울려야 하냐는 마음이 굴뚝같았습니다.”

한주연은 함께 울었다. “저희 둘이 한 일은 평범한 일상을 살고자 하는, 자연스러운 일이었지만 아직 사회는 저희의 평범한 일상을 허락해주지 않았습니다.” 한주연은 어렵게 받아든 법대 합격증을 포기해야 할 정도로 극심한 고통을 겪었다. 멀리서도 그는 변희수가 먼저 겪었을 고통에 생생히 공감했다. “기자회견 이후로 정신적으로도 많이 힘드셨을 것 같아요. 무심코 던져진 것 같은 댓글 한 줄이 이렇게 가슴에 비수처럼 박혀드는지 직접 경험해 보고서야 알 수 있었습니다. 저를 잘 알지 못하는 사람들이 기사 몇 줄만으로 제 생활을 미루어 단정하고 비난하는 모습을 보면서 답답하고 괴로웠습니다.”

입학 포기 의사를 밝힌 건 지난달 7일이지만 여전히 그는 밤중에 휴대전화가 울리면 깜짝 놀라고, 기사나 댓글은 읽기도 힘든 시간을 보내고 있다. “가만히 있다가도 ‘다른 사람들이 나를 싫어하지 않을까’라는 두려운 감정이 올라오기도 합니다. 응원의 메시지를 봐도, 괜찮다는 생각을 마음에 되새겨도, 마음이 조금씩 깎이고 남아서, 나는 혼자라는 생각이 스멀스멀 올라오는 것을 피할 방법이 없더군요.” 한주연은 변희수에게 보낸 편지에 털어놨다.

그런 한주연에게 변희수라는 이름은 ‘용기’로 다가왔다. “그 모든 모욕을 홀로 감내하셔야 했을 고통을 생각하니 속상하고 가슴이 아프다”면서도 한주연은 앞장서 용기를 내준 변희수에게 감사했다. “사실 제일 먼저 전해드리고 싶었던 말은 감사하다는 말이었습니다. 먼저 이렇게 자신을 드러내는 용기를 내주셔서 뒤따를 수 있었다고, 그런 용기가 없었더라면 저도 이런 용기를 낼 수는 없었을 것이라는 생각이 듭니다.”

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법학도 지망생 한주연(가명)이 예비역 하사 변희수에게 쓴 손편지. 한주연 제공.
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“두려움이 포용으로 바뀔 수 있기를”

고통 속에서도 두 사람을 일으켜 세운 건 지지와 연대였다. “성별을 떠나 인간으로서, 인격체로서 저희를 응원해주시고 지지해주시는 분들이 많다는 것을 분명히 알았습니다. 저희와 연대해주는 사람들이 있는 것을, 응원해주는 사람들이 있는 것을, 너희는 혼자가 아니라고 말씀해주시는 분들을 생각하니 공포와 두려움이 덜어지고 희망과 안도감이 생겼습니다.” 한주연은 변희수에게 말했다. 숙명여대 내부에서, ‘급진적 페미니즘’을 표방한 여성들 사이에서 한주연을 향한 공격의 말들이 쏟아질 때 다른 한편에선 그를 위로하고 지지하는 말들이 이어졌다.

변희수도 마찬가지다. 상처를 준 것도 사람이지만, 고통의 시간 동안 죽지 않고 버틸 수 있게 한 것도 사람이었다. 육군본부의 결정은 그를 할퀴었지만 변희수의 부대원과 상사들은 그를 지지했다. 그는 편지에서 거듭 밝혔다. “저의 사정을 잘 이해해주셨던 주임원사님, 대대장님, 여단장님, 군단장님의 배려 속에 성별정정 수술까지 무사히 받을 수 있었습니다. 기사가 나가고 저를 위로해주신 대대 간부님들·용사분들과, 동고동락했던 삼계고등학교 동기들에게 감사의 인사를 드립니다.” 그런 의미에서 그는 한주연에게 희망의 말을 건넸다. “사건이 진행되고 시간이 지나면서, 제 주변엔 그런 사람들만 있는 것이 아니라는 걸 알게 되었습니다. 우리와 연대하고자 하는 사람들이 우리를 공격하는 사람들보다 더 많을 것이라 믿습니다.” 두 사람은 스스로 뒤에 걸어오는 이들의 희망이 되고 싶다고 했다. “슬프고 힘든 일이지만 지금이 아니었다면 미래에 누군가 겪었을 일이고, 또 똑같이 상처받았을 일입니다. 힘들지만, 그래도 미래에 다른 분들이 저희의 평범한 일상을 돌려받을 수 있는 목소리를 계속 내주시기를 희망하면서 용기를 내서 앞으로 나아가야겠습니다.” “법조인이 되어 사회에서 소외된 사람들을 돕고 싶다”는 한주연은 꼭꼭 눌러쓴 편지에서 밝혔다. 변희수의 바람도 비슷했다. “복직 이후, 언젠가 시간이 흘러 전역이라는 것을 하게 된다면 저를 도와주시고 계신 분들처럼 사회활동가가 되어 제2, 제3의 변희수 또는 한주연을 지원해주고 싶은 새로운 꿈이 생겼습니다.” 카메라 다루길 좋아하는 변희수는 “영상매체를 통해서 사회에 차별 문제에 대해 알릴 수 있게 되면 좋겠다”고 적었다. 한국 사회는 두 사람의 꿈을 산산조각 냈지만, 두 사람은 여전히 우리 사회를 향한 애정을 잃지 않고 있었다. 한주연은 변희수에게 썼다. “이번 기회로, 우리 사회가 다양성에 대해서 조금 더 고민할 수 있기를 바라게 되었습니다. 다양한 삶을 존중할 수 있기를, 다름을 배척하지 않는 사회가 구성되기를, 다름이 틀림이 되지 않는 사회가 되기를, 두려움이 포용으로 바뀔 수 있기를….” 그는 분노하고 절망하기보다 이해하고 희망하기를 택했다. “제가 그들에게 인간으로 대우를 받기를 바라는 것처럼, 저도 그들을 인간으로서 대우해야만 궁극적으로 우리 사회가 옳은 방향으로 나아갈 것이라고 믿습니다.” 변희수는 답했다. “혐오는 결코 이길 수 없습니다. 흑인들을 차별했던 ‘아파르트헤이트’, 유대인과 성소수자를 탄압했던 나치처럼 혐오는 언젠가 반드시 역사의 심판을 받을 것입니다. 우리를 향한 혐오가 부끄러운 행위가 되고 오명이 되는 날이 반드시 올 것입니다.” 그리고 약속했다.

“꼭 살아남아서 이 사회가 바뀌는 것을 같이 보았으면 좋겠습니다. 꼭 그렇게 되도록 합시다.”

겨울은 가고 봄이 온다. “곧 봄이 오듯, 삶에도 따뜻한 바람이 불어오기를 바라겠습니다.” 한주연이 보낸 인사다. 안부는 둘만을 위한 것이 아니었다. 숨죽인 채 고통을 겪어낸 또 다른 변희수와 모든 한주연에게 전하는 위로와 격려였다. 그렇게 홀로 겨울을 살아낸 두 사람은 이제 ‘함께’가 되어 다가올 봄을 기다리고 있다.

강재구 권지담 김민제 기자

http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/932864.html

上記記事の翻訳はまだみたいなので(ハンギョレさんのことですから、いずれやってくれるかもしれません)、ここでは東亜日報ハンギョレの翻訳記事をまとめて。

globe.asahi.com

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新型コロナウイルスが直撃した馬山(昌原)の「3.15」

韓国では例年、春先から初夏にかけて、馬山の「3.15」、済州の「4.3」、それから「4.19」「5.18」を経て顕忠日(6.6)と民主化抗争記念日(6.10)に至る現代史的記念式典が続くシーズンとなっているのですが、今年のこの新型コロナウイルスの流行で、どこまで例年通りできるか不透明な状況になっています。

とりあえず、馬山の式典は中止されたようです。今年は3.15義挙60周年ということで、長らく4.19革命の陰に埋もれがち(というか付属品扱い)だったこの記念事業の地位をさらに向上させようと意気込んでいた人もいたようなのですが、これはやむを得ませんね。

www.yna.co.kr
www.knnews.co.kr

歴代大統領・国務総理の演説を分析している上記記事の末尾部分が、そのへんの空気を示しています。

◇4·19혁명의 과정 속 3·15의거

그렇지만 역대 정부가 3·15의거를 이 같이 바라보면서도 그 지위는 4·19혁명의 자장 아래 포함돼 있다. 의거 당시 12명이 숨지고 250여명이 다친 근현대 최초의 독자적인 유혈 시민혁명이었지만, 3·15의거 희생자는 4·19혁명 관련 유공자로 정의되는 등 역사적·법적으로 독립적인 의거로 평가받지 못하는 현실이 이를 잘 보여준다. 역대 대통령·국무총리 기념사에서 이따금 4·19혁명의 ‘기폭제’, ‘도화선’으로 표현되는 이유이기도 하다.

김영달 3·15의거희생자유족회 사무국장은 앞서 경남신문과의 인터뷰에서 “법으로는 1960년 4월 19일 전후를 기해서 사망을 한 사람이나 다친 사람에 대해 4·19혁명 희생자 또는 부상자라고 칭한다”며 “우리는 법적 단체명도 ‘4·19혁명 희생자유족회 경남지부’라고 정해져 있다. 안까운 현실이다. 3·15라는 말도 없다. 3·15의거의 진정한 의미를 찾아야 한다”고 강조한 바 있다.

◇40주년 50주년 한 걸음씩 변화, 60주년에도...

3·15의거 40주년이 되던 해 고 김대중 대통령이 현직 대통령으로서 처음 3·15의거 기념식에 참석했고 2년 뒤인 2002년 3·15의거 희생자가 영면해 있는 3·15 성역공원이 국립3·15민주묘지로 승격, 이듬해 준공됐다. 50주년인 2010년에는 3·15의거가 국가기념일로 지정됐다. 이후 3·15의거기념식 행사는 정부 주관으로 치러졌다. 60주년인 올해 3·15의거 관련 단체를 창원지역을 중심으로 3·15의거를 재평가하고 관련자의 명예회복을 위해 특별법을 제정해야 한다는 목소리가 강조되고 있다. 3·15의거 진상규명 및 관련자 명예회복심의위원회 설치, 3·15의거 정신을 계승하는 기념사업 추진 등의 내용이 담긴 ‘3·15의거 관련자의 명예회복 및 보상 등에 관한 법률안’이 지난해 국회에서 발의됐지만, 올 4월 총선을 앞둔 20대 국회는 얼마 남지 않았다. 회기 종료 전 통과하지 못한 법률안은 자동 폐기된다.

http://www.knnews.co.kr/news/articleView.php?idxno=1321493

馬山の慶南道民日報は、この機会に3.15義挙で主導的役割を果たした人物の証言を掲載したり、市内の関連史跡地を歩いて回って記事にしたりしてます。まだ当時の参加者が生存している段階でもありますし、行政側もこれを歴史コンテンツとして生かそうとする意欲も高いようです。「人々の記憶の中から歴史の彼方へ」といった現象は、これはまだだいぶ先のことですね。

午東洞や舞鶴初等学校前など、挙げられている関連史跡の一部は過去に行ったことありますが、それはそれとして、これらの「歴史」をどう扱っていくのか、しばらく見守っていく価値はありそうです。

blue-black-osaka.hatenablog.com
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3·15의거 60주년 기획 우리가 기억하는 법 (1) 한 인물의 삶으로 보는 역사
빨갱이로 몰릴까 차마 말 못한 '그날 밤'
이동욱 기자 2020년 03월 13일 금요일

고 하상칠 씨 '민권수호'주도하고도 가족에게조차 숨겨
뒤늦게 유공자 신청했지만 증거 없단 이유로 인정 안 돼

3·15의거 60돌입니다. 코로나19 확산 여파로 올해는 국가기념식이 열리지 못하고 사회적 분위기도 가라앉아 있지만, 민주주의를 갈망했던 당대의 정신과 역사적 의미를 되새기고자 두 차례 글을 싣습니다. 3·15의거 콘텐츠가 부족하다는 지적은 수년 전부터 제기돼왔는데요. 그간 잘 알려지지 않았던 한 인물의 이야기와 마산지역 풍경을 돌아보며 3·15의거 콘텐츠화 가능성을 엿봤습니다.

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▲ 고 하상칠 씨 딸인 하효선(왼쪽) ACC프로젝트협동조합 대표와 하 대표 남편 서익진 경남대 교수가 본보와 인터뷰하고 있다. /김구연 기자

"그날 밤 나 혼자만 싸웠던 것도 아니고 마산시민 모두가 앞장서 싸웠기에 자기 혼자만이 영웅 취급을 받는다거나 어떤 보상을 생각한다면 참으로 부끄러운 일이기 때문이다. (중략) 늦게나마 우리 자녀와 후손들에게 민권수호를 위해 피 흘리며 싸웠던 마산시민과 학생들의 용맹성을 들려줌으로써 정의로운 나라 사랑이 진정 무엇인가를 교훈으로 남겨주고 싶기 때문이다."

1960년 마산시 산호동에 살던 35세 얼음소매상 하상칠(사진) 씨 이야기다. 그는 3·15의거 당일 야간시위에 주도적으로 참여한 사실을 평생 숨겼다. 50년이 지난 2010년 10월 7일에야 그날의 이야기를 전했고, 이는 <3·15의거 증언록>에 실렸다.

2017년 7월 91세로 그는 세상을 떠났다. 앞서 그가 증언을 시작한 때는 국립3·15민주묘지가 들어서고 국가기념일로 제정되는 시기였다. 3·15묘지 준공식은 2003년 3월, 3·15의거 국가기념일 제정은 2010년 3월이었다.

딸인 하효선(64) ACC프로젝트협동조합 대표와 사위인 서익진(65) 경남대 경제금융학과 교수도 당시 그의 증언에 놀랄 수밖에 없었다. 그가 긴 시간 침묵한 이유가 있었다.

"장인께서 1950년 한국전쟁 당시 남원 쪽에서 나무하러 갔다가 인민군에 잡히고 나중에는 국군의 포로가 돼 거제포로수용소에서 3년을 살았다. 이런 경험 때문에 빨갱이로 몰릴 것을 두려워했고, 그래서 가족한테도 3·15 이야기를 안 했다. 이후에 경찰 퇴직자 모임인 경우회 고문에 이름을 올려놓을 정도로 철저히 숨겼다."

가족은 그가 떠나고 유공자 신청을 했지만, 사진·일기·신문기사·병원기록 등 객관적인 증거자료가 없고 진술만 있다는 이유로 공적을 인정받지 못했다. 3·15와 관련한 국가기록물을 찾고 있지만, 개인정보라며 공개가 안 되고 있어 개인 또는 민간단체로서는 자료 확보가 쉽지 않은 상황이다.

"두 가지 핵심 증언이 있다. 바리케이드를 쳤거나 총기와 관련한 이야기는 시중에 떠돌지만 증언이 없었는데, 그 내용이 장인한테서 나왔다. 미시사 방법론은 새로운 역사 기술 방법으로 각광받고 있다. 그동안 거시사·사회사·사상사·정치사 등 집단 중심의 기술이 대세였는데, 미시사는 특정 개인이나 소집단의 사고, 생활, 활동 등을 연구해 그 당시 큰 사건을 보여주는 것이다. 구술이 신빙성은 떨어진다고 볼 수 있지만, 누가 봐도 합리적인 진술이라면 그보다 정확한 것이 없다. 유공자 심사에도 미시사 연구를 적용했으면 한다."

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A4용지 4쪽에 가까운 증언록 중 일부는 이렇다.

"무학국민학교에서는 여학생들이 돌을 치마에 담아 나르고 사람들은 투석을 계속하고 있었다", "우선 사람들은 다닐 수 있지만 차는 다닐 수 없도록 길을 가로지르는 바리케이드를 치기 위하여 전봇대를 옮겼다", "총을 탈취한 학생들에게 '학생들, 지금 우리가 하는 이 데모는 보다 정의로운 사회를 만드는 데 방해하는 무리들의 부정선거를 막기 위함이지, 군인들이나 경찰들을 없애거나 전쟁을 하기 위한 것이 아니다. 만약 우리가 총을 서로 겨누고 또 쏜다면 이건 우리의 목적과는 다르다. 여기 군인들은 옷이 다를 뿐 우리들의 형제이고 같은 심정일 수도 있다. 단지 명령을 수행하기 위해 왔을 뿐이다. 따라서 총을 뺏어 서로 겨누는 짓은 하지 말아야 한다'고 말하며 총을 모두 회수했다."

2018년 서 교수는 장인의 증언을 바탕으로 '얼음장수의 뜨거웠던 하루 - 3·15의거 한 참여자에 관한 미시사적 분석'이라는 논문을 썼다. 하 대표는 이를 문화예술 기획 분야로 확장했다. 레지던스 프로그램으로 여러 국내외 작가가 3·15의거를 주제로 다양한 예술활동을 할 수 있는 기반을 조성한 것이다.

"사실 아버지 이야기라서 조심스럽기도 하지만, 특히 3·15는 지역·인류학적 연구와 접근이 필요하다고 본다. 그 시기 부정선거에 맞서 불붙은 곳이 마산이다. 그렇다면 왜 마산이었는지, 개개인의 삶에는 어떤 영향이 있었는지 제대로 살펴봤으면 한다. 한 지역에서 능동적으로 발현한 모습, 당시 사람들의 표현 방식이나 사회를 바라보는 눈도 함께 봐야 한다."

http://www.idomin.com/news/articleView.html?idxno=723882

우리가 기억하는 법 (하) 3.15의거 재현길 걸어봤더니
숨겨진 희생자 오랜 흔적들 되살려야
최석환·이동욱 기자 2020년 03월 16일 월요일

3·15의거탑·각종 부조물
단순 시설점검·유지 넘어
민주교육 기능 강화 절실

<경남도민일보>는 3·15의거 60주년을 맞아 남기문 3·15의거기념사업회 국장과 함께 '3·15의거 재현의 길'을 돌아봤다. 3·15 발원지를 시작으로 불종거리, 3·15의거 기념탑, 마산의료원, 김주열 열사 시신 인양지 등으로 이어지는 재현의 길 9곳을 소개하고, 기념사업회가 진행하는 3·15의거 관련 행사 일정 등을 짚어봤다.

◇오동동 문화광장에서 시작된 3·15의거 = 뜯겨버린 나사와 덜컹거리는 밑바닥, 이 흔적은 3·15의거를 상징하는 부조물의 지난 14일 모습이다. 이날 오전 10시에 오동동 문화광장에서 본 이 부조물은 지나가던 차에 부딪혀서인지 밑바닥이 반쯤 뜯겨있었다. 옛 민주당 마산시당 당사가 자리했던 건물 앞에는 '3·15의거 발원지 상징공간 조성지'라고 적힌 파란색 배경의 현수막만 걸려있고 정비가 되어 있지 않은 상태였다.

남 국장은 "당시 정경도 민주당 경남도당위원장을 필두로 부정선거에 반발한 민주당원들과 시민들이 집결해 첫 시위를 벌인 장소가 바로 오동동 문화광장이었다"며 "3·15의거 당시 광장에는 2층짜리 목조건물로 지어진 민주당 마산시당 당사가 있었지만, 현재 이 자리에는 목조건물 대신 5층 상가 건물이 자리 잡고 있다"고 말했다.

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▲ 남기문 3·15의거기념사업회 국장이 지난 13일 김주열 열사 시신 인양지 앞에서 관련 설명을 하고 있다. /최석환 기자

여기서 경남은행 오동동지점 방면으로 3분 정도 올라가면 불종거리가 있다. 불종거리는 마산어시장부터 육호광장으로 이어지는 일대 구간이다. 당시 시위대는 선거 무효를 요구하며 옛 당사 앞에서 불종거리로 이동했고, 이 과정에서 시위대와 경찰은 투석전(돌을 던지면서 싸움)을 벌이기도 했다.

불종거리에서 마산어시장과 창동통합상가 쪽으로 5분 정도 더 걸으면 창동치안센터가 나오는데, 불종거리 일대에서 경찰과 대치하던 시민들이 우르르 몰려가 시위를 벌인 곳이 창동치안센터였다.

남 국장은 "창동치안센터는 마산시청으로 가는 길목이었다. 구두닦이를 하던 오성원 열사가 여기서 돌아가시고, 강융기 열사는 여기서 총을 맞았다"며 "이곳은 항상 표적이 되는 장소였다. 부마항쟁, 6월 항쟁 등과 관련이 되어 있는 장소이기도 하다"고 말했다.

마산의료원 방면으로 15분 정도 걷다 보면 3·15기념탑이, 기념탑에서 3분 정도 떨어진 곳에는 3·15의거 무학초등학교 총격담장이 세워져 있다.

당시 경찰은 시위대가 옛 마산시청(현 마산합포구청)으로 가는 길목에서 무학초등학교 앞 도로에 집결하자 실탄 조준사격을 했다. 이 총격으로 무학초등학교 담장에는 실탄 자국이 남았다.

남 국장은 "실탄 자국이 있는 실제 담장은 원래 무학초등학교 정문 앞에 있었지만 지금은 허물어지고 없다"며 "지금 있는 총격담장은 실제 담장이 있던 장소 옆에 교육용으로 만들어놓은 것"이라고 말했다. 실제 담장이 있던 자리에는 3층 규모의 상가 건물이 있었다. 그 옆에 있는 교육용 총격담장은 경찰이 시위대를 향해 조준사격을 해서 생긴 총알 자국을 실제 모습처럼 본떠 지난 2014년 만들었다.

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◇3·15의거 재현의 길은 = 창원 마산합포구 오동동 3·15의거 발원지에서 김주열 열사 시신 인양지에 이르는 '3·15의거 재현의 길'은 1960년 3월 15일부터 4월 19일까지 역사적 흐름을 살펴볼 수 있다.

창원시는 2016년 이후 이 일대 역사 탐방 활성화를 위해 코스를 만들었다. 걸어서 이동하면 3시간 정도 걸리는데, 역사 현장을 체험하며 자유·민주·정의 등 3·15의거 정신을 되새기자는 취지다.

이와 함께 '마산 민주화의 길'(3·15아트센터~부마민주항쟁 조형물)도 조성했다. 3·15의거, 4·19혁명, 부마민주항쟁, 6월 항쟁이 일어난 민주성지로서 탐방 코스도 마련한 것이다. '3·15의거 재현의 길'과 '마산 민주화의 길'은 시청 누리집에서도 자세히 볼 수 있다.

하지만 3·15의거 교육·탐방 콘텐츠와 인프라가 부족하다는 지적은 계속 제기돼왔다. 행정에서도 단순히 기존 유적지와 시설물 점검이나 유지관리에 그치지 않고, 유적지를 활용한 콘텐츠 활성화에 적극적으로 투자할 필요가 있다는 것이다.

이에 창원시는 올해 3·15의거 발원지 상징공간을 조성 중이다.

마산합포구 문화의길 54(오동동 165-7)에 있는 지하 1층~지상 5층 상가가 상징공간으로 만들어진다. 3·15의거 당시 2층 목조 건물로 옛 민주당 마산시당사로 전해지는 장소다. 시는 이곳에 민주화 유적지 탐방객과 시민을 위한 교육장, 홍보 자료관, 시위 체험관, 민주주의 역사관 등을 조성할 계획이다.

박성원(더불어민주당, 완월·자산·오동동) 창원시의원은 지난 1월 본회의 5분 발언에서 건립한 지 60년이 되는 3·15의거탑 보강·보수 등을 요구하고, 3·15의거 발원지에서 3·15의거탑을 지나 마산중부경찰서까지를 '민주화거리'로 명명하자고 제안하기도 했다. <끝>

http://www.idomin.com/news/articleView.html?idxno=724030

倉敷・水島の歴史散歩的郷土史

こういう地域での自発的な歴史調査や活動が、「郷土史」というジャンルを作り上げ、歴史研究の厚みを増しているんですよねえ。

こういう本を読んでから水島臨海鉄道に乗れば、車窓の風景の見え方もまた違ってくるかもしれません。

www.youtube.com

水島の歴史や史跡、深掘り解説 倉敷の杉原さん、本発刊

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著書を手に「本を読んで、実際に水島を訪ねてほしい」と話す杉原さん

 倉敷市の杉原尚示さん(75)が、同市水島地区の歴史や史跡にまつわるエピソードをまとめた「歴史散策は楽しい―倉敷市水島のまち・ひと・自然」(吉備人出版)を発刊した。杉原さんは「工業地帯の印象が強い水島だが、多様な歴史がある。調べれば調べるほど面白い地域」とまちの魅力を語る。

 杉原さんは市中心部に近い帯江地区で生まれ育ち、同地域について書籍を出版している。2016年に現住所に転居したのを機に周辺の水島地区でも調査と執筆を開始。「歴史散策は―」には、同年以降に書きためた文章を中心に掲載している。

 「倉敷に70年以上住んでいるが、私にとって新発見の連続だった」と杉原さん。1516年に鹿児島沖で薩摩軍と戦い敗死した連島水軍の三宅国秀については、琉球を攻めに行ったという従来の見方と異なる、幕府の意向で琉球航路を開拓しようとしたとの説を紹介。福田町古新田の開発では、大庄屋の佐藤九郎兵衛が6年にわたり幕府に求め続け、大岡越前守が参加した裁判で認められた逸話などを取り上げた。

 現在の水島に関しても戦争遺跡やコンビナート企業、公害など多様な観点から解説。公害訴訟の和解金を基に誕生した水島地域環境再生財団(みずしま財団)の活動をはじめ、住民や企業が協力して環境を守る運動をしているとして「未来社会の一つのモデル」と評している。

 自身の手法を「ワイドショー的」と称する杉原さん。まちを歩いて興味を引かれたことを、書物で調べたり人に聞いたりして深掘りするという。今作でも、史跡を訪れた感想や調査過程を織り交ぜ、軽いタッチで古代から現代までをたどった。

 杉原さんは「本を読んで、実際に水島を訪ねてほしい。きっとそれまでのイメージとは違う姿を感じられると思う」と話す。

 四六判、230ページ。1540円。
(2020年03月15日 21時52分 更新)

https://www.sanyonews.jp/article/993483