高麗大学校と4.19(4.18)との間に薫る〈プライド〉について書いた。
この高大に限らず、「4.19」という経験は、当事者にとっては今もなお誇り高きものであり続けている。
それは、不正選挙に象徴される独裁化の傾向を強めていた当時の李承晩大統領を下野に追い込んだ「革命」であったという自己規定に基づくものである。と同時にそれは、その後の5.16クーデター後、軍部政権によって「革命」から「義挙」へと格下げされ、その後の民主化によって「革命」への〈復権〉を果たしたという歴史的経緯を踏まえたものでもある。
先だって、近現代史歴史教科書の見直しを掲げた教科書フォーラムの開いたシンポジウムがここで書いたような事態を招いたのには、それなりの背景というものがあるわけである。これは単なる「歴史的評価」と言って済ませられる問題ではなく、4.19に連なる人々にとっては、決して譲れない一線となっている。
そしてこれは、私人の勝手な主張では決してなく、国家報勲処が管理する国立4.19民主墓地でも明記されている公的な主張なのである。
このへんが、民主墓地も護国院も管轄する国家報勲処という役所、ひいては韓国という国家の、なかなか興味深いところである。