大田の東義大事件

言うまでもなく、東義大事件は釜山で起きた事件であるのだけど、まあそれはそれとして。
西大田ネゴリから地下鉄に乗って顕忠院駅で降りる。ここは国立大田顕忠院の最寄り駅であるとともに国立ハンバッ大の最寄りでもあるのだが、駅周辺にはコンビニ売店はおろか、コインロッカーすらないので、何かを買ったり荷物を預けたりするつもりなら、鉄道駅やバスターミナルで済ませておかないといけない。
この駅から顕忠院までは歩けない距離ではないが、3番出口付近のバス停から102番・107番・48番などのバスに乗れば10分ほどの距離である。顕忠院の中は相当広いので、あちこち見て回るつもりなら、どっちみち着いてからたっぷり歩くことになる。



到着したのが昼過ぎであったので、ちょうど合同安葬式が挙行されているところであった。顕忠館の式場内での儀式の模様が外へもスピーカーを通じて流されているので、式典が進められてるのはその場にいればすぐにわかる*1


さて、この大田顕忠院は、ソウル顕忠院と同じく、軍人・警察官を中心として、愛国志士・国家社会貢献者・殉職公務員に国家元首といった人々と対象にした国立墓地であるが、ソウルとは違って各墓域ともおおむねまだ余裕があるため、納骨堂施設については今のところ設置されていないようである。

ちなみにこれは、国家社会貢献者墓域にある「体育人・孫基禎」の墓。言わずと知れた、ベルリンオリンピック(1936年)のマラソン金メダリストである。
ところで、表題の件であるが。

この建物、1階には顕忠院・護国院ではほぼお決まりのパネル展示があるのだが、2階に上がっていくと「遺品展示館」というのがある。

実はここの一角に、「東義大事件」の特設コーナーがこのような形で作られている。昨日今日に設けられたものではなく、何度かここを訪れている私も目にしていたはずなのだが、今回目にするまで意識の中に入っていなかった。




展示の説明によれば、この7名の警察官は1989年5月の殉職直後にこの大田顕忠院に安葬されているとのことである。当時の事件の衝撃と、警察サイドの事件に対する一貫した評価の態度とを、そこからうかがい知ることができるような気がする。

その思いを理解しつつ、「にもかかわらず」という思いが私の中には依然として残っているのだが、それについてはまた改めて。

*1:式典中の宗教的儀式としては、キリスト教プロテスタント)・仏教・天主教(カトリック)の説教・読経が順番に行なわれている。