しばしば言われることではあるが、かといって言うまでもないことではない。
本邦のおける改憲運動はこれまでも何度も書いたように「戦争ができる国」になりたいという人々の(あるいは無意識的な、あるいはあらわな)欲望を映し出している。
「戦争ができる国」になりたいという欲望には十分な人類学的根拠があることを私は認める。
けれども、その場合でも、自分が「戦場の消耗品になる覚悟」を備えていることを確認した上でそう言っているのかどうかは一応点検した方がいいだろう。
いま40歳以上の男性のうちでは現役自衛官以外で「戦場の消耗品」に供される可能性のあるものは事実上ゼロである。
自分自身は戦場で死傷する可能性のない人間が「戦争ができる権利」を声高に要求するというのはことの筋目が通らないのではないか。
「激越な国家思想」は戦争を始める役には立つが、戦争が始まった後は何の役にも立たない。
カタストロフ的な状況で私たちに必要なのは尽きるところリアルでクールな計量的知性である。
それだけである。
戦中の「死生」講義から懺悔道の哲学、さらには死の哲学へと向かった田辺元の思索経験を思い返してみてもいい時代に、なりつつあるのかも知れない。「覚悟」とはどういうことか、少し考えてみるきっかけにはなるだろう。
- 作者: 細谷昌志
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