今年の「光復節」が持つ意味

今年、8月15日を前にした韓国では「光復」と「建国」とがせめぎ合うという議論状況が生じていた。その背景については、浅羽祐樹氏の解説を参照されたい。

kstudies.exblog.jp

こうした点を踏まえれば、『朝鮮日報』の今日付け社説が述べるところも多少なりとも理解できるようになるかも知れない。

【社説】光復と建国の意味を心に刻み吟味しよう(上)
 きょうは第63回光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)、そして第60回建国記念日だ。1945年8月15日に植民地支配からの解放を迎えたわれわれは3年後の同じ日に大韓民国政府を樹立した。大韓民国建国の父たちが光復節である8月15日を建国の日に選んだのは、われわれにとって「光復」すなわち「建国」、「建国」すなわち「光復」だったからだ。

 いま社会の一部で起きている光復が先か、建国が先かというような論争は無意味だ。光復がなければ、大韓民国の建国は不可能であったし、大韓民国の建国がなければ、光復が意味を持たないことを考えれば自明だ。

 しかし、過去60年の間、光復と解放の喜びを共にしてきた中で、相対的に60年前のきょう、大韓民国が成立したという建国の意味が注目されずにきたのは事実だ。3年前のある世論調査によると、大韓民国建国記念日を知っている人は全体の5.1%にすぎなかった。大韓民国の建国自体を否定的に考える人たちが学界、政界、言論界で建国の意味を執拗(しつよう)に傷つけてきたためだ。

 5年前、そんな歴史意識に染まった大統領は、大韓民国の建国史を「正義が敗北し、機会主義が優位に立った歴史」だと規定し、公営放送であるKBSとMBCは時事番組にドラマまで動員して大韓民国の建国史を踏みにじりもてあそんだ。大韓民国建国60周年を迎え、大韓民国を踏みにじるような行為を正そうとする動きが起きたのは当然のことだ。

 60年前に米ソによって分断された韓半島朝鮮半島)では、南側の指導者が自由民主主義と資本主義の価値を掲げて大韓民国を建国し、北側は共産主義一党独裁の道を選んだ。南側は精米所とゴム靴工場数カ所以外に工場すらろくになく、北は韓半島の工業施設の大部分、発電施設の大部分、地下資源の大部分を占めていた。しかし、それから60年の間に大韓民国はわずかな工業施設までもが韓国戦争(朝鮮戦争)によって破壊され、狭い国土に混乱を避けて北朝鮮を脱出した数百万人の人々をも養いつつ、現在は世界13位の経済大国へと浮上した。人類の歴史の中で空前絶後の奇跡だ。

http://www.chosunonline.com/article/20080815000006

【社説】光復と建国の意味を心に刻み吟味しよう(下)

 アフリカの1国にも満たなかった大韓民国国内総生産GDP)は、60年後にアフリカの50カ国余りを合わせたよりも大きくなり、大韓民国の輸出額はメキシコを除く中南米国家全体の輸出額を上回った。60年間でGDPが740倍に増え、輸出が1万5000倍に達した結果だ。世界の多くの国で大韓民国の製品は富と成功の象徴となり、世界的な投資会社ゴールドマン・サックス大韓民国が40年後には世界最高水準の経済大国になると予想した。

 大韓民国は第2次世界大戦後に成立した国の中でほぼ唯一、産業化と民主化を同時に達成した。幾多の苦痛と葛藤(かっとう)がありながら、結局はそれを克服し、国民の自由と人権、選挙による政権交代を制度化した。いま世界で先進国を除き、大韓民国のレベルの民主主義を営んでいる国はほとんどない。これが世界の大部分の大学が採択している発展論の教科書に載っている大韓民国の建国神話だ。

 全国民を飢えさせ、国民に国境線を越えた数千キロの逃避行を強いた上、彼らを捕まえては強制収容所に入れたり、公開処刑したりして、その一方で核兵器を作り日本に再武装の名分を与え、その核兵器で米や石油を脅し取ろうとする北朝鮮の現実を大韓民国の建国神話と比べれば、建国の父たちが選んだ道がどれだけ正しかったかを改めて実感する。彼らに対しては頭が下がる思いだ。

 しかし、国民の大半がそんな偉大な国の誕生日すら知らないのが現実だ。われわれの子孫に大韓民国を中傷し、歴史をひっくり返すことを教える教育が堂々とまかり通り、とんでもないことに本場で滅び去った左派の理念が各地の書店を覆い尽くしている。われわれがいま民族の光復とともに大韓民国の建国の意味を同時に胸に刻み、吟味しなければならない意味がそこにある。

http://www.chosunonline.com/article/20080815000007

いわゆる「ニューライト」的な立場―『朝鮮日報』の立場もそれに親和的である―が「建国60年」を強調する立場に通じることは確かである。興味深いのは、現在の韓国社会においてはその立場が〈徹底される〉ことがきわめて難しいという点である。
「建国60年」は「光復63年」への配慮なしには成立しないし、朴正煕政権の評価は「4.19革命」の評価と抱き合わせでしか成立しない。そこに手をつけるとどうなるかというと…。

記事入力 : 2006/12/01 15:30:06
乱闘騒ぎで修羅場と化した「代案教科書」シンポジウム

 ニューライト団体「教科書フォーラム」が主催し、「代案教科書」について討論するために開かれた学術シンポジウムが、4・19革命(1960年に不正選挙の結果を不服とした民衆デモにより、当時独裁体制を敷いていた李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件)関連団体の会員らによって会場を占拠され、中止に追い込まれた。

 4・19民主革命功労者会など、3団体の会員80人余りは、先月30日午後2時23分ごろ、ソウル大師範学部教育情報館で開かれていたシンポジウム会場に乱入し、演壇をひっくり返し、シンポジウムに出席していた教授らと激しいもみ合いを繰り広げた。乱入時は「韓国近現代史代案教科書、このように書き改めました」という主題に関する基調講演を終え、本格的な発表を始めようとしていたところだった。


11月30日、ソウル大学師範学部教育情報館で開かれた「教科書フォーラム」主催のシンポジウムの途中、4.19革命同志会などの市民団体の会員らが「崇高な4.19精神を冒涜するな」と叫びながら、発表者の李栄薫教授(ソウル大経済学科)の胸ぐらをつかんでいる(写真=聯合ニュース)。

 会場に乱入した会員らは「4・19革命を学生運動におとしめた教科書フォーラムは、活動を直ちに中断せよ」などのスローガンを叫びながら机をひっくり返し、イスやマイクを投げつけた。

 会員らはこの過程で、討論者として出席していたソウル大経済学科の李栄薫(イ・ヨンフン)教授の胸ぐらや首をつかんで引きずり倒した。また、教科書フォーラムに所属してはいないものの、討論者として壇上にいた慶煕大の許東賢(ホ・ドンヒョン)教授、司会を務めていた延世大の柳永益(ユ・ヨンイク)客員教授もつかみ合いを止めようとして打撲傷を負った。さらに、数人の会員らが客席にいたソウル大の安秉直(アン・ビョンジク)名誉教授(ニューライト財団理事長)にコーヒーをぶちまけ、足げにした。

 4・19民主革命会所属と名乗るアン・スンギュン氏は「憲法前文にも“4・19革命精神を継承する”という表現が盛り込まれているのに、(代案教科書が)4・19を革命ではなく学生運動におとしめたことは、到底我慢できない」と主張した。

 教科書フォーラム側は、午後2時45分ごろに行事の中止を宣言し、行事会場を占拠していた会員らは午後3時ごろに解散した。教科書フォーラムの朴孝鍾(パク・ヒョジョン)共同代表は「もはや公開で討論会を開催するのは不可能なようだ。来年3月に予定されている代案教科書の出版も、スケジュール調整が避けられなくなった」と語った。

崔宰赫(チェ・ジェヒョク)記者

http://www.chosunonline.com/article/20061201000042

こう[↑]なって、こう[↓]なる。

「教科書:教科書フォーラムと4・19団体が和解宣言」

「4.19」と「5.16」の評価をある意味逆転させようとした教科書フォーラム側の企図は、事実上放棄されたのであった。すでに出版されている『代案教科書 韓国近・現代史』を読んでもその点は明らかである。