「光復節」に独立記念館のことを考える。

8月15日は韓国式に言えば「光復節」である。
近年、この日の政府式典は天安の独立記念館で挙行されていたが、今年はソウルの景福宮前で行なわれたらしい。

これは些細な一件なのかも知れぬが、韓国社会の中で存在感が低下の一途を辿っているように見える独立記念館は、今後どうなっていくのだろうか。
ここでは『朝鮮日報』のコラムをクリップしておくことにする。

【コラム】独立記念館の新任館長がすべきこと(上)

 独立記念館の館長が代わった。前任者が今年3月に退任して以来、4カ月間も空席だっただけに、新任館長がなすべきことは多い。

 まず最初にやるべきことは、韓国国民の関心を蘇らせることだ。1987年の開館当時を取り上げてみても、独立記念館は、韓国国民の間で必ず一度は行ってみたい聖地のような雰囲気があった。82年に日本の歴史教科書歪曲(わいきょく)問題が韓国国民の感情に火を付け、500億ウォン(現在のレートで約53億円)の募金が寄せられた。このように国民が寄付した金品で建てられた独立記念館は、国民をして自分たちが生きている国の独立と自尊について考えさせる、生きた歴史教育の場のような存在だった。

 だが1990年代後半には、訪問客が100万人台へと急激に落ち込んだ。それ以来今まで、国民の口から独立記念館が話題として出ることはほとんどない。その理由は何か。

 韓国国民の愛国心が冷めたせいでないことは明らかだ。日本による独島(日本名:竹島)関連の妄言が繰り返されている現在、韓国国民が示す抗日の意志は、韓半島朝鮮半島)を覆ってなお余りある。結局のところ、独立記念館そのものに原因を見出すほかない、ということではないか。

 代表的なものとして、展示物管理の問題がある。独立記念館は当初、韓国国民が託した展示物や記念館自ら収拾した品など、合わせて4万3000点余りの展示品から始まった。その後20年が過ぎたが、現在ある展示物の数は8万1000点余りにとどまっている。このように、持っている展示物は取り立てて言うほどでもなく、来訪客を満足させるに足る展示プログラムやテクニックについても、どれだけ心を尽くして駆使してきたのか分からない。

http://www.chosunonline.com/article/20080729000054

【コラム】独立記念館の新任館長がすべきこと(下)

 また現在では中断されているが、360度の円形劇場では、最近まで毎日14回、上映時間18分の映像「われらが作った世の中」が放映されていた。しかし、この映像が作られたのは2000年。02年の韓日ワールドカップや、その後のさまざまな国家的歴史イベントが盛り込まれておらず、観覧客がそっぽを向くのも当然だ。記念館側は、今年9月からようやく新しい映像を上映する予定だ。今のようにビジュアルが支配する世の中にあって、古臭い資料や映像で客を集めようとしても、客足が途切れるのは当然だ。

 便宜施設に関する不満も無視できない。キャンプ場の場合、最近まで、20人以上の団体のみが使用できることになっていた。この点に対する不満が何年もの間提起され続けていたにもかかわらず、記念館側は目を向けてこなかった。そして今月22日になってようやく、個人にもキャンプ場の利用を許可するよう規定を改めた。しかしそれでも、一人当たり2000ウォン(約213円)を徴収していることから、テントを一つ張ろうと二つ張ろうと、4人家族ならば無条件で8000ウォン(約855円)を払わなければならない。さらに、入場料(2000ウォン)を今年から無料化する一方、駐車費(一日当たり2000ウォン)はそのまま据え置いた点もまた、再考すべき部分だ。

 しかし何よりも大きな客離れの理由は、独立記念館がいつのころからか、特定の歴史観や理念の宣伝の場になろうとしたところにあるのではないか、という思いを消すことができない。日帝への抵抗とそこからの独立、その後の大韓民国の成立と発展は、誰が何と言おうと、韓民族の総体的な闘争と力量があったからこそ可能だったことだ。これを理念や路線、階層によってバラバラに割き、誰かを褒め称え誰かを殺すというのが、現代史に対するかつての政権の眼差しだった。これを行えば、独立記念館は理念教育の場となることはできるかもしれないが、国民からの普遍的な愛を享受する空間にはなり得ない。

 新任館長は8月15日の建国60周年行事に先立ち、まずはどうすれば独立記念館の過去の姿を取り戻すことができるのかについて考えてほしいと思う。独立記念館を訪問する人々が友人や家族の手を取って再び訪れたくなる、そんな場所となるよう願ってやまない。

http://www.chosunonline.com/article/20080729000055

個人的には、独立記念館の存在感低下にはもっと別の理由があると思うのだが、それについては長くなるのでここで書くのはやめておく。